覚え書:「書評:アジアのなかの戦国大名 鹿毛敏夫 著」、『東京新聞』2015年10月11日(日)付。

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アジアのなかの戦国大名 鹿毛敏夫 著

2015年10月11日

◆武力より国際感覚を磨く
[評者]渡邊大門=歴史学者
 著者は、「アジアン大名」の提唱者として知られる。「アジアン大名」とは、「守護大名」や「戦国大名」という定義の枠組みを越え、中国大陸に近い九州の地の利を生かし、アジア史の史的発展の中に領国制のアイデンティティーを追求した大名と定義される。そして、本書の主人公は、主に九州に勢力基盤を置く諸大名である。
 銀といえば石見銀山生野銀山などが有名である。しかし、肥後・宮原でも銀が産出されると、相良(さがら)氏は独自に銀を遣明船で輸出し、シルバー・ラッシュに沸いた。相良氏は肥後の中小大名であるが、武力ではなく交易により活路を見出したのである。
 十六世紀半ばから日明間の勘合貿易は衰退するが、逆に私貿易が発達する。すでに国内では、硫黄の需要が着火剤などとして高まっていたが、鉄砲の普及に伴い、火薬の材料として注目された。硫黄は九州での採掘が盛んになり、中国に輸出された。九州で産出される硫黄は、ドル箱であった。
 また、戦国期には九州に渡来する中国人が増え、豊後・大友氏の城下には唐人町が形成された。中国人は高度な専門的能力により、その地位を上昇させる。国際的な都市は、九州の地でも根付いていたのである。
 大友、島津、松浦(まつら)の各氏は中国だけでなく、東南アジアのカンボジアと外交関係を結ぶ。やがて、ポルトガルやスペインが東アジアに進出すると、九州の諸大名は「アジアン大名」から「キリシタン大名」へと変貌した。彼らが西欧諸国と友好関係を結ぶ下地となったのは、アジア諸国との交流で研ぎ澄まされた国際感覚だ。
 このように、本書は戦国大名の国際化戦略をダイナミックに描いている。戦国時代といえば、織田信長ら著名な大名の合戦が注目されがちである。しかし、すべての戦国大名が天下とりを狙ったという考え方は疑問視されており、視野をアジアに広げた大名の国際性にも注目すべきだ。
 (吉川弘文館・1836円)
 <かげ・としお> 名古屋学院大教授。著書『大航海時代のアジアと大友宗麟』など。
◆もう1冊
 岡田章雄著『キリシタン大名』(吉川弘文館)。戦国末期に伝来したキリスト教に多数の武将が入信した動機やその後の命運を考察。
    −−「書評:アジアのなかの戦国大名 鹿毛敏夫 著」、『東京新聞』2015年10月11日(日)付。

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