日記:松島みどり(新法務相)「私、府中刑務所を見たときに思った感想としましては、例えば、イラン人は宗教上の理由で豚肉なしのメニューをわざわざつくるですとか、あるいはパン食したかったら希望をとるとか、逆差別でずるいんじゃないかと」

1


 
第162回国会 法務委員会(第8号:平成17年3月30日水曜日)の議事録を読み直してみましたが、

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000416220050330008.htm

松島委員(当時)は、外国人受刑者が増加する中で、「外国人受刑者の扱いの問題」について伺いたいと切り出し、府中刑務所を見学したときに「思った感想」として「例えば、イラン人は宗教上の理由で豚肉なしのメニューをわざわざつくるですとか、あるいはパン食したかったら希望をとるとか、逆差別でずるいんじゃないかと。日本人ですと、御飯がいいか、パンがいいか、そばがいいかなんてだれも聞いてくれないのに、何でかという思いが非常にいたしました」と述べている。

21世紀ですよ。21世紀にこの「感覚」を素朴な「感想」として「本音」として言葉にしてしまうことに。

これに対して、横田政府参考人は次のように受け答えている。

        • -

 まず、外国人受刑者の食事の点などでございますけれども、外国人の受刑者に対しましては、その宗教上の戒律及び習慣に配慮いたしまして、例えばイスラム教徒の受刑者に対しましては、豚肉を使わない食事を給与するなどしております。また、その食習慣の違いに配慮して、外国人を多く収容する一部の施設では外国人受刑者にパンを給与する場合もございます。

 一般に、外国人受刑者は言語、宗教等に起因した受刑生活上の困難がありますので、一九八五年に我が国も参加した犯罪防止及び犯罪者処遇に関する国際連合会議において採択された外国人被拘禁者の処遇に関する勧告におきましても、外国人受刑者の宗教上の戒律及び習慣は尊重されなければならないとされているところでございまして、その趣旨を踏まえ、外国人受刑者の受刑生活上の困難を緩和し、円滑に収容生活を送らせるために宗教等に配慮した処遇を実施しております。

 宗教が生活の重要な部分となっている者に対しまして宗教上の戒律等に配慮しない処遇を行うことにより生じることが予測される問題を考慮いたしますとするならば、施設の管理運営上の観点からも、宗教等に一定の配慮をした処遇が必要になってくると考えております。それから、食事など、受刑者の生活の中で重要なものにつきましても、同様に施設の管理運営上の観点から、可能な範囲で習慣の違いに一定の配慮をした処遇が必要と考えております。

        • -


非常に常識的な配慮の行き届いた答申が松島さんの質問と対照的といってよいでしょう。


そもそも「逆差別」などということばが簡単に出てくることに戦慄しますし、その根柢には、「公人」として絶対的な感覚……それを人権感覚と呼ぶまでもないわけですが……個人を尊重する(相互承認を含むものとして)態度や生き方への蔑みをなんら恥じることのない態度にくらくらしてしまいます。

こんな他者感覚の一切欠如した人間が法務大臣になるとは世も末でしょう。

公共世界に生きるということは、私的空間の中で「本音」で生きることとストレートで結びつくわけではない。本音と建て前の二律背反は承知しておりますけれども、それでも健全な本音があってこそ、私たちは異なる他者と「共存」できるわけですよ。

それがが、こうした感覚が欠如し、「私はそう思う」式の優位の全能感の拡大が、どんどん良質な「建前」を駆逐し、気がついたら、権力者にとって都合のいい、彼らの「本音」で形成される(歪んだ)「公共」にすり替わって行くっていう、近代以前への退行が凄まじい。




http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000416220050330008.htm


Resize2020

覚え書:「人類が永遠に続くのではないとしたら [著]加藤典洋 [評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年08月31日(日)付。

2


        • -

 
人類が永遠に続くのではないとしたら [著]加藤典洋
[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)  [掲載]2014年08月31日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■欲望と有限性が折り合う思想

 私たちはいま、人類そのものの「有限性」を真剣に受けとめるべき時期にさしかかっているのではないか。『敗戦後論』などで、日米の非対称的な関係を分析してきた著者が、この論点を意識するようになったきっかけは、福島の原発事故であったという。科学技術は後戻りすべきでないと反原発運動を批判した哲学者・吉本隆明に寄り添っていた著者は、社会学者・見田宗介らの知見を再解釈しつつ、新たな思考へとふみ出す。
 地球環境が外部から経済成長を制約することは、ローマ・クラブの「成長の限界」報告やエコロジー論などにより、すでに指摘されていた。しかし、それだけではなく、技術発展の結果として、産業事故に伴うリスクが大きくなり過ぎ、まさに原発に代表されるように、民間保険がリスクを引き受けられなくなったことを著者は問題にする。それは、経済活動をいわば内部から限界づける要因である。
 したがって、従来の科学技術文明は維持できないが、その一方で、エコロジー論などが、人間の欲望を否定してきたこともまた問題であると著者はいう。「人はパンだけで生きる」ものではないが、パンも大切だからである。ミシェル・フーコーハンナ・アーレントらの現代思想との関連でいえば、人は言葉を用いる理性的な生活としての「ビオス」だけを生きるものではなく、動植物と同じく生命種としての側面(「ゾーエー」)も重要である。
 こうした考察の上に著者は、人間のもつ欲望と「有限性」とを何とか折り合わせるための、小資源・小廃棄を基本とする技術の出現や、人間の可能性の限界をふまえた新たな思想の誕生にかすかな希望をつなぐ。
 誰もがその存在に半ば気づいていながら、そのままにしている問題を正面からとらえ、手探りで取り組もうとする著者の姿勢が強い印象を残す一冊である。
    ◇
 新潮社・2484円/かとう・のりひろ 48年生まれ。文芸評論家。『アメリカの影』『3・11死に神に突き飛ばされる』
    −−「人類が永遠に続くのではないとしたら [著]加藤典洋 [評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年08月31日(日)付。

