覚え書:「争論 大学スポーツの産業化 安田秀一さん、川井圭司さん」、『朝日新聞』2016年10月08日(土)付。

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争論 大学スポーツの産業化 安田秀一さん、川井圭司さん
2016年10月8日


 
 安倍政権は「GDP(国内総生産)600兆円」の実現に向け、スポーツを成長産業に育てる戦略を掲げた。その一つに、大学の運動部の活動をビジネスにつなげる「産業化」がある。米国のように、大学は稼ぐ力を伸ばすべきなのか。教育現場に弊害は出るのか。

 ・GDPを伸ばせるか

 ・大学にとっていいことか

 ・学生にとっていいことか

 【○】施設いかし市場価値向上を ドーム会長兼CEO・安田秀一さん

 自分が主将を務めた法政大学アメリカンフットボール部の監督を、9月に引き受けました。お金にかかわる不祥事があり、抜本改革をするためです。

 日本の大学の体育会には、大きな課題があると思います。学生が法に触れる行為をしたときの法務リスクや、重篤な事故が起こったときの安全リスクを一義的に負うのは監督です。チケットが何千万円と売れる試合があるのに任意団体として財務を行うので、指導者による私物化が生まれることもあります。

 大学のスポーツ活動を一括して取りまとめ、監督責任を負う管理組織の「体育局」を、学内に置くことを検討すべきだと考えます。法政大には、そのしくみ作りを働きかけたい。野ざらしのところに、屋根をつけることから始めないといけません。

 そのために、産業化は必要です。体育局長を雇い、適任な指導者を選び、トレーナーを置く。これらはすべて、コストがかかります。ドーム社と関東学院大が提携して、ユニホームの色を統一するといったブランディングを進めているのも、大学が自分で収益を上げ、そこにお金を回すことがまず目的にあります。

 弊社が総販売代理店契約を結ぶ米国のアンダーアーマーがメリーランド大にユニホームを提供したのは2005年。このときは約5千万円で販売しました。いまはユニホームを着てもらうのに約5億円払っている。それだけ、大学スポーツの価値が上がったのです。「行きすぎだ」という議論が出るかもしれませんが、お金があれば、安全対策やリスク管理のしくみをつくることができます。

 本当の産業化は、その先にあると言えるでしょう。大学の大きな資産の一つであるはずのスポーツ施設を、アクティブに使えていません。グラウンドや体育館に観客席を整えて有料試合を開いてもいいし、プロチームに貸してもいい。わずかな初期投資で多大な効果が出せます。

 大学スポーツの注目度が高まることで、大学の市場価値が上がります。世界に大学の名前も知られます。米国人が知っている日本の大学がいくつありますか? 発信力があるスポーツを使わない理由はありません。法政大なら、大学憲章である「自由を生き抜く実践知」を、アメフット部のチーム理念として内外に発信できます。

 これからの日本は少子化、人口減も相まって、大学にも淘汰(とうた)が起こる時代です。同一性を求めていては、大学全体が泥舟になる。資産をアクティブに活用していくことで、大学も生き残っていけると思います。

 学生にとっても、スポーツの可能性は幅広いものです。体格に関係なく選手として貢献できる役割を探すことも、100メートル走に15秒かかるなら選手ではなくトレーナーに転身することもできる。スポーツを通じて自分の立ち位置を探り、資本主義経済の原則であるたくましい競争力を身につけられる。スポーツの産業化には、そんな意味もあると思います。

 こうした取り組みが進んでいけば、GDPに少しずつでも貢献できるでしょう。いまは放映権料などで大きな収益を上げている全米大学体育協会(NCAA)は、1905年にアメフットで死亡事故が多発したことで、当時のルーズベルト大統領の主導で始まりました。国のリーダーが旗を振ることは、すばらしいことだと思います。

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 やすだしゅういち 69年生まれ。法政二高でアメリカンフットボールを始める。96年にドームを設立。アパレルなどスポーツ関連事業を展開する。

