覚え書:「オピニオン:選べない国で 教育は希望か 山田満知子さん、南場智子さん、内田伸子さん」、『朝日新聞』2016年01月05日(火)付。

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オピニオン:選べない国で 教育は希望か 山田満知子さん、南場智子さん、内田伸子さん
2016年1月5日

 子どもたちの将来の選択肢を増やすには、どうすればいいのか。英語、スポーツからプログラミングまで、さまざまな分野で「早くから学ばせよう」という動きが広がっている。それは「選べない国」の希望になりうるのか。

 ■夢破れても経験を生かして 山田満知子さん(フィギュアスケートコーチ)

 山田先生のところならうまくしてくれる、五輪選手にしてくれるんじゃないかと子どもを連れて来る親御さんが最近、多いですね。私は指導を頼まれて断ったことはないのですが、五輪選手のことについてはいつも、「100%なれません」と答えます。

 確かに、五輪に出た教え子は多いかもしれません。伊藤みどり恩田美栄浅田真央村上佳菜子……。昨年12月のGPファイナルで3位になった18歳の宇野昌磨は2年後の平昌(ピョンチャン)五輪に出られるかもしれない。でも、そうなった子はラッキーというだけなんです。

 指導してもらいたいと言われたときから、長く続かないんじゃないかと思う子どもたちもいる。学校の体育が「1」だったり、経済的に無理そうだったり。能力だけなら、もともと持っているものが5であれば、10かそれ以上になるかもしれません。ただ、努力だけではどうにもならないこともフィギュアスケートにはあります。

 練習が早朝や深夜になることが多く、送迎する大人の存在が欠かせない。お金の問題が壁になることもあります。「家を建てたい。学校は私立になるかも。この辺りで見切りをつけるか」と。小さなころから、家族ぐるみで将来を考えなければいけないのがフィギュアスケートです。

 でも、私はみんな受け入れてきました。何とかしてあげたい、どんな形ででも、フィギュアスケートで満足してもらいたいという思いが勝るからです。

 今は40人ぐらいを教えていますが、大きな目標を持つより、目の前のできることをこつこつやらせることを意識します。よちよち歩きから始める子は、氷にきちんと降りる、ふだん練習していないリンクでも怖がらないといったように。上のレベルでも同じです。

 大きな夢を持って、遠い将来までのコースを描くというやり方もあります。それで成功する人もいますが、そういうのは途中で疲れ果ててしまいそうで。

 伊藤みどりはスケートが大好きで始めました。小学5年で全日本選手権3位に入り、天才少女と呼ばれるようになって、だんだん大きな期待を背負うようになった。でも、それは苦しみの始まりでもありました。家庭の事情で私の家に引き取るようになりましたが、やめる、やめないでよくもめて。私も本当に悩みました。やめた方が幸せかもしれないと思う一方で、この子からスケートを取ったら、何も残らないんじゃないかとも思って。

 何とか、その時々にできることを続け、1992年のアルベールビル五輪でトリプルアクセル(3回転半)を跳んで銀メダルを取りました。引退のとき、「どうだった?」と聞くと、「やっててよかった」と。やれやれと安堵(あんど)したのを覚えています。

 教え子の多くは、途中でやめていきます。理由は様々ですが、決めるのは家族と子どもとの話し合いです。子どものうちに、道半ばで一つの厳しい選択を迫られるわけです。「やめるかどうか背中を押してください」と相談されることもありますが、本当は、家族の話し合いで結論が出ていることがほとんどです。

 「五輪に出場したい」という目標で始めていたのなら、挫折であり、ダメな競技人生だったということになるのでしょう。五輪という目標を達成できるのは、ごく一握りなのですから。でも、私にとって大事なのは、その子のその後の生きざまの中に、フィギュアスケートをした経験がどう関わっていくかです。

 「教えてもらった経験があったから、今もがんばれる」「先生がやっているうちは、私も今の道で負けられない」という子どもたちがいる。後に弁護士になった子もいます。

 人生は間違うことが多いものです。でも大切なのは、振り返った時に悔いのない選択をいかにできるか。やめたことも含めて、フィギュアスケートをやったことが生きればいいと思います。

 (聞き手・村上研志)

