覚え書:「選べない国で:自由とは何か 平川克美さん、大田弘子さん、蛭子能収さん」、『朝日新聞』2016年01月06日(水)付。

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選べない国で:自由とは何か 平川克美さん、大田弘子さん、蛭子能収さん
2016年1月6日
 
 何でも自由に選べることほど、魅惑的なことはない。でも、現実にはそれは簡単ではなく、自己責任もつきまとう。今の日本社会で「自由」と「選択」が持つ意味とは。

 

 ■国が個人に責任押しつけ 平川克美さん(文筆家)

 国が「自由に選べ」と言う時、その基底にあるのは自己決定、自己責任という考え方ですね。自分で選んだのだから自分で責任を取れと。国民国家が果たすべきセーフティーネット機能を、個人に押しつけているということです。

 背景にあるのは人口動態の変化とグローバル化です。人口減少で総需要が減り、市場が縮小するから右肩上がりがもう見込めない。国が個人の職業や安全を保障する余裕がない。グローバル化で、労働者は途上国の最低賃金労働者と競争させられる。「自由に選べるようにする」と言えば聞こえはいいが、国家がその本来の責任を果たせなくなっているということなのです。

 典型的なのは雇用です。1980年代に労働者派遣法ができたとき、経営側の狙いは人件費を固定費から変動費に変えることでした。でも、多くの働く側も「自由な働き方だ」と歓迎し、対象が拡大していった。その結果、選択肢が派遣労働ばかりになり、使い捨ての労働者になるしかなくなってしまったんです。

 多様性というのは、衣食が足りて初めて出てくる考え方で、その前は生き延びるために何でもやらざるをえなかった。もう一度、そこに戻ったということです。多様性の時代と言われているが、実際には本当にやりたいことを選べない時代になっています。

 90年代からよく言われてきた「選択と集中」は、軍事やビジネスの発想です。自分の一番強いところを強化し、相手の一番弱い所をたたく。そのためには、非効率部門を切り捨てる。本来の国民国家の理念は、これとは反対に、非選択と分散です。国は誰も選ばず、みんなを包摂する。しかし、これは短期的には非効率なやり方です。「選択と集中」によって効率を最大化するのは、短期間で利益の最大化をめざす株式会社の株主にとっては必須の戦略なのかもしれません。

 いまは何に対しても二者択一、「どちらかを選べ」という圧力がかかる。ネット社会になって、それがすごくはっきりしてきた。どちらにも利点と欠点があるから中間に落としどころを探る、という面倒くさいことを誰もやらなくなった。二者択一は、複雑な問題からの逃避です。

 「選択しない」という選択肢だってある。熟慮して、それでも答えが出ないからぐずぐずしているうちに、パッと目の前が開けることもある。でも、人も社会も「決められるひと」を求めている。

 本当はAかBかを選ぶんじゃなく、中間にどんなやり方があるのかをじっくり探ることが大切なのに。多様な思考の結果の中にしか、自由な選択などありえないのです。生きていくうえで重要なほとんどのことは、二者択一ではなく、程度の問題なんです。

 (聞き手・尾沢智史)

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 ひらかわかつみ 1950年生まれ。77年、翻訳会社を設立。立教大学特任教授。著書に「路地裏の資本主義」など。

 

 ■選択肢を広げる構造改革 大田弘子さん(政策研究大学院大学教授)

 個人の選択の自由を広げ、企業の創意工夫を最大限に生かす。政府は公正な競争を担保する環境整備に徹する。これが新自由主義の考える「経済的な自由」です。小泉政権構造改革は、こうした考えに基づいていました。

 格差を招き、むしろ選べない社会をつくった諸悪の根源との批判を受けていますが、それは「市場原理主義」という誤解に基づくものです。改革の方向性は間違っていないと、今も考えています。

 格差の拡大や中間層の衰退は1990年代に起きたグローバル化やIT(情報技術)革命による競争激化、高齢化や世帯構造の変化によるところが大きい。非正規雇用の増加も90年代後半からです。こうした変化への対応が構造改革であり、多様な人材を最大限に生かす仕組みをつくるのが目的です。

 しかし、第1次安倍内閣で私が担当大臣に就いた頃、与党内からも小泉改革への批判が起きていました。

 改革が遅れれば、ひずみはさらに広がってしまうと私は思います。高度成長期の日本型雇用システムのみを是とする人がいますが、年功序列中途採用の抑制を柱としたこのシステムは、中にいる人は守られますが、外の人には冷たい硬直的な制度です。

