覚え書:「書評:21世紀に、資本論をいかによむべきか? フレドリック・ジェイムソン 著」、『東京新聞』2015年05月24日(日)付。

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21世紀に、資本論をいかによむべきか? フレドリック・ジェイムソン 著

2015年5月24日
 
◆失業者をどうするか探る
【評者】〓秀実=文芸評論家
 資本主義のグローバル化で先進国においても貧困や格差、失業の問題が再び問題化されるに及んで、二十世紀には失効を宣告されたはずの『資本論』が、時として呼び出される。先に日本でも話題になったピケティの『21世紀の資本』も、確かに、マルクスが念頭に置かれてはいた。
 本書は、現代アメリカの有力なマルクス主義理論家が、改めて『資本論』(主に第一巻)に取り組んだものである。邦訳書名はピケティを踏まえているが、原著刊行はピケティ以前であり、現代資本主義で露呈した諸矛盾への問題意識に発しながら、内容はピケティと何の関係もない。
 『資本論』に沿って「商品」の分析から始め、「貨幣」「資本」を論じていく本書の論述は、価値論(商品論・貨幣論)が単に経済学の領域にとどまらず言語論や文学、政治学の問題でもあることに馴染(なじ)んでいる日本の読者には入りやすいだろう。しかし著者の目論見(もくろみ)は、そこには留(とど)まらない。商品や貨幣から「資本」へと論を進め、「『資本論』は失業についての本なのである」と断言するところに面目がある。
 資本主義は常に産業予備軍という形で失業者を必要としていた。そのような存在をプールし養う場が、かつては農村だった。しかし、現代日本の農業政策を見ても知られるように、もはや先進資本主義国は農村を必要としない。だとすれば、資本主義は失業者をどこで養うのか。
 このような資本主義の行き詰まりに対応すべく、さまざまな立場から提起がなされている。しかし、それらは多くの場合、社会民主主義的なものか、さもなければアナキズム的なものである。とりわけ、かつてマルクス主義を自認していた者が、そうである。マルクス自身でさえ、ふと、そういった言葉を漏らしもしたからだ。しかし、著者はマルクス主義者としてそのような提起が資本制の矛盾を克服しえないことも主張し、揺らぐところがない。
 (野尻英一訳、作品社・2592円)
 Fredric Jameson 1934年生まれ。米国の現代思想家。著書『政治的無意識』など。
◆もう1冊 
 J・アタリ著『世界精神マルクス』(的場昭弘訳・藤原書店)。世界と人間の全容を探究し、予見した思想家の実像に迫った評伝。
※〓は、糸へんに圭
    −−「書評:21世紀に、資本論をいかによむべきか? フレドリック・ジェイムソン 著」、『東京新聞』2015年05月24日(日)付。

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