覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『バイオエピステモロジー』=米本昌平・著」、『毎日新聞』2015年10月04日(日)付。

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今週の本棚:養老孟司・評 『バイオエピステモロジー』=米本昌平・著
毎日新聞 2015年10月04日 東京朝刊



 (書籍工房早山・4320円)

 ◇根源的に考える出色の現代生物学批判

 表題を見ただけで、尻込みする人がありそうである。むずかしいんとちゃうか。関西人ならそういうかもしれない。逆に、ナニナニ、読んでみようかな、と刺激を受ける人もあるかもしれない。べつにむずかしくない。生きものを本気で「科学的に」理解しようと思う人なら、この本の内容はよく理解できるはずである。

 生物と無生物の違いは、ほとんどだれでも知っている。では訊(き)くが、どこが違うのか。生物には無生物にはない、なにか根本的な性質があるでしょうが。素直にそう思った人は現代の生物学ではバッテンが付く。そういう考えを生気論という。まあ十九世紀の残渣(ざんさ)だなあ。そういわれるであろう。生物は細胞からできている。その細胞は分子からできていて、その分子は物理化学的にふるまう。だからそれを全部調べ上げれば、細胞は理解できる。たぶんそう教えられると思う。

 以前書いたことがある。人間はロケットを飛ばして月に行った。でも飛ぶというなら、ハエでもカでも飛ぶ。悔しかったら、ハエでもカでも作ってみろ。

 バイオエピステモロジーとは、生物をどう考えるか、その基本となる考え方である。直訳すれば、生物の認識論である。著者はそれを自然哲学と呼ぶ。そして話は十九世紀ドイツの自然哲学、ドリーシュを代表とする生気論から始まる。なんでそんな古臭い、いわば死んだような学説を持ち出すのか。それにはきちんとした理由がある。現代生物学つまり細胞生物学、分子生物学が、暗黙に依(よ)り立っている哲学がある。それがどういうものであるか、現にその分野で働いている研究者たちは、それをかならずしも意識していない。それをきちんと意識させるために、現在と過去を対比する必要がある。著者はそれを「冥界対話」と呼ぶ。じつは生気論は過去の亡霊だとする、その思い込みこそが、むしろ過去の亡霊なのである。著者はそれを現代の分子生物学の教科書から例示して指摘する。

 それなら生気論が正しいのか。そんなことを著者は主張していない。歴史的な探求の後で、話は熱力学の第二法則をめぐる論考になる。「エントロピーは増大する」という、あれである。文系の人がこの本を読むときに、おそらくいちばん難渋するのは、ここだと思う。高校までの物理では、たぶん熱力学を教えていないからである。

 大学の一般教養の授業で、学生に訊いたことがある。コップに水が入っているとする。そこにインクを一滴落とす。しばらくするとインクが消える。どうしてか。学生の返事は見事なものだった。「そういうものだと思ってました」。考えない、考えたくない。そのためには、こういう態度がもっとも効果的である。大学入学まで、長期にわたる教育課程の中で、学生はいかにすれば考えないで済むか、それを上手に学んでくるのであろう。

 ネズミに青い色素を注射する。学生実習の準備で助手のころにやったことがある。一週間続けるとネズミが全体に青くなる。このネズミの皮膚をとって顕微鏡で見る。青い色素はすべて、細胞の中の粒に取り込まれている。コップの水と違って、ネズミの体全体に均等に分布しているのではない。しかも脳はほぼ真っ白。これが生きものなのである。

 とりあえず第二法則を理解しているとしよう。それなら世界は秩序から無秩序に向かうはずである。生きものはその点では例外だといっていい。どうしてそうなるのか。著者は細胞について「C象限の自然」という表現を与える。それは「細胞膜から内側の小世界は、それ自体が、熱力学第二法則に抗する機能を分子の組合せとして実現した自然の領域」だと定義される。Cとは細胞(Cell)を意味する頭文字である。

 この先の論考は実際に本を読んでもらったほうがいい。ただし提示されているのは解答ではない。哲学つまり見方である。細胞をこう考えれば、生命の起源も具体的に考えやすくなる。

 著者は現代の生物学が依って立つ基盤を「薄い機械論」だと表現する。徹底的な機械論、つまり無生物も生物も完全に同じだといえば「強い機械論」だが、タテマエ上ならともかく、分子生物学者もそこまではいわないであろう。そういってしまえば、生物学自体が本質的には不要となる。さらに、じゃあ生きものとはなんだ、と問われて、返答に困るはずである。

 本書は現代生物学批判として出色のものである。生物学に関わるか、それに関心を持つ人にとって、必読の文献であろう。本書を読んで、私は大学紛争の当時を思い出した。なぜ学問をするのか。当時の学生は、語の真の意味でのラディカルな疑問を大学人に突き付けた。このことが、当時「あたりまえの」研究者として立つつもりだった私の一生を、ある意味で変えてしまった。著者はあくまでもラディカルに、すなわち根源的に、考えようとする。これが哲学の王道であろう。
    −−「今週の本棚:養老孟司・評 『バイオエピステモロジー』=米本昌平・著」、『毎日新聞』2015年10月04日(日)付。

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