 必要なのは、従来型の制度への回帰ではなく、多様な人材が、どんな働き方をしても著しく不利にならないよう改めることです。

 北欧諸国の「フレキシキュリティー」政策が参考になります。柔軟性(フレキシビリティー)と保障(セキュリティー)を合わせた政策です。グローバル化の中で、競争力を失った会社は守らないけれども、そこで働く人が早く次の職を得られるよう職業訓練の機会を豊富に設け、成長分野の産業へ転職できるようにする。柔軟な労働市場と、働く人への保障との両立を図るという考え方です。

 日本ではまだ、労働者側はセキュリティーばかり、経営側はフレキシビリティーばかり強調します。日本に合った仕組みは何なのか。あらゆる人が関心をもって真剣に考えていくことが必要です。

 規制改革も、考え方は同じです。民間の自由な発想や新規参入を妨げる規制を取り除く。政府が口を出す事前規制は最小限にし、事後的な監視強化に切り替える。そうして新しい産業、雇用が生まれる土壌を整えるのです。

 小泉型の構造改革は効果が出るまでに時間がかかり、既得権者の抵抗も強い。このため最近は、需要の喚起に重きを置いた安易な成長策も目立ちます。でも5年先、10年先の産業、雇用を考えるなら改革を怠ってはいけません。それが、個人の自由や選択肢を広げることにつながると信じています。

 (聞き手・田中郁也)

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 おおたひろこ 1954年生まれ。小泉政権時代、内閣府構造改革の立案に従事。第1次安倍内閣で経済財政政策担当相に就任。

 

 ■ほんとに何をやりたいか 蛭子能収さん(漫画家)

 誰に束縛されることなく、人に気兼ねせず、ほんとに好きなこと、やりたいことをする。それが僕の考える自由です。自分が自由であるためにはどうすればいいか、いつも考えて生きてきました。

 自由実現のためには考えねばならないことがいくつかあります。好きなことをするためにはお金が必要で、その金を稼ぐ仕事の際には自由をある程度犠牲にせざるを得ない。ほんとに好きなことと仕事とは違う場合が普通だから、それは割り切らなきゃ。

 次に、他人の自由を尊重しなくちゃいけません。自分がされたら嫌なことを僕は他人にはしません。人に気兼ねするのが嫌だと言っても、万が一人の恨みを買って、それがケンカにでもなって、そのあげく殺されでもしたらかなわない。死んじゃったら、自由も何もないじゃないですか!

 「死ぬ」って嫌です。ついでに言えば、僕はたとえどんな理由であれ、戦争は絶対やってはいけないと強く思ってます。もし戦争になったら、たとえ卑怯(ひきょう)と言われようとも「あなたどうぞ行ってください、オレ、ここで隠れてるから」というタイプです。

 そういったことも考えて、僕が、ああ自分は自由だって実感できる瞬間って何か。それは若いころからギャンブルです。ボートレースです。

 いまも月に1〜2回は朝から競艇場で遊ぶ、完全オフの日をつくってます。百円単位のちまちまとした賭け方ですが、爽快なエンジン音の響く水辺で、日がな一日レースに熱中するわけです。

 「ギャンブル依存症かよ」と言われちゃいますかね。でも何かに依存する状態は、僕の考える自由とは全く逆です。酔っぱらって自分の心が何かに支配されてる感覚が嫌だから僕は酒を飲まないし、借金してまで競艇場に行かない。借金すると貸主に縛られちゃうわけですから。

 逆に、ギャンブルを楽しんでいる限り、身を持ち崩すことはないと思ってます。レースのハラハラドキドキを楽しむために、仕事でお金を稼がなければいけませんから。

 テレビに出始めて30年近くになり、本業の漫画よりタレント業でお金を稼がせてもらってる現状です。それは自分の意思で選んだ結果ではなく、「笑っていいとも!」への出演を誘われたのがきっかけでした。子どものころから断るのが苦手なもんで、それからも断らずに何でも引き受けていたら、仕事がどんどん舞い込むようになって。

 でも僕はいまでも、競艇場の時間を楽しむために仕事をしています。なんか行き詰まってるよな、仕事がつまらないな、自由が欲しいなと思う人は、じゃあ、自分がほんとにやりたいことって一体何なのか、少し考え直してみるといいかもしれません。

 (聞き手・永持裕紀)

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 えびすよしかず 1947年生まれ。23歳で上京し33歳で漫画家に。テレビでも活躍。東京・渋谷のパルコで18日まで個展を開催中。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S12145909.html





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