日記:その声をあげるに「遅い」も「早い」もありませんよ

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古参の批判者から当てこすり案件が連発しているようなので、ひとつ。

今回、創価学会員が、自公政権の進める安全保障法制にNoと声を上げ始めましたよね。先日も言いましたが、これは分派工作でも離反でもなく、世界平和を願い、現場で社会包摂をしっかりとやって来たからこそ「違うやろう」というNoなんですよ。その声をあげるに「遅い」も「早い」もありませんよ。

僕自身は、創価学会員の二乗のきちがいで成仏できない人間なんですけど、信仰として真理を譲らないという話はOKよ。しかし、この世の出来事に関して先験的な真理の実在をめぐる闘争なんてやろうとは思いませんよ。牧口先生も、だからこそ「人道競争」いうた訳ですからな。だから遅いも早いもない。

現在の安保法案に反対するために苦渋の決断をして三色旗を掲げて国会を包囲する学会員に、そいつらより「おれは目覚めている」と自認して、なんで特定秘密保護法批判せんかったんやって、それアホやろ。気がついた時がスタート。そこから始めればええの。それなら国旗国歌、教育基本法から言え、アホが。

それぞれおなじ方向をむいているのだけど、ちょとした交差のズレがあって、それ自体を批判する筋道はないのだけど、いらだちとしてぽろっとして出てしまうことがある。これは僕にもある。だから、そういうつまらないことで目指すべき何かを潰えないように努力はしたいと思っている。




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