        • -



欲望と有限性が折り合う思想|好書好日





Resize2021

人類が永遠に続くのではないとしたら
加藤 典洋
新潮社
売り上げランキング: 1,814

覚え書:「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている―再生・日本製紙石巻工場 [著]佐々涼子 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年08月31日(日)付。

3

        • -

紙つなげ!彼らが本の紙を造っている―再生・日本製紙石巻工場 [著]佐々涼子
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2014年08月31日   [ジャンル]社会

■被災社員が救った出版の危機

 本の造作の良し悪(あ)しは、本文紙で決まると思っている。本を構成する紙の中でも体積重量ともに大半を占めるのが本文紙なのだ。地味ではあるけれど、100枚の束になったときの表情は、実に多様。めくり具合、重さ、色や風合いなど、本の用途に合わせて配合を変えて作られている。本を読み進める気分にだって強く影響する。
 東日本大震災の1カ月後だったろうか。拙著を増刷するにあたり、紙の入手が難しく、初版と種類を変えねばならない旨を版元から聞かされた。あの紙は石巻で作られていた紙だったのだろうか。
 本書は日本製紙石巻工場が2011年3月11日に被災し、巨大津波に呑(の)まれ、完全に機能停止となってからごく短期間で奇跡的復帰を果たすまでのノンフィクションである。
 石巻工場の「8号」とよばれる抄紙機(しょうしき)は、単行本や文庫本の本文紙を作る。日本製紙はこの「8号」を、まず半年後に稼働させることを決める。
 いくら出版社と紙を供給しつづけると約束したからといって、不可能だ。石巻ではないけれど、抄紙機は見学したことがある。とにかく巨大なのだ。機械の端から端まで、遠すぎてかすんでしまうほどの距離があった。そこが塩水を被り、さらに瓦礫(がれき)と泥でいっぱいになって、遺体だってあって。電気も水道も通っていないところを、社員たちが、彼らとて被災者なのに、ひたすら手で泥を掻(か)き出すところから始まるのだ。力を合わせ、実現に近づけていく。切れの良い文章に引き込まれ、無理はまさかになり、ひょっとしてと思ううちに、信じられない奇跡まで、息つく間もなく連れていかれる。
 本書でも触れられているように、出版業界は収縮傾向にある。本は以前ほど売れない。それなのにまず8号を動かすことに力を尽くしてくださったことは、忘れまい。本を書き読み、愛する者は。
    ◇
 早川書房・1620円/ささ・りょうこ 68年生まれ。12年、『エンジェルフライト』で開高健ノンフィクション賞。 
    −−「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている―再生・日本製紙石巻工場 [著]佐々涼子 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年08月31日(日)付。

        • -




被災社員が救った出版の危機|好書好日





Resize2022

紙つなげ!  彼らが本の紙を造っている
佐々 涼子
早川書房
売り上げランキング: 555

覚え書:「戦争に隠された「震度7」―1944東南海地震・1945三河地震 [著]木村玲欧 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年08月31日(日)付。

4

        • -

戦争に隠された「震度7」―1944東南海地震・1945三河地震 [著]木村玲欧
[評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)  [掲載]2014年08月31日   [ジャンル]社会 
 
■教訓の継承阻む報道規制

 1944年の東南海地震、45年の三河地震。いずれも震度7相当の大きな揺れに襲われ、津波も発生し、多くの犠牲者を出した大災害だ。戦時下の日本。物資が少ない中での支援・復旧は容易ではなかった。だが、さらなる問題が被災地を襲う。この二つの災害は、政府及び報道機関によって「隠された」のだ。
 死者・行方不明者がそれぞれ千人を超える大災害。だがいずれの場合も、翌日の新聞では「被害微小」と、事実と異なる報道がなされた。政府も報道機関も、被害状況は把握していた。にもかかわらず、戦力低下が国民や外国に知られることを恐れ、検閲の徹底を優先したのだ。
 事前検閲が励行され、被害に関する数値は留保された。被害程度は局地的な放送のみ許され、公的施設の被害についての報道は規制された。被害内容のメモを記者に渡した調査員は「貴様、非国民や」「地震情報を漏らした」と、失神するまで拷問を受けた。
 報道規制は、支援や復旧を遅らせるばかりでない。活字化が禁止されることで、証言や教訓を次世代に残す試みをも阻害するのだ。実際、この二つの災害を知り、教訓として語り継ぐ者は少ない。なお、そうした「努力」もむなしく、諸外国は災害の実態を正確に把握していたのだが。
 これらの制約がありながらも、地元紙は支援情報などを連日取り上げる努力をしてはいた。本書は、報道の記録をたどり、メディアが何を伝え、何を伝えられなかったのかを浮き彫りにする。また、被災者にインタビューを行い、災害状況を再現・検証し、そのうえで防災ワークシートのひな型を提案する。「隠された」ことへの告発に終始せず、未来志向の防災教育につなげる手並み。さすがは防災研究者だといえよう。
 戦後69年、防災の日南海トラフへの備え。この機に本書を読む意義は、どれだけ強調しても大げさにはならない。
    ◇
 吉川弘文館・2160円/きむら・れお 75年生まれ。兵庫県立大准教授(防災心理学)。災害関連の共著多数。 
    −−「戦争に隠された「震度7」―1944東南海地震・1945三河地震 [著]木村玲欧 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年08月31日(日)付。

        • -


教訓の継承阻む報道規制|好書好日





Resize2023