覚え書:「科学の扉:記憶を操作する マウスの脳、書き換え成功」、『朝日新聞』2015年12月20日(日)付。

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科学の扉:記憶を操作する マウスの脳、書き換え成功
2015年12月20日

記憶を操作する<グラフィック・野口哲平>
 記憶を書き換える――。SF映画のような話が、動物実験で可能になった。「記憶」は、脳の中で何らかの変化が起こり、維持されることだ。古くからあるこの概念が、神経細胞の活動を操作する技術が進歩して実証された。偽の記憶作りや記憶を消す実験がなされている。記憶の実態解明が進む。

 えさを見つけた場所、襲わログイン前の続きれた敵の姿、早く逃げるための体の動かし方……。生物は生き延びるために、遭遇する出来事に機敏に対応し、そうして学んだ情報を次に必要な時に再び取り出せる状態で維持しておく。この過程が、記憶の本質だ。

 記憶は脳にたまるとギリシャ時代から考えられていた。いまは、脳内に神経細胞のネットワークがあって、情報が伝わることがわかっている。現代の研究者たちは、神経細胞のつなぎ目の性質が変化し、情報の伝わりやすさが変わることで記憶ができると考える。何らかの刺激が入った時に、その神経回路が素早く同じパターンの活動をすることが、記憶を思い出すことに当たるというのだ。

 最近、脳の解析技術が急速に進歩し、格段に高い精度で脳の中が見えるようになってきた。膨大な数の神経細胞のうち、記憶を作る過程でどの細胞が使われたかがわかるようになり、その細胞が作る神経回路を操作できるようになった。

 複雑な記憶の仕組みの解明が進めば、アルツハイマー病や、つらい記憶がフラッシュバックするなどで苦しむ心的外傷後ストレス障害(PTSD)など、記憶にかかわる病気の治療法の開発につながる可能性もある。

 ■光で細胞を刺激

 富山大の井ノ口馨教授らのグループは、別々に起きた二つの記憶を人工的に結びつけ、一つの「偽の記憶」をマウスに作らせることに成功した。

 マウスを丸い箱に入れて遊ばせ、丸箱にいた記憶を作る。次に、別の場所で弱い電気ショックを与えて怖い経験をさせる。その時、すぐに移動させてショックを受けた場所は記憶させないようにする。

 翌日ある操作をし、翌々日にマウスを丸箱に戻すと、電気ショックを受けたかのようにすくんで身動きがとれなくなった。

 この実験は「光遺伝学」と呼ばれる技術を使った。特定の活動をした時に活性化した細胞群だけに、光に反応する特殊なたんぱく質を作るように遺伝子操作する。すると、このたんぱく質をもつ細胞群は光が当たると活性化するようになる。いわば「光スイッチ」つきの細胞だ。

 グループは、丸箱に入れた時と、電気ショックを受けた時に活性化したマウスの神経細胞群をそれぞれ特定した。それらを、脳に挿した光ファイバーで同時に活性化させた。二つの記憶が一緒によみがえり、「丸箱で電気ショックを受けた」という偽の記憶ができた。

 記憶の研究分野では、理化学研究所利根川進脳科学総合研究センター長らが、この方法で記憶痕跡をもつ細胞群を2012年に特定して注目された。考え方としては古くからあったが、実験で初めて証明した。記憶を作る時に活性化した細胞群が再活性化することが、記憶を思い出すことにあたることを実証した。特定の記憶を蓄えた細胞群を光で人工的に操り、記憶を思い出させられるようになった。

 ■神経構造に注目

 神経細胞が活性化して記憶を蓄える時に何が起こるのだろう。東京大の河西春郎教授や林朗子特任講師らの研究グループは、シナプスと呼ばれる神経細胞のつなぎ目の微細構造に注目した。シナプスは、1マイクロメートル(マイクロは100万分の1)以下のとげ状の「スパイン」という構造の上にできる。

 マウスが回転車で運動した時のスパインの変化を調べた。回転車の回転速度を上げると、初めは速さについていけなくて車から落ちる。慣れて落ちないようになったマウスの脳を調べると、運動をつかさどる領域で一部のスパインが大きくなっていた。大きくなったスパインが作る神経回路が、この運動の記憶を担っていると考えられた。

 研究グループは、特殊な顕微鏡や遺伝子組み換え技術、光操作を駆使して、スパインを人工的に小さくする技術を開発した。回転速度を上げても落ちないで運動していたマウスのスパインを小さくすると、速い回転で再び落ちやすくなった。特定の神経回路のスパインの大きさを人工的に変えることで、学んだ記憶が消えることを示した。

 「個別の記憶と、その記憶を担う神経回路が精密に対応することが確からしくなってきた」と河西さんは話す。記憶を思い出したり忘れたりする仕組みや、病気との関係も調べたいという。(瀬川茂子)

 <光遺伝学とは> 光技術と遺伝学の手法を組み合わせた技術。光に反応する微生物由来の特殊なたんぱく質を特定の神経細胞で働かせ、その細胞を光で自在に活性化したり不活化したりする。オプトジェネティクスとも呼ばれる。電気刺激や薬物を使っていたこれまでの手法よりも、どの神経細胞を活性化すれば特定の行動に結びつくのかが、動物が動き回っている状態でも精度よく調べられるようになった。2005年ごろから使われ始め、急速に普及した。いまも技術の改良が進んでいる。

 ◇「科学の扉」は毎週日曜日に掲載します。次回は「進化する気象の数値予測」の予定です。ご意見、ご要望はkagaku@asahi.comメールするへ。
    −−「科学の扉:記憶を操作する マウスの脳、書き換え成功」、『朝日新聞』2015年12月20日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12125994.html





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