覚え書:「今週の本棚・加藤陽子・評 『小林秀雄の流儀』=山本七平・著」、『毎日新聞』2016年01月31日(日)付。

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今週の本棚
加藤陽子・評 『小林秀雄の流儀』=山本七平・著

毎日新聞2016年1月31日 東京朝刊
 
 (文春学藝ライブラリー・1318円)

過去を語り未来を創る力

 正月休み明けの昼下がり、各駅停車は空(す)いていた。ある駅で可愛い声と共に10人ばかりの小学生が乗って来た。喧噪(けんそう)を覚悟していると、三々五々席を占めた子らは、意外にもめいめいの鞄(かばん)からお気に入りの本を取り出し一心に読み始めた。瞬時に本に没入したその顔を眺めていると、次のような考えが浮かんだ。子らは自らの目で読んでいるだけでなく、かつて誰かが読んでくれたその声と共に読んでいるのではないか。紙の本の価値は、人と人をつなぐことにありそうだ、と。

 本書は、名著復刊を掲げる新ブランド「文春学藝ライブラリー」の一冊だ。岡義武『独逸(ドイツ)デモクラシーの悲劇』を三谷太一郎の解説で読む幸福。田中美知太郎『ロゴスとイデア』を、田中の学恩に浴した元『文藝春秋』編集長・岡崎満義の解説で読める幸福。暗い谷間の時代の到来が予想される今、自らの生をしかと支えてくれる本のラインナップはありがたい。

 1983年の小林秀雄の訃(ふ)に接し、『新潮』から追悼文を依頼された時の当惑から山本七平は筆を起こす。小林の全作品を読破していた山本。ならば追悼文などお手のものと思いきや、そうではなかったらしい。山本の読み方はといえば、「自分がしたいことしかしないで生活に破綻を来(きた)さない生き方」をした小林の極意を掴(つか)もうとするやり方だった。よって、自らが「生きている限り、何も言いたくない」と思ったのだという。

 山本の述懐はわかりにくい。要は、山本が小林をどう読んだか手の内が明らかになれば、山本の生きる術もまた明らかになってしまい、それは業腹だというのだろう。ただ、山本の『一下級将校の見た帝国陸軍』の読者であれば、腹立たしい思いを胸に秘めつつ山本が、事大主義の貫徹した旧軍の本質を正確無比に語ってみせた、その懇切な的確さというべきものにつき、よくご存じのはずだ。

 予想に違わず本書においても山本は、小林の代表作『本居宣長』や『ドストエフスキイの生活』を実に丁寧に読んでいる。その読み方は、宣長ドストエフスキイを小林が読む、その背中を覗(のぞ)き込み、読みの極意を読者に教えるやり方だ。

 1940年4月の『文学界』で小林は、当時評判だったモーロア著『英国史』を三流の史書だと切って捨てた。何故そういえるのか。同書には、北畠親房(ちかふさ)『神皇正統記』には確かに認められた、あるものがなかった。それは、過去を描きながらも、未来を創りだす力にほかならない。小林はこれを「天才の刻印」と表現している。

 このエピソードを受けて山本は、小林の言動が社会に衝撃を与え続けたのは何故かと問う。山本が用意した答えはこうだ。小林は、過去を語ることによって未来を創出していたからだ、と。14世紀に書かれた歴史書を手繰り寄せ、その著が後の世で果たす動的な役割を展望した小林。その小林を今度は山本が手繰り寄せ、過去を語る小林の批評文に未来を創出する力を見出(みいだ)していた。本書の重要なテーマの一つは、過去と未来の関係、すなわち歴史なのだ。

 歴史と対峙(たいじ)した時、小林の才は冴(さ)える。1939年8月、小林は日中戦争の新しさを論じていた。宣戦布告なしに中国と大戦争をし、文化工作と資源開発を同時に進める行為など、史上誰も経験してこなかったはずだと。だが人は、本当の新事態に遭遇した時、「在り来りの考え方で、急いで納得」したふりをして逃げを打つ。眼前の歴史の新しさを正しく掴めないようでは、未来を創ることなどできはしない。この暗い明察を糧にして小林は戦中を生きたのだろう。
    −−「今週の本棚・加藤陽子・評 『小林秀雄の流儀』=山本七平・著」、『毎日新聞』2016年01月31日(日)付。

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