覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『棟方志功の原風景』=長部日出雄・著」、『毎日新聞』2015年06月07日(日)付。

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今週の本棚:三浦雅士・評 『棟方志功の原風景』=長部日出雄・著
毎日新聞 2015年06月07日 東京朝刊

 (津軽書房・3456円)

 ◇ポストモダンの先駆を描く絵物語

 小説家・長部日出雄の代表作の一つ『鬼が来た 棟方志功伝』が出たのは一九七九年。それから三十六年後に刊行された本書はあたかもそのエッセンスである。とはいえ、前書が棟方志功の人生に即した評伝ならば、本書は作品に即した絵物語。作品を生み出した人生の機微を描いて、絵そのものを彷彿(ほうふつ)とさせる。同時にいっそう強く、志功という稀有(けう)の美術家の人柄を感じさせる。

 全十七章。第一章は「善知鳥(うとう)版画巻」。謡曲「善知鳥」の舞台は前半が越中立山、後半が陸奥外の浜。この外の浜の善知鳥こそ、志功の故郷青森の古名にほかならなかった。善知鳥神社は幼い志功の遊び場だったのである。故郷の古名がそのまま能の舞台になっているとは志功は知らなかった。それを教えてくれたのは志功の後援者で高級官僚だった水谷良一だが、水谷のほうは、陸奥は知っていても青森の古名が善知鳥であるとは知らなかった。演能の心得のある水谷は志功の前で舞ってみせる。悲しい物語が紹介されてゆくその左頁(ページ)に、志功の画が挿入されてゆく。こうして能に取材した志功の「善知鳥版画巻」が成立し、「版画としては官展始まって以来の特選に輝いたのである」と。

 画家の作品と人生を語るにじつに巧みな工夫である。以下、第二章「大和し美(うるわ)し」、第三章「華厳譜」、第四章「釈迦(しゃか)十大弟子」と、作品を題とする章が第九章「湧然する女者達々(にょしゃたちたち)」まで続く。たとえば、志功に国際的な名声をもたらした「釈迦十大弟子」では、そのモデルが志功の示唆する奈良興福寺のそれではなく、京都大報恩寺すなわち千本釈迦堂のものであろうとする説得力ある推論が展開された後に、話は、制作された一九三九年から一気に五六年のヴェニスビエンナーレの日本館へと飛ぶ。吉阪隆正の建築の素晴らしさが紹介され、それを舞台として「釈迦十大弟子」が登場したときの欧米人の興奮が、学者や批評家の文章を通して語られてゆく。

 だが、ビエンナーレのグランプリを獲得したにもかかわらず、志功に対する日本国内の反応は冷ややかだった、と転じてゆく著者の筆致は見事というほかない。国際的にはシャガールに匹敵するほどの評価を獲得しながら、国内での評価は低い。それはいまなお変わっていないのではないか。第十三章「アメリカへの旅」、第十四章「インドへの旅」、そして青年・志功へと遡(さかのぼ)る第十五章「青森への旅」と、成功物語として鮮やかな展開を見せながらも、どこか鬱屈を感じさせるのは、志功への評価がいまなお国内的にはむろんのこと国際的にも十分にはなされていないからに違いない。

 著者は、第七章「挿頭花(かざし)板画集」で、志功の襖絵(ふすまえ)の描き方がほとんどアクション・ペインティングに等しかったことを、同時代のポロックを引き合いに出しながら書いている。また、第十二章「沖縄への旅」では、沖縄と青森の方言の類似性を指摘しながら、志功が絵の中に堂々と文字を書き込んだことの重要性を説いている。挿絵は「いろは板画柵」。志功の絵は一方では舞踊に接し、他方では文学に接している。この領域侵犯性こそ再評価されるべきだと示唆しているのだ。

 志功こそポストモダンの先駆だったのではないか。志功は保田与重郎と近しかった。保田がドン・キホーテなら志功はサンチョ・パンサだが、本来的な意味でのポストモダンすなわち「近代の超克」を成し遂げたのはサンチョ・パンサのほうだったのではないか。本書はそういうことを考えさせずにおかない刺激的な一冊である。
    −−「今週の本棚:三浦雅士・評 『棟方志功の原風景』=長部日出雄・著」、『毎日新聞』2015年06月07日(日)付。

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