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 やまだまちこ 1943年生まれ。7歳でフィギュアスケートを始め、高校時に国体と高校総体で優勝。コーチとして伊藤みどりのほか、小岩井久美子浅田舞らを指導した。

 ■もう「答えは一つ」じゃない 南場智子さん(DeNA〈ディー・エヌ・エー〉創業者)

 少子高齢化が進み、日本は他の先進国に先駆けて解決しなければならない課題を多く抱えています。しかし、足元では、解決に向けての道筋はなかなか見えてきていません。問題の根幹は、教育のあり方にあると考えています。

 その核心は、日本の教育システムが「答えは一つと考える、正解を言い当てる達人」を輩出し続けていることにあります。受験では相変わらず、正解が一つの問題を解くように求め、受験生も一つの正解を示すために努力を重ねています。それが、思考や発想の選択肢を奪っていると思います。

 確かに、市場が右肩上がりに拡大していた高度経済成長の時代には「答えは一つ」でよかったかもしれません。競争力の源泉は、均一で高品質の自動車や電気製品を低コストで大量生産すること。間違えない達人を育てることは、高い経済成長を実現するために必要だったと思います。

 しかし、時代は大きく変わり、答えが簡単に見つからない世の中になりました。複雑化する課題に向き合うには文化的な背景が異なる人とも協力し、痛みを伴う内容でも、強いリーダーシップで決断できる人材が求められています。

 当社の入社試験の面接で「最後に質問がありますか」と聞くと、「これが正解だろう」と私が望んでいるものを探ろうとする優等生が大勢います。質問ですら、正解を言い当てようとするんですよ。

 私が採用したい人材は、自分自身の将来のキャリアのために腹の底から出る言葉で質問をする人ですから、そんな優等生は採用しないようにしています。

 会議をしていて最も無駄だったと思うのは、周りの意見が私とまったく同じだった時です。自分が気づかない視点や反論に耳を傾けることが、結論を導くために欠かせないからです。しかし、一般的な日本の会社組織では、ヒエラルキーのトップが考えていることをたった一つの正解だと考え、トップの意向をくみ取ることにきゅうきゅうとする。「和」を乱したくないから意見も控えてしまう。

 こうした現状を変えるためにはどうしたらいいのか。ひとつ、具体的な処方箋(せん)として非常に有効だと考えているのがプログラミング教育です。プログラミングは答えが一つではありません。それぞれが個性を発揮しながら、作品を創造していきます。その概念を学ぶことを通して、発想力や論理的な思考力が身についていきます。

 教える時期は、早ければ早いほどいい。子どもは吸収する力が強いですから。一部のやりたい子どもだけではなく、全国各地の小学生が一様に学べる環境を整えることが望ましいと考えています。

 1年半ほど前から、佐賀県武雄市の市立小学校で弊社が開発した教材と市が用意したタブレットPCを使って、プログラミング教育の実証研究を行っています。社会貢献活動の一環として位置づけていて、今のところ対象は計2校の1、2年生。教材を使って作成したゲームやアニメーションを子ども自身に発表してもらいましたが、一つとして同じ作品はありませんでした。

 将来プログラマーとして才能を開花させる人は一部でいい。音楽、建設、流通などの道に進んでもITの素養は活用できますから。プログラミング教育が今後、浸透していけば、日本の産業競争力は自然に高まり、個人の選択肢も広がっていくと思います。

 日本が高い付加価値を生み出す知的創造の拠点として生まれ変わるには、コンピューターに使われるのではなく、指示を出して動かす人材を多く輩出すべきです。

 こうした考え方が大きなうねりとなれば、20年もすれば、アップルのスティーブ・ジョブズ氏やフェイスブックマーク・ザッカーバーグ氏のような、世界的な起業家が生まれるようにもなるでしょう。日本が抱える課題についても解決を図れるかもしれない。

 日本が新しい可能性を手に入れるには、「答えは一つ」という教育と決別すべきなのです。

 (聞き手・古屋聡一)

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 なんばともこ 1962年生まれ。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て99年、DeNA設立。11年に社長兼CEOを退任し、現在は取締役会長。著書に「不格好経営」。

 ■早期教育より遊びとふれあい 内田伸子さん(十文字学園女子大学特任教授)

