日記:「お国のため」に「役に立つ」人間だけが、この国では「人間」として「認定」され、少しでも役に立たない「人間」は「人間」としては扱われない。
先日、勤務先の精神科閉鎖病棟の保護室10年選手の統合失調症の患者さんが「退院」しました。ただ「退院」といっても、実際は「転院」という話ですが(涙。
戦場で殺し合いやらなくても、この国では、人間の「値打ち」をランク付けして、正常/異常という人間の定義からお金や貧困という名の抑圧という「実弾」に至るまで−−様々な理由で殺し合いが行われていると思いますよ。
まあ、要するに、「お国のため」に「役に立つ」人間だけが、この国では「人間」として「認定」され、少しでも役に立たない、否、足をひっぱるような者は…憲法で生存権が明記されているにもかかわらず…「人間」としては扱われない。
しかもそれを煽るのは国民の代表たち。これを戦争状態と呼ばず何と呼べばいいのでしょうか。
だいぶ前にも言及したと思いますけど、病院で「過ごす」ということは、そこで「生活」する訳ではないんですよ。厚労省は推奨ですがいくら環境を整えても、そこはあくまでも「過ごす」場所であり「生活」する場所ではない。人間の生きる時間が「カット」される訳ですよ。そこに鈍感になったらアウトだと思います。
病院で「過ごす」間の環境や待遇をよくしようということを否定しようとは思いません。ただしかし、病院は「住む」ところではありません。
この1mmのズレが、人間を排除し囲い込もうという善意と交差したときほど目も当てられないものは他にはありませんよ。ついでにいえば、利用者の待遇改善には職員の環境改善も言うまでもなく必然ですけどね。
さて……例えばさ、考えてみ。
生産性として「国家(ないしは所属する共同体)の役に立つ」という議論ですけど、子供なんか、まったく「役に立たたない」訳ですよ。ほ乳類の中で生育に最も手間のかかるのが人間ですけど、その生育時代に「役に立つ」ようしばかれるという錯誤。そら、ものすごいストレスですよ。
ことあるごとに「努力していない」「役に立たない」……って人間の尊厳を貶めて、ロボットのような人間を作り出していく社会のおぞましさ。
何度でも言うけど、葬式に白い靴下はいていくのは本来の「自由」とは異なる「恣(ほしいまま)」という唾棄すべき「やんちゃ」だとは思いますが、規律権力の「要請」に何も矛盾も感じない思考停止が「平和ボケ」て軽々しく言っちゃう訳よ。
この錯覚に敏感になるほかありませんよね。