吉野作造研究:民本主義と軍国主義=新渡戸稲造

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両主義の衝突を憚る
(「我国の現在及将来に於ける軍国化と民本化の二大運動の批判」と題するアンケートへの寄稿 中央公論 大正七年七月)

 軍国主義並に民本主義とは、多分ミリタリズムとデモクラシーの意であらう。この二つを相対峙して反対の主張を表すものと観るのは、必ずしも当つた説とは思はれない。四十年許り前スペンサーの最も行はれた時代にはこの二つのものが相容れない傾向のやうに説かれて、其後英米国では幾分か同じやうに考が維持されて居るかと思はれる。今年の初めであつたか、米国の婦人で紐育に弁護士をしてゐる旅客が、日本に立寄って一夕の話を交へた時に、自分は民主主義者で軍国的思想には反対だといふ事を頻りに述べて、「米国は民主主義の国柄であるから、軍事的の行動に出でない」と云つたが、我輩は其時に「羅馬が民主主義の盛んな時、即ち共和国であつた時には、屡々戦をして、且つ戦に成功した。貴国に於ても母国の大軍を敵手として独立の戦に成功した。又内国乱としては世界に未曾有の戦争をした。此等の事実から思ふと、民国必ずしも平和国とは云はれない」と述べた事があつた。仏蘭西の共和国が決して非軍事国であるとは云へまい。故に単に民本とか軍国とか云ふ丈を以て、根本よりプリンシプルに於て相反したものとは、我輩に於ては受取り難い。「国民を挙げて兵」といふ事は、思想に於ても事実に於ても有り得る事と我輩は信ずる。
 唯然し軍国主義は兎角平時行政の上には命令的、社会に於ては階級的に政治に於ては官僚的に成り勝ちである。この命令を尊崇する考は民主的思想の容れない所である。階級的の区別は平等を重んずる民主主義の好まぬ所である。官僚的の政治は国民の意思を尊重する民主主義とは融和し難い所がある。故に軍国主義は、主義として民本主義に反対と云々ふよりも、其の産む処の子が望ましからざる態度を以て民に接すると云ふ所に、互に相容れない所が生ずるのであると吾輩は信ずる。
 所がこの両思想の暗闘が現時我邦に行はれて居る。中には既に明に表面に戦つて居るものもあるやうであるけれども、未だ/\顕はれないで黙して反目の態度で居るが、早晩明らさまに相接戦する時期が来るに違ひない。然るに斯く云ふ時には、軍国主義の方が一時は戦に勝つ。即ち民本主義などを唱へる者は、牢に入れられたり、首を斬られたりする事実は、歴史が明かに語つて居る。然しさう云ふ事ある毎に民本主義が、思想としては戦つて行く。だから民本主義を唱へる者が、もつと縛られる時代が来なければ本物に成るまい。さうしてそんな時代は近くありさうに見える。若しさういふ乱暴な事をしないで民本主義が行はれたら、実に崇めた国柄であると思ふが、英吉利でさへも衝突は、歴史に於いて汚点を胎して居る位だから、感情に奔り易い我国民が、穏かに此衝突を避ける事は六つかしいと思ふ。と云ふと革命でも起るを期待するやうに思ふかも知れないが、僕はそんな極端な事を謂ふのではない。たゞ犠牲に為るべき個人は出るだらうと思ふ。出なければ思想は広がるまい。
    −−新渡戸稲造「両主義の衝突を憚る」、『新渡戸稲造全集』第四巻、教文館、昭和44年、399−400頁。

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