日記:日本社会の現在を南原繁先生ならばどのように考えるか。

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四 終わりに−−憲法教育基本法の法改正論の中で

 最後に、それでは近年の教育の状況はどういうことになっているか。
 ご存知のように、憲法教育基本法の改正の動きが非常に強くなっています。同時に、むしろその改正を先取りする現実の動き、それは国家による教育の統制の強化が一つありましたけれども、しかし八〇年代の後半から、いわゆる新自由主義的な政策の中で、競争と自己責任という新しい管理方式がもちこまれ、小さな政府と言いながら国は教育内容はがっちりと握るという方向での動きがあるのはご存知だと思います。
 そういう動きは、イデオロギー的な面では国の役割を強化する、愛国心を強調する。一方で自由、自由と言いながら、教育の内容に関してはがっちりと方向付けをするというものです。靖国問題、教科書問題、そして君が代・日の丸の強制問題が重なって今の政策動向をつくっている。その中で君が代・日の丸の強制問題もどう考えたらよいか。南原先生はどう考えるだろうか。
 今の状況を一口で言えば、<学校から自由が、教育から人間が消えていく。子どもは子ども期を失い、青年は青年期を失い、教師は権威を失い、社会から公正・正義の感覚が失せていく>。端的には私はこういえるだろうと思います。先生はこういう状況をどうお考えになるのだろうか。個人の尊厳、そして精神の自由、人間の革命を強調され、人間性の豊かな開発をこそ願ってこられた先生です。子どもが成長・発達するというプロセスを軸に教育を考えた場合に、いっそうのこと、その豊かな精神の発達の自由が保障されなければならない。そこでは過ちを犯しても選び直すことができるという、一人ひとりの子どもの発達のプロセスに目をやりながら、柔軟な、多様な能力の開花が求められている。とすれば、教育は強制に馴染まないということだと思います。
 戦後の教育でどこがよかったのですかという質問(伊藤昇との対談、「教育」一九六六・一、「民族と教育」東大出版会所収)に対して、先生は戦後の教育は自由になったのがよかった。自分たちの子どものころよりも、今の子どもたちはもっとたくさんいろいろなことを知っているし、いろいろ考えている、質問もする。自由こそが大事なのだ、それが戦後教育の評価できる点だと強調されているのです。まさにその自由が逼塞状況にあるのではないでいかと私は思っています。
 先生は民族の伝統にも深く目をやり、自分をナショナリストだと言われることもあります。しかし同時に、先生の心は広く世界へと開かれていました。国民主義と世界主義の結合を目指され、その世界観にふさわしい世界連邦こそつくらなければならないと、とくに後年の先生は強調されました。
 日本民族の伝統にこだわりながら、それをどう切り返していくかに深く焦点が当てられていた戦後すぐの時期、憲法九条の理念にたいしても先生の独特な発言がございますけれども、その後の戦後史の中で、先生はますます憲法九条の理念というものを深くとらえ直されていると私は思います。
 そして、国連に参加するならば軍隊が必要だという議論がありますけれども、そうではなくて、「軍隊ではない国際的な警察力」が必要だと述べられています。これは自衛隊問題をどう考えるかという非常に現実的な問題として、今度の憲法改正論の問題でも焦点になっていく問題だと思います。そのうえで世界連邦を興す。これが先生の政治哲学の到達点です。この点は加藤節さんも福田先生も書かれているところで、私も全くそう思います。
 最後に南原先生のなさったことを考える場合に、戦後の改革期の思い、まさに初心、同時に先生ご自身がその初心をどう発展させていったかを私達は深くとらえなければいけません。戦後改革はいうなれば、未完のプロジェクトであると私はとらえています。憲法に関しても、教育基本法に関してもそうです。未完のプロジェクトを完成させる、少しでも発展させる任務を私達世代は負っていると思います。
 南原先生も戦後を生きられた中で、未完のプロジェクトをさらに豊かにされたのではないか、その先生の戦後の歩みもまた、私達のものとして共有して引き継いでいかなければならないと思います。
※「第二回南原繁シンポジウム 南原繁と戦後六〇年」2005年11月26日学士会館
    −−堀尾輝久「講演 南原繁と戦後教育六〇年」、南原繁研究会編『初心を忘れたか 南原繁と戦後60年』tobe出版、2006年、31−34頁。

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