 【×】勝利至上主義に陥りやすい 同志社大学教授・川井圭司さん

 経済の起爆剤に、という方向からの大学スポーツ産業化には、大学関係者としても同志社大ラグビー部でプレーした者としても、違和感を覚えます。

 大学スポーツに市場価値はありますし、産業化が進んで大学が潤えば大学の価値が上がり、学生に還元できる、という推進派の主張はその通りです。国の経済成長に貢献できる可能性もあるとは思います。ただ、GDPを上げることを目的に改革するのか、教育的見地からの改革なのかで意味合いは全然違いますし、大学スポーツの在り方が変わってくる。ですから、私は慎重な立場です。

 大会の商業化を進めることで、プロをめざす学生には、自分を評価してもらえる機会が格段に増えるでしょう。一方、これまで大事にしてきたものが失われるデメリットも生じると思います。日本の大学スポーツの良さは、だれにもオープンだということ。傑出した選手もそうでない選手も、一つの「部」に所属し、組織が運営されていく。試合に出られる選手は「控え選手とともに」という気持ちで試合に臨み、下支えする選手もチームに誇りを持つ。こうした人間形成の場としての教育的意義もあります。

 これが米国のようにビジネスと結びつけられていくと、勝利至上主義に陥りやすくなります。学生はますますスポーツだけに明け暮れ、大学も組織ぐるみで勝つ方向を追求しかねません。大学の運動部は本来、本分の学問と課外活動としてのスポーツの両立をめざす学生が割を食わない場であるべきです。

 この機会に、それぞれの大学が大学スポーツの在り方について考え、大学や学生に何が求められているのかを模索することが、大事だと思います。

 大学スポーツの活性化の指標は、教育の観点から見て有意義な機会となっているか、学生が教育を受ける権利を享受しながらスポーツに打ち込む環境が整っているかだと考えています。整備すべき環境には、安全管理ももちろん含まれます。

 その指標を経済的側面での成功に求めるなら、プロとなんら変わりません。スポーツ庁の検討会議の中間とりまとめには、米国で大学スポーツを統括して収益をあげている全米大学体育協会(NCAA)をモデルとする組織の創設の必要性が盛り込まれましたが、その現状はむしろ反面教師とするべきです。

 1984年、NCAAは大学スポーツのテレビ放映に対する規制の廃止を余儀なくされました。強豪校が「自由競争を妨げられている」と主張したためです。結果、勝つことに大きな金銭的メリットが生まれ、強いところがより強くなる。大学が稼ぎ出すと、選手側が「我々の労働力の成果だ。分配してくれ」と主張するのは、当然の帰結。次々に訴訟が提起され、無償でのプレーを強いるNCAAのアマチュア規定は違法、との判決が昨年下されたのです。

 そのNCAAも、もとは安全対策など本来の大学スポーツのあり方を純粋に考えるための組織として生まれました。日本でも、その本来の理念を求める組織が必要ということであれば、大いにうなずけます。ただ、このことにお金はかかりません。経済的合理性の支配を受けない、身の丈に合ったスポーツ活動にこそ、「自由」があるのではないでしょうか。

 (聞き手はいずれも編集委員・中小路徹)

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 かわいけいじ 69年生まれ。プロスポーツ選手の法的地位やスポーツ事故の補償問題などを研究する。著書に「プロスポーツ選手の法的地位」。

 ◆キーワード

 <大学スポーツの産業化> 政府の成長戦略には、「新たな有望市場の創出」の一つに「スポーツの成長産業化」が明記されている。スポーツ庁経済産業省による有識者会議は、「大学スポーツはプロスポーツ市場の3割程度を創出できる可能性がある」と言及。全米大学体育協会(NCAA)をモデルとする「日本版NCAA」の創設は、その核になるとされている。
    −−「争論 大学スポーツの産業化 安田秀一さん、川井圭司さん」、『朝日新聞』2016年10月08日(土)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12597909.html





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