 子どもの早期教育が過熱気味ですが、小さいうちにどんな教育を受けさせるかで子どもの将来が決まるというのは間違いです。

 米国での調査で、生後6カ月から10カ月の間に早期教育の教材ビデオを1日1時間以上見せられていた子どもたちは、認知や言語の発達が遅れていることがわかりました。6カ月の子に1時間もビデオを見せると、起きている時間の大半で音と光の強烈な刺激を浴びている状態になり、脳にオーバーフローを起こしてしまう。

 裕福な家庭は子どもに早くから習い事をさせるので、子どもの学力も高くなると思われがちです。でも、日本の大都市の幼児3千人を対象にした調査では、読み書きの能力については世帯収入による差は基本的にないんですね。

 語彙(ごい)力については、収入の高い家庭の子どもの得点が高いという結果が出ました。習い事をしている子は、していない子に比べて得点が高い。しかし、ピアノや水泳といった芸術・運動系の習い事をしている子と、英会話など学習系の習い事をしている子では、得点に差がありません。習い事をすると、先生や新しい友達とコミュニケーションをする機会が増えるので、語彙も増えます。学習系の習い事だから語彙が豊かになるわけではないんです。

 3〜5歳児を対象にした調査では、体操やバレエ、ダンスの教室に通っている子の運動能力は、そうでない子よりもむしろ低い。同じ動きを繰り返すだけのトレーニングは、子どもたちにとって面白くありません。子どもは5歳を過ぎると人目を気にするようになるので、友達に比べて自分ができないと運動嫌いになってしまう。運動能力を発達させるには、自由な遊びのほうが有効です。

 早期の英語教育も効果は疑問です。早いうちから英語に触れさせれば発音が良くなると思われがちですが、日本から英語圏のカナダに移り住んだ子どもたちを調査すると、どの年齢で行っても発音は1年半で現地並みになります。

 英語の読書力偏差値では、7〜9歳まで日本にいて、カナダに移り住んだ子が一番高い。次に高いのが10〜12歳で行った子です。3〜6歳で移り住んだ子は、最初は早く伸びますが、その後はゆっくりしか伸びなくなる。日本語の読み書き能力をしっかり身につけてから海外に行ったほうが、英語力も高くなります。早くから英語をやればいいというのはとんでもない間違いです。

 幼児期に本の読み聞かせをたっぷり受けた子や、手先を使うブロック遊びを好んでいた子は、小学校の国語の学力が高い。幼児期のしつけのスタイルや保育形態が影響を与えることがわかります。みんなに同じことをさせる「一斉保育」よりも、子どもの主体性を重視して、遊びを中心にした「自由保育」を受けた子のほうが語彙得点が高い。

 また、「共有型」のしつけを受けた子は、「強制型」のしつけを受けた子よりも得点が高くなります。共有型は親子のふれあいを大事にし、楽しい経験を共有しようとする。本の読み聞かせでも親の見方を押しつけるのではなく、子ども自身に考える余地を残すように言葉をかけます。強制型は親の思う通りに子どもを育てたいという発想で、子どもに過度に介入しますが、褒め言葉が少なく否定的な言葉が多い。読み聞かせでも子どもに考える余地を与えません。

 低所得層では強制型になりやすいのですが、余裕や時間がないから共有型ができないということはありません。子育ては時間ではなく、質です。共働きで保育所に子どもを預けていても、家にいるときは子どもと遊ぶことを第一に考える。親子で楽しい会話をしていると語彙は豊かになります。

 しつけや保育のスタイルは親が選べる。早期教育にお金と時間をかけるより、子どもとふれ合い、遊ぶ時間をできるだけ確保することを考えるべきです。その方が、子どもの将来の選択肢を広げることにつながるのではないかと思います。

 (聞き手・尾沢智史)

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 うちだのぶこ 1946年生まれ。専門は発達心理学認知心理学お茶の水女子大学教授、副学長を経て名誉教授。著書に「子育てに『もう遅い』はありません」など。
    −−「オピニオン:選べない国で 教育は希望か 山田満知子さん、南場智子さん、内田伸子さん」、『朝日新聞』2016年01月05日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12144555.html


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