日記:「左でもない、右にもない、うなずけない。強いていえば、真ン中だ。/真ン中は、日本人の思想の、余白」ということの落とし穴

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 先に引いた「過激でなく反動的でなく、清新な自由主義を標榜して、インテリゲンチャのよい友達」という菊池寛のことばを「六分の慰安、四分の学芸」というキャッチ・コピーとあわせると、『文藝春秋』の位置がよく見えてくる。中学卒業以上の教養をもちながら、大衆社会の波に巻き込まれている壮年層と、それより若い知識層に向けて、大いに部数を伸ばしてきたのである。こののち、国外、国内ともに激しい変動期に入る。何に向けても発揮される菊池寛の旺盛な好奇心が、内外情勢に対しても発揮されてゆく。『文藝春秋』の記事の半ばは、その激動に対するアンテナの役割を果たす。満州事変とそれ以降の『文藝春秋』は、いわば野次馬的な公器のような枠割を担ってゆく。
    --鈴木貞美「文藝春秋」の戦争 戦前期リベラルの帰趨』筑摩書房、2016年、102頁。

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鈴木氏の『「文藝春秋」の戦争』(筑摩書房)は、「協力か、抵抗か」あるいは「ファシズムか、デモクラシーか」の「二分法」によって、戦争期の人々の軌跡を断罪するものではないし、「『あの戦争』が、そしてその経緯が、アジアの人びとにとって何だったのか、をも同時に問わなくてはならないだろう。その双方の思想の中身を問い直すことこそ、日本だけでなく、アジアの、いや世界の人びとが国境や文化を超えて共有しうる歴史認識、人びとが未来い向けて歩み出すための土台石をひとつ積むことになる」(序章、16頁)試みだが、その「戦前期リベラリズムの帰趨」の腑分けは、菊池寛が単純な「ファッショ」「国粋主義」というものではないにしても、菊池寛自体の姿は決して褒められたものではないことを明らかにしている。そしてその褒められたものではない姿は、菊池寛に限定される問題などではなく、現代日本社会にも根深く共通する公正中立「病」の限界を示しているように思われる。

菊池寛の盟友であり、中年期以降は、アジア主義とも程遠い土俗主義的日本趣味…主義ではなく趣味と呼ぶほうが正確であろう…へ感情的に傾注し、最終的には皇道を唱導していくのが、作家の吉川英治だが、吉川は次のように述べている。

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 一九三二年一月、菊池寛と前後して吉川英治伊勢神宮に詣で、日本人の「民族自覚」に目覚めた、と書きながら、自分の立場を「左でもない、右にもない、うなずけない。強いていえば、真ン中だ。/真ン中は、日本人の思想の、余白である。そして、この余白が、いちばん、ひろい」(「ゴシップ」『草思堂随筆』)と述べている。この「真ン中」志向は、菊池寛の「中道」に似ている。
    --鈴木前掲書、141-142頁。

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イデオロギーに準拠して現実を裁断しても始まらないのは否定しがたい事実である。しかし、同時にイデオロギーからの批判を無視して、どちらでもない「真ン中」だと言われたところで、それはオルタナティブとしての「第三」の選択肢、あるいは「中庸」としての「中道」とイコールでもない。

戦前日本の左翼の壊滅、戦後日本の左翼のシュプレヒコールは、現実として機能し得なかったのは否定しがたい事実である。しかし、それ自体がすべて無意味というものでもないし、極端じゃないよと嘯くことも同じように現実としては機能し得なかったのも否定しがたい事実である。

結局、「左でもない、右にもない」と自己規定する「大衆受け」する文化人は、どこに寄り添っていったのか。それは、その土地に生きる人間に寄り添うよりも、その土地に生きる人間を破滅的状況に追い込む権力に寄り添ってきた、否、結果として見れば走狗として機能してきたのが、否定しがたい事実である。

この思想的・人生的「右顧左眄」は、菊池寛吉川英治を「ファッショ」と単純に断罪するものと決してイコールではないが、かれらのようにどっちの極端でもないと嘯き「真ン中」を気取ることが、結果としては白色テロルに加担したことは否定のしようがない。そして同じような現象が現代の日本社会でも再現されている。洋の東西を俯瞰すれば、ハイデガーを引証するまでもない話だ。

政治のイデオロギーによって、右か左かで全てが決するものではないのは事実である。しかしイデオロギーを超えたところに定位した場合においても、大切なことは、権力の側に立っているのか、それとも、一人ひとりの人間に立っているのかで、何を標榜しようがぶれてしまう。

そしてつけ加えるならば、もともと権力批判が希薄である。日本の歴史を振り返れば、「お上」という言葉が象徴的であるように、政府や権力を無批判にありがたがる日本という国土世間の特徴だから、権力に関しては、鋭い眼差しを常に絶やしてはいけないのが歴史が教えてくれるすい点といってよい。※フーコー以前やんけという話ですが、権力への親和的な態度は、権力批判勢力の権力そのものについての精査が不十分だったことに起因するがそれはまた別の機会に改める。

殆ど死語といってよいが、御用だ!な人は横に置きますが、文化人とは、ある意味では社会を牽引していく役割、公器、木鐸というのがその主要な役割になってくる。サルトルのように力みすぎる必要はないが、その挟持としては持つべきだろう。にも関わらず、威勢の良い掛け声は「ゴメンだよ」という態度が、オルタナティブを創造せず、結果として組みしていく。このことは決して失念してはならない。

そもそも現代の日本社会においては、「政権批判はテロリスト寄り」と一国の首相が宣い、公正中立という言葉自体が右傾きしている状況において、どこに自分が立つべきなのか、しっかりと自覚したうえで、関わっていくほかない。

加えて「過激でなく反動的でなく、清新な自由主義」は、字義通り必要不可欠な準拠であり、それをどのように創造していくのは重要な課題だが、「右でもない左でもない」というところにだけリソースを注ぎ続けた「挙句」はどのようになってしまうのか。「いわば野次馬的な公器」として人びとをミスリードしていくのである。

言葉に即して「真ン中」であることはスタート地点として大切だろう、自分がどこに軸足を置いているのかという自覚とワンセットになった事柄として。しかしながらその「/真ン中は、日本人の思想の、余白」となってしまうとアウトでしょうという話。私たちが公共世界に「参加」し人びとと共同することの主語は「日本人の」ではない訳だから。

左翼や右翼ののぼり旗が現実に機能し得なかったとしても、「パよく」だの云々と評論「だけ」しかしない連中は、結果として、どこまで特殊なものに回帰して行ってンだか……。







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