覚え書:「書評:よこまち余話 木内昇 著」、『東京新聞』2016年03月20日(日)付。

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よこまち余話 木内昇 著

2016年3月20日
 
◆古いものと時を守る
[評者]伊藤氏貴=文芸評論家
 降る雪や明治は遠くなりにけり、とは中村草田男の昭和六年の句だが、本書の舞台はおそらくその少し前、江戸が次第に遠くなりゆく頃。貧しい長屋で支えあいながら暮らす人々が描かれる短篇連作だが、話の一つの軸になるのは、父を早くに亡くして、母と兄とが切り盛りする魚屋の少年の成長だ。
 同じ長屋に住む締まり屋の老女や年増のお針子たちが少年を陰に陽に支える。時には少年の影さえ人語を話し、少年を諫(いさ)める。人と人との間に垣根のないこの長屋では、境という境が溶融しており、此岸と彼岸、現在と過去のあわいさえ定かではない。
 お針子の最大の仕事は古い能装束と寸分違わぬものを仕立てることだが、そのように、古いものを大切に守りまた蘇(よみがえ)らせるのがかつての人と物との関わり方であった。江戸もはるか遠くなった時代にそれを続ける時代錯誤が、この長屋にさまざまなあやかしの出現を許す。
 しかしそもそも、能は、とりわけ世阿弥の曲は、舞台に過去を二重に呼び戻すものだった。そして本作に限らず、木内の作品はつねにわれわれの目の前に古き日本をありありと浮かび上がらせる。書き割りと人形ではなく、湿度をもった空間で過去の人間が生きて呼吸をしている。よき小説とはまことに、読者をあやかしの長屋に迷いこませるものなのだ。
中央公論新社・1620円)
<きうち・のぼり> 1967年生まれ。作家。著書『漂砂のうたう』『櫛挽道守(くしひきちもり)』など。
◆もう1冊
 木内昇著『ある男』(朝日文庫)。薩長政府がつくった中央集権体制にあらがった名もなき男たちを描く時代短篇集。
    −−「書評:よこまち余話 木内昇 著」、『東京新聞』2016年03月20日(日)付。

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