覚え書:「吉野作造、グローバルな目 1世紀前の東大講義、学生ノートから再現」、『朝日新聞』2016年02月01日(月)付。

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吉野作造、グローバルな目 1世紀前の東大講義、学生ノートから再現
2016年2月1日

三谷太一郎さん
 
 大正デモクラシーの代表的思想家で、「民本主義」を唱えた吉野作造東京帝国大学で行った講義が、当時の学生のノートから初めて再現された。欧州でデモクラシーが一大潮流となり、平等と解放を求める動きが広がるさまを伝える内容で、吉野の理論がグローバルな視野を持っていたことが明らかになった。吉野研究の第一人者、三谷太一郎東大名誉教授に、1世紀を経てよみがえった幻の講義を読み解いてもらった。

 再現されたのは、吉野が行った講義のうち1913、15、16、24年度分。後に名をなす経済学者の矢内原忠雄社会主義運動家の赤松克麿、政治史家の岡義武によるノートを、「吉野作造講義録研究会」(代表・五百旗頭〈いおきべ〉薫東大教授)が校訂・編纂(へんさん)し、1月に岩波書店から『吉野作造政治史講義』として刊行した。

 ノートは各地の図書館などに所蔵されていたが、外国語による表記や崩し字があり、解読が難しく、埋もれたままになっていた。

 日本政治外交史研究者の三谷氏は、「画期的な資料の発掘と出版だ」と高く評価する。

 「吉野は多くの著作を残したが、本務の大学でどのような講義をしたかは知られていなかった。受講者の『実におもしろい講義だった』『感銘を受けて次の年も聞いた』などの回想はあったが、私を含めて研究者も実体を知らなかった。今回の講義録で、民本主義が唱えられた歴史的背景が、初めて明らかになった」

 吉野の講義は、同時代の欧州で台頭してきた社会主義自由主義の潮流を、ベルギーなどの小国にいたるまで詳細に語っている。進行中の第1次世界大戦や中国革命も講じた。今で言えば、欧州の難民問題や過激派組織「イスラム国」(IS)によるテロに触れながら、同時代を政治史として講義するようなものだ。

 「日々刻々変わっていく同時代の現実を素材に講義をしていたわけで、驚くべきこと。優れたジャーナリスト的な能力もあった。その観察や研究から、吉野は世界各地でデモクラシーが勃興しており、日本にもその波が及んでいると考えた。彼は民本主義を、ローカルではなく、グローバルで普遍的な民主主義のあらわれとみた。その背景には、一国単位ではなく、世界的な政治史があったのです」

 そこには、現代においてもくみ取るべきメッセージがあると三谷氏は言う。

 「民本主義が唱えられた当時は、現役陸軍大将だった寺内正毅内閣。寺内が強調したのは『政治は結果がよければよい』という『善政主義』です。一方、吉野は、重要なのは結果に至るプロセスだと訴えた」

 「今の日本でも『政治は結果だ』という『善政主義』が浸透しているようにみえる。大事なのは、『政治が結果に責任を負う』ということであって、結果さえよければ短絡的に政治を進めてよいというわけではない。民本主義は、立憲的な手続きとプロセスを重視する議論なのです」

 さらに、三谷氏が注目するのは、吉野が政治におけるプロとアマを峻別(しゅんべつ)し、党派に関わらずプロを監督するアマ(国民)の役割を重くみたことだ。

 「アマにはアマの指導者が必要です。明治期においては福沢諭吉。大正から昭和にかけては吉野。戦後は政治学者の丸山真男かもしれない。アマに訴える魅力的な文章で国民を啓蒙(けいもう)する政治教育者の伝統が、日本にはあった。いまは、政治家のブレーンはいるが、アマの立場を貫く指導者が見当たらない。アマの指導者の伝統を重視すべきではないでしょうか」

 (三浦俊章、石田祐樹

 ■「民本主義について」 1915年度政治史講義

 民本主義なる字は日本語としては極めて新しく、従来は民主主義の字として称(とな)へられしが如(ごと)し。時としては民主主義又(また)は平民主義と呼ばれたることあり。されとも民主主義といふと社会民主党といふ場合に於(お)ける如く国家の主権が人民にありといふ学説と混同されやすし。(中略)そこで政治上に於(おい)て一般民衆を重んじ、その間に貴賤(きせん)上下の別を設けず、しかも国体の君主制たると共和制たるとを問はず普(あま)ねく通用する主義なれば、民本主義といふ名称は比較的正しと思う也(なり)。

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 よしの・さくぞう 1878〜1933。東京帝国大学法学部助教授時代に3年間欧州に留学、各国の政治動向を観察した。帰国後は活発に言論活動を行い、普通選挙言論の自由を柱にした政党政治を唱えた。中国・朝鮮・台湾の民族主義を評価し、軍部の大陸侵略を批判した。熱心なクリスチャンでもあった。

 ◆キーワード

 <民本主義> 雑誌「中央公論」1916年1月号の論文「憲政の本義を説いて其(その)有終の美を済(な)すの途(みち)を論ず」で提唱した。天皇主権の当時において、主権の所在に関わらず、政治の決定は民衆の意向によるべきだという論。講義の中で「相対的民主主義」と名付けた。
    −−「吉野作造、グローバルな目 1世紀前の東大講義、学生ノートから再現」、『朝日新聞』2016年02月01日(月)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12188025.html





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