覚え書:「憲法の価値、知識人ら熱く 故家永氏のメモで非公開の議論判明」、『朝日新聞』2016年05月10日(火)付。

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憲法の価値、知識人ら熱く 故家永氏のメモで非公開の議論判明
2016年5月10日

家永三郎直筆の憲法問題研究会記録ノート=池永牧子撮影
 
 1950年代末、岸政権下で発足した内閣の「憲法調査会」に対抗して知識人が立ち上げた「憲法問題研究会」について、当時の議論の様子を記録した歴史家の故家永三郎・東京教育大名誉教授のノート8冊の詳細がわかった。研究会は非公開で、会員のやりとりは明らかになっておらず、研究者は貴重な資料として注目している。

 ノートはB5判8冊で、表紙に「憲法問題研究会記録 家永三郎作製」とある。58年6月から74年4月まで記載があり、全体で491ページ。家永の教え子で、日本近代史が専門の松永昌三・岡山大名誉教授(83)が保管していた。

 家永が89歳で亡くなったのが、2002年11月。蔵書の処理を頼まれていた松永氏は03年夏、中国・天津の南開大学日本研究センターへ寄贈する蔵書リストを家永の自宅で整理していたところ、風呂敷包みに入っていたノートを見つけたという。

 松永氏は、「『メモ魔』の家永先生の丁寧な記録から、当時の知識人が制定間もない新憲法の価値をいかに熱心に論じていたかが伝わってくる」と話す。

 記録に残るテーマは、内閣の憲法調査会の審議から象徴天皇制、9条、安保改定問題、教育、社会保障、労働、司法の独立など多岐にわたる。

 例えば、61年1月14日の第29回例会。評論家の中野好夫が「自衛隊をどう見るか」と題して報告し、「国民の多数が自衛力を持たなければならないと考えており、絶対反対と言い続けるのはどうか」と問題提起。「自衛隊という既成事実を認めるべきではない」とする家永と論争になるなど、護憲陣営の中でも様々な考えがあったことがうかがえる。

 家永は65年6月、自身が執筆した高校日本史教科書をめぐり、教科書検定違憲訴訟を起こす。裁判が進行する中で研究会も欠席しがちになっていった。

 ■「安倍政権に物申す学者と重なる」

 憲法の専門家はノートの記載のどこに注目したか。

 「当時の知識人の姿と、安倍政権が進める安全保障関連法に憲法違反だと対抗した今の学者たちの姿が重なって見える」。憲法研究者の高見勝利氏はそう語る。

 当時、内閣の憲法調査会では、報告書で憲法改正の方針を出すべきだと主張するグループと、両論併記の原案を提示した英米法学者の高柳賢三会長サイドの間で対立があった。「家永らの研究会は、内閣調査会の審議動向をにらみながら議論を進め、結果的に高柳会長をバックアップした。参加者がそのことを自覚し、知識人の役割を果たそうとした姿が浮かび上がる」

 「日本国憲法の誕生」などの著書がある古関彰一・独協大名誉教授(憲法史)は、59年5月9日の第11回例会での清宮四郎の発言に注目する。清宮は憲法学の権威で、敗戦後、政府が明治憲法の改正作業を進めた憲法問題調査委員会のメンバーの一人だった。

 家永ノートによると、清宮はこの日、吉積正雄・元陸軍軍務局長が46年1月ごろ、楢橋渡内閣書記官長に、憲法改正にあたり軍の規定を削ってほしいと申し入れをしたエピソードを披露。「申し入れの意味は一切わからない」と言いながら、例会の参加者に背景を知らないか、と尋ねている。

 古関氏は、「日本国憲法制定にあたり天皇制の存続が最大の焦点で、旧軍関係者が、天皇制を維持するために軍の規定を削ることが必要だと考えていた可能性がある。当時の旧軍内部での議論や憲法制定への影響の解明が必要だ」と話す。(編集委員・豊秀一)

 

 ◆キーワード

 <憲法問題研究会> 改憲を目指す岸信介政権の下で1957年に発足した内閣の憲法調査会に対抗する形で、翌58年6月、法律や経済、歴史などの専門家ら約50人の会員で設立された。法政大総長を務めた大内兵衛(経済学)が代表世話人で、我妻栄民法)や宮沢俊義憲法)、丸山真男政治学)ら当時の知識人が結集。憲法記念日の5月3日に市民向けの講演会を開いたり、安保改定や憲法調査会の報告書提出の際声明を発表したりした。会員の高齢化などで76年4月に解散した。
    −−「憲法の価値、知識人ら熱く 故家永氏のメモで非公開の議論判明」、『朝日新聞』2016年05月10日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12348088.html


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