覚え書:「書評:若冲  澤田 瞳子 著」、『東京新聞』2015年05月24日(日)付。

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若冲  澤田 瞳子 著  

2015年5月24日

◆豊潤な絵の向こうの素顔
【評者】葉室麟=作家
 鶏を庭に放し飼いにして、その姿態を描き続け、傑作「動植綵絵(どうしょくさいえ)」を完成させた若冲(じゃくちゅう)は、天才絵師の趣があるが、ひととなりはよくわからない。かつて若冲は京都の錦市場で四代続く問屋「枡屋(ますや)」の主人で、しかも京都画壇で知られた絵師だが、家業を顧みず、家に引きこもって絵を描く<おたく>の元祖だと思われていた。ところが近年の研究で、町奉行所が錦市場の営業停止を行った際、粘り強く交渉し、再開にこぎつける常識を備えた市井の人物であり、したたかな商人としての一面もあることが明らかになった。
 しかし、過剰なまでに艶(つや)やかな光芒(こうぼう)を放つ絵から受ける若冲の印象はそれとも少し違う。若冲が描く、俗にまみれることを拒む気概に満ちた雄勁(ゆうけい)な鶏のように、ただならぬ物を胸に秘め、この世から逸脱したひとではなかったかと思わせるところがあるのだ。
 若冲とはどんな人物だったのか。澤田瞳子さんの本作は、こんな疑問に見事な解答を与えている。生涯、妻帯しなかったと伝えられる若冲に実は若いころ妻がいたのではないかと想像し、さらに若冲の心に深い傷があるのではないか、と思いをめぐらせて、謎を解く鍵をたぐり寄せている。無論、これは澤田さんの解釈による若冲で、違う若冲像を美術ファンが思い浮かべることを妨げるものではない。しかし、濃密な物語の中に浮き彫りにされる若冲の素顔は説得力がある。
 特に若冲の贋作(がんさく)を描いた絵師、市川君圭(くんけい)を物語に登場させた作者の手腕はあざやかだ。若冲が光であるならば、君圭は影である。物語の進行とともに光と影は愛憎流転の世界を彷徨(さまよ)い、響き合う。読者は、若冲の豊潤な色彩、鋭い切れ味の描線の向こうに人間の慟哭(どうこく)を聞くに違いない。
 安部龍太郎さんの直木賞受賞作『等伯』、山本兼一さんの『花鳥の夢』の狩野永徳に続く絵師の物語が誕生した。もはや、若冲はわからない、と言うひとはいないだろう。
 (文芸春秋・1728円)
 さわだ・とうこ 1977年生まれ。作家。著書『孤鷹の天』『日輪の賦』など。
◆もう1冊 
 狩野博幸著『若冲−広がり続ける宇宙』(角川文庫)。再発見された「象と鯨図屏風」をはじめ主要作品の解説と新たな若冲像を展開。
    −−「書評:若冲  澤田 瞳子 著」、『東京新聞』2015年05月24日(日)付。

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