覚え書:「柳田邦男の深呼吸:[言葉と政治]危うい安倍政権の言説」、『毎日新聞』2015年05月23日(土)付。

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柳田邦男の深呼吸
[言葉と政治]
危うい安倍政権の言説

(写真キャプション)日独首脳の共同記者会見で話すメルケル独首相(左)を見つめる安倍晋三首相=首相官邸で3月9日(代表撮影)

 先ごろ亡くなられた詩人・長田弘氏の詩に「最初の質問」というのがある。<今日、あなたは空を見上げましたか/空は遠かったですか、近かったですか>という言葉で始まるその詩は、掲示に富むさまざまな問いかけによって、人間にとって大切なことは何かを、根底から考えさせる。詩は最後にこう問う。
 <時代は言葉をないがしろにしている−−/あなたは言葉を信じていますか>
 この問いは、この国の政治状況においても社会においても、極めて重要な意味を持ってきていると、私は危機感をもって受け止めている。
 言葉は多面体だ。たった一言が人の心を温めることもあれば、特別な用語が地域や国家を危機に陥れることさえもある。
 この国のあり方に深刻な影響を与えかねないのは、議論の相手や思想の違う人に対して、特別な言葉を投げつけて、社会的に排斥する風潮が、政治の世界から子供の世界に至るまでまん延していることだ。そういう言葉を「決めつけ語」と言おうか。
 たとえば、戦前から戦後にかけて、核心的な思想を抱く人物に対して、権力者や体制派が陰に陽に投げつけたのは「非国民」とか「アカ」という常とう句だった。特に戦前・戦中においては、共産党員でなくても、リベラルな思想の知識人をも「アカ」のレッテルを貼って排斥した。
 戦後の日本共産党学生運動では、路線の違う相手に対し「教条主義」とか「日和見主義」といった言葉をぶつけ合う内部党争が苛烈だった。「決めつけ語」による論争は何も生み出さなかった。
 こうした「決めつけ語」の危険性は、用語の意味(概念)が不明確なうえに、何を根拠にその「決めつけ語」のレッテルを貼るのか、具体的な事実の検証もないままに使われる点にあった。
 「決めつけ語」の跋扈は恐るべき破壊力を持つ。最近、私が言葉の問題に危機感を抱くのは、次のような理由がある。一つは、論壇において保守派の論客が「自虐史観」とか「売国奴」などといった「決めつけ語」を安易に使うようになってきたこと。
 二つ目は、安倍政権が論敵に対する「決めつけ語」と対照的に、事故の安全保障・外交政策を一語で正当化する「国益」「(戦争)抑止力」といった用語を、具体的に中身の検証をしないまま闊歩させ、安全保障関連法案には羊の仮面をつけた「平和安全法制」などという名称を付すなど、自己美化に精力的になっていること。
 三つ目は、国会で安全保障関連法案に対し野党が「戦争法案」と名付けると、自民党が議事録からの削除を要求したり(結果は削除されず)、テレビ朝日やNHKの報道問題に対し、自民党が事情聴取という形で介入したりするなど言論統制の気配を強めていること。
 このような状況が進むと気がつけば「モノ言えば唇寒し」という国になる。
 ちなみに、原発の大津波対策が取られていなかったのは、決して「想定外」だったからではない。政府事故調による旧経済産業省原子力安全・保安院の関係職員のヒアリングでわかったことだが、2009年から10年にかけて、地震津波の専門家が福島を含む東北地方太平洋沿岸に大津波の可能性を指摘するようになったため、職員が対策に取り組もうとしたところ、幹部から「そのことに関わるとクビになるよ」と言われて、作業ができなくなったのだ。官僚たちが政治の方向に対し、どのような姿勢を取るかを象徴的に示す事例だ。その延長線上に、集団的自衛権の問題や憲法改正の問題があるのだ。

 このような状況を念頭において、ドイツのメルケル首相の来日演説(3月9日)や、米国の日本研究者や歴史学者らが発表した「日本の歴史家を支持する声明」(5月5日)をあらためて読むと、それぞれが安倍晋三首相にしっかり認識してほしいと望んでいるポイントがどこにあるかが、より明確にわかってくる。その要点は、こうだ。
▽ドイツはナチス戦争犯罪を徹底的に糾弾することで、過去としっかり向き合った(自虐史観といった「決めつけ語」は生まれなかった)。
▽その徹底した過去との向き合い形をフランスなどの戦勝国側も受容し、寛容な姿勢で和解に応じた。
▽過去の過ちと向き合う方が、関係近隣諸国が戦後の日本の平和や人権擁護の貢献に信頼感を増し、今後の日本の発展に大きなプラスになる。
 過去の過ちに対する謝罪と反省は、加害者側が一方的にこれで十分と決めるものではない。社会的な犯罪事件や事故の例を見ればわかるだろう。その認識不足が韓国や中国との真の和解を阻害している要素の一つになっている。今年8月に予定されている戦後70年にちなむ首相談話で、安倍首相がどのような言葉を使うのか、その使い方は「言葉と政治」の状況を一段と暗転させるのか、それとも劇的に好転させるのか、その分かれ目になるだろう。
やなぎだ・くにお 作家。
    −−「柳田邦男の深呼吸:[言葉と政治]危うい安倍政権の言説」、『毎日新聞』2015年05月23日(土)付。

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