覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『獅子吼』=浅田次郎・著」、『毎日新聞』2016年2月28日(日)付。
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今週の本棚
持田叙子・評 『獅子吼』=浅田次郎・著
毎日新聞2016年2月28日 東京朝刊
(文藝春秋・1512円)
冷徹な歴史の波を切なく実感させる
華があって、なみだがあって、生きる知恵がある。それで異なる境涯に必死で立つ多くの読者を魅了し、沸かせる。力づける。
浅田次郎の小説には、かつて文学が人々の娯楽の王者だった頃の、ぜいたくで豊満な香りがただよう。
古きよき人情ものの伝統と、歴史をみつめる鋭い眼が稀有(けう)に共存する。その点で、吉川英治や山本周五郎、司馬遼太郎らの後を継ぐ現在無双の書き手といえよう。
本書は短篇集。六篇いずれも近過去もの。太平洋戦争、高度経済成長期、大学紛争期。私たちに近くて遠い過去だ。
まず、表題作の「獅子吼(ししく)」がすばらしい。文章にくふうがある。出だしはこんな風。
「闇に横たわったまま、しばらく月を眺めた。洞(ほら)の入口には、山肌を伝い落ちてくる雨水が真珠をつらねたように滴(したた)っている。昨日も明日もない望月(もちづき)が、私の体を斑(まだら)に染める」
月光、洞窟、孤独なつぶやき。中島敦の「山月記」を想(おも)わせる。「私」の正体は、実は獅子。でも意表を突かれるのは、ここが深山でなく、動物園のオリの中であること。
太平洋戦争末期。食料と人手不足で多くの動物が殺された。人間のエゴと争いの愚かしさを、獅子の「私」と、一八歳の「草野二等兵」のこころを通して、交互に語らせる。
草野少年は動物園の飼育係だった。今は故郷の留守部隊で兵役につく。父の友人の配慮だ。
草野は軍の残飯を、子どもの頃から仲よしの「西山の動物園」の動物たちに運んでいた。その罰として動物射殺を命じられる。
命じた側も命じられた側も苦しい。悪人はいない。みな軍規の過酷に耐える。耐えつつ、あの手この手でおなじ郷土の未来ある若者をかばう。
地の文もさりながら、セリフがいい。とりわけ自分を殺しに来た二人の若い兵隊が、昔から知る子どもたちだと悟り、「草野君はさほど変わらぬが、鹿内君はずいぶん大人になった」といつくしむ獅子の独白は哀切をきわめる。
炊事班長の「動物園さなぐなったら、子供らはどこさ遠足行くの」という言葉も泣ける。
この国がおこした戦争と敗北にかねて大きな関心をいだく著者だけに、やはり太平洋戦争末期をファンタジー風に物語る「流離(さすり)人(びと)」も圧巻だ。
昭和二十年。軍部は崩壊寸前。その末期症状に着目し、著者は想像する。転属命令は口達(こうたつ)。軍はその兵隊の動きを把握できていない。この指示系統の乱れを活用し、「任地に向か」うふりをしてずっと旅し、いのち長らえた軍人もいたのではないか。
この小説ではその想像を、学徒出陣した若者に体験させる。
満洲はじめ転々と僻地(へきち)に派遣される若者は何度も、「桜井中佐」と名のる軍人に出会う。彼はいつも任地に向かう途中。若者にもゆっくり旅せよとすすめる。もしやサクライ中佐とは、サスライ中佐なのでは……?
徴兵忌避の若者を描く名作に丸谷才一の『笹まくら』があるが、この短篇は、軍の内部で軍人が巧妙に逃げまわるところが面白い。規律の網の目をくぐり、ゲリラ的に組織と戦う個人の知恵の物語でもある。
他には、肉親とも言いがたい<姉>との妖しく甘美な関係を描く「うきよご」。おちぶれた名旅館が主人公の「九泉閣(きゅうせんかく)へようこそ」も印象深い。
卓抜な筆がたちまちに私たちを、昭和の褪(あ)せた色や匂いの中へ連れ出す。みな必死なのに、成功も失敗もある。そんな冷徹な歴史の波を切なく実感させる。
−−「今週の本棚:持田叙子・評 『獅子吼』=浅田次郎・著」、『毎日新聞』2016年2月28日(日)付。
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