覚え書:「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に 作家・半藤一利さん」、『毎日新聞』2015年06月08日(月)付夕刊。

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特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に 作家・半藤一利さん
毎日新聞 2015年06月08日 東京夕刊

(写真キャプション)半藤一利 作家=明田和也撮影

 ◇「非国民」にされる空気

 1年前と同じ喫茶店の同じ席で、作家、半藤一利さん(85)は「あれから、まだ1年しかたっていないんですね」と小さく笑った。

 この人の指を何度思い返しただろう。昨年5月のインタビューで、安倍晋三政権が集団的自衛権を行使可能にする憲法解釈の変更に踏み出したのを受けて「私たちにできること」を問うた時、半藤さんは何度も指で空をつまむ仕草を繰り返し、言った。「戦争の芽を一つ一つつぶしてかかるしかない。こんなふうに、自分の手で」

 あの日、この指の力強さを忘れまい、と思ったのだった。

 「この1年で国は随分変わりましたね。『戦争の芽』は指ではもうつぶせないくらいに育ってしまったようだ。戦後70年の間で、今ほど国会で『戦争』が論じられた日が過去にあったでしょうか。70年間、常に平和を論じてきたはずなのに」

 再び会いたくなったのには理由がある。海外での自衛隊の活動の拡大を図る安全保障関連法案が閣議決定された5月14日夜、安倍首相は記者会見で「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にない」と断言した。迷いのない言葉を聞いて、ふと、「絶対」という言葉を使わない作家の存在を思い出したのだ。

 東京大空襲の焼け跡で14歳だった半藤少年は「絶対に日本は正しいとか、絶対に神風は吹くとか、すべてうそだ」と思い知った。それ以来「絶対」という言葉を使わないと決めた。そんな半藤さんは安倍首相の「絶対」をどう聞いたのだろう。

 「絶対、などとなぜ言い切れるのか。あの言葉に心から安心できた人がいたのでしょうか」。そう言いながら小さな紙切れを見せてくれた。国会で審議中の自衛隊法改正案など11の安保関連法案の一覧や、武力行使できる新旧「3要件」の相違点が書かれていた。「要点がわかりにくいのでメモを持ち歩いているんです。国会中継を見ていても、武力行使と武器使用は違うとか、後方支援は武力行使に当たらないとか議論がよく分からない」

 「分かりにくさ」は意図されたものだ、という。「安倍さんが語るのは理念だけ。集団的自衛権の行使が可能となる『存立危機事態』を説明するのにも、具体的な『仮想敵国』一つ挙げない」。確かに、国会で議論になっている具体的な地域といえば「中東のホルムズ海峡」や「南シナ海」しか思い出せない。

 「朝鮮半島や日本近海での有事を語らない。国民が戦争を具体的にイメージし、恐怖や不安を感じ始めるのを巧妙に避けているかのようじゃないですか」

 分かりにくい理由のもう一つは、安保法案の一括審議だ。

 「麻生太郎副総理が2年前、改憲について『ナチスの手口に学んだら』と発言したことで、立法権を国会が政府に委任した『全権委任法』が話題になりました。しかし実は、同法より前、ヒトラーは国会決議を経ない閣議決定で大統領緊急令を発令させ、ワイマール憲法を空洞化し、幾つかの法を一束にしてまとめて変え、国民の自由を制限しました」

 メモや資料を順々に示していた細く長い指が急に止まる。半藤さんは視線を上げると静かに言った。「安保法制の進め方にも似ていませんか?」

 昨夏から新しい連載を書いている。隔月刊雑誌「こころ」(平凡社)の「B面昭和史」だ。「政治家や軍人が刻んだ歴史がA面だとすれば、人々の暮らしや風俗から読み取れるのがB面の歴史。私たち民衆がかつてどんなふうに政府にだまされ、あるいは同調し、戦争に向かったのかをどうしても書き残しておきたいのです」と話す。

 戦前の民衆の暮らしがじわりじわりと変わる様子が描かれる。昭和2、3年ごろは盛り場をモダンガールと歩いた男性が、7、8年後には官憲から「非常時にイチャイチャするとは何事だ」と批判される。軍縮や対中国強硬論反対をぶっていたはずの新聞が読者の期待に沿うように<勝利につぐ勝利の報道>へとかじを切り、これがさらに読者の熱狂をあおる。「銃後」の言葉の下、女たちが自主的に兵士の見送りや慰問を始める……。<決して流されているつもりはなくて、いつか流されていた>。そんな一文にドキリとした。

 「昭和の最初、米英批判は極端な意見に過ぎなかった。ところが人々がそれに慣れ、受け入れるうちに主流になった。リベラリストが排除され、打倒米英を本気で唱える社会となっていった。国定教科書改訂で『修身』が忠君愛国の精神を強調した数年後には『日本臣民』が続々と世に増えました」

 あのころだって日本には、ヒトラーのような圧倒的な独裁者がいたわけではなかった。

 「むしろ政治家は、民衆のうちにある感情を受容し、反映する形で民衆を左右した。最初は政治家が世論を先導しているようでも、途中から民衆の方が熱くなり、時に世論が政治家を駆り立てたんです」

 では私たちはどうすれば、と問うたら、半藤さん、「隣組を作らないこと、でしょうか」。意外な答えに不意を突かれた。

 「この国に今すぐ戦前のような隣組ができるとは思いません。でも今回の安保法案が成立すれば『非常時だ、存立危機事態だ』と人々の暮らしが規制され、できるかもしれませんよ、隣組」と笑顔のまま、怖いことを言う。

 こんな例を挙げた。「仮に自衛隊が海外派遣されるとする。『私たちのために戦いに行く彼らを見送ろう』と声が上がる。見送りすることは悪いことではないから批判しづらい。しかし見送りに参加しなければ『非国民』呼ばわりされかねない空気が段々と醸成されていく。ありえると思いませんか」

 やっと分かった。だから“歴史探偵”はB面の歴史をつづり始めたのではないか。私たちが同じ失敗を繰り返さないように。当事者として歴史から学べるように−−。

 半藤さんは今、異なる言論に対する許容度が極端に落ちていることも深く懸念する。「閉鎖的同調社会になりつつあるのではないでしょうか。似た考えの仲間だけで同調し合い、集団化し、その外側にいる者に圧力をかける。外側にいる者は集団からの圧力を感じ取り、無意識に自分の価値観を変化させ、集団の意見と同調していく。その方が楽に生きられるから」。隣組はすぐその先だ。

 「今はまだ大丈夫。こうして私たちが好き勝手なことを話し、書けているうちはね」。半藤さんは朗らかな声で私を励ました後、ゆっくりと言い添えた。

 「だから異なる考えを持つ人と語り合い、意見が違っても語り合えるだけの人間関係を築きましょう。物言えば唇寒し、と自分を縛らず、率直に意見を述べ合い、書いていきましょう」

 テーブルの上に置かれた半藤さんの手を再び見つめた。言葉を紡ぐことを諦めないこの手こそが、戦争の芽をつむのだ、きっと。【小国綾子】

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 ■人物略歴

 ◇はんどう・かずとし

 1930年東京生まれ。東大文学部卒。「文芸春秋」編集長を経て作家に。「昭和史」で毎日出版文化賞特別賞。近著は「日露戦争史」1−3巻。近く「十二月八日と八月十五日」(文春文庫)を出版。
    −−「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に 作家・半藤一利さん」、『毎日新聞』2015年06月08日(月)付夕刊。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150608dde012010004000c.html






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