日記:現実に奉仕し、その奴隷となる学理は、曲学阿世のものである。そして、現実が学理に奉仕し、それによって導かれることを求めるのは、曲学阿世の望みえぬことである。

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「感情」に流されずに、冷静に評価すれば、まともなことを「説明」したことになるのでしょうか。

「僕はどちらの側でもありません」ということを強調すれば、まともなことを「論評」したことになるのでしょうか。

量子論でご破算にしても始まらないですが、これほど価値自由を錯覚し、それどころか価値自由そのものをあざ笑うものは他にはありません。もはや一種の「冷静病」と言ってもよいでしょう。

「感情」に流されずに、冷静に評価というポーズ、「僕はどちらの側でもありません」ということだけを強調するスタンツというものこそ、おうおうにして、他人の家に土足で踏み込んできて、頼まれもしない実況見分という愚挙。

どうして人間が喜怒哀楽してしまうのか、そのことを無視すること自体、喜怒哀楽する人間を小馬鹿にし、そのこと自体を抑圧する権力補完構造であることになぜ気がつかないでしょうか……ねぇ。

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 気が付けば、本年は戦後七十年にあたる。たんなる偶然とはいえ、エラスムスとモアの往復書簡をこの節目に出すにさいして、我々は、渡辺一夫がその昔エラスムスとモアをめぐって綴った文章−−「ルネサンスの二つの巨星」(『エラスムス トマス・モア』中央公論社、一九六九年、巻頭緒言)−−を思い起こさざるをえない。悲惨な大戦で被った体験と自ら生業とするフランス・ルネサンス研究とが相まって、一つの精神的志向性が成立するところに渡辺の稀有な立ち位置があったわけだが、そのような現実の生の体験と歴史的な知的探求とが相まって織り成す、反省的・批判的ヴィジョンの必要性が今ふたたび問われていると思うからである。精神の偏狭が狂気を生み、一旦生まれた狂気は、猖獗を極めてとどまることを知らない。そういう戦前戦中の体験を踏まえて、渡辺はこう言った。「現実に奉仕し、その奴隷となる学理は、曲学阿世のものである。そして、現実が学理に奉仕し、それによって導かれることを求めるのは、曲学阿世の望みえぬことである。」ここでいう後者の学理こそ、エラスムスがそしてモアが、ともに生涯にわたって求めつづけたところのものであった。
    −−高田康成「あとがき」、沓掛良彦・高田康成訳『エラスムス=トマス・モア往復書簡』岩波文庫、2015年、430-431頁。

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覚え書:「今週の本棚・この3冊 日米開戦 森山優・選」、『毎日新聞』2015年12月6日(日)付。

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今週の本棚・この3冊
日米開戦 森山優・選

毎日新聞2015年12月6日

森山優(あつし)・選

 <1>日本の近代5 政党から軍部へ 1924−1941(北岡伸一著/中公文庫/1646円)

 <2>真珠湾<奇襲>論争 陰謀論・通告遅延・開戦外交(須藤眞志著/講談社選書メチエ/品切れ)

 <3>山本五十六田中宏巳著/吉川弘文館 人物叢書/2268円)

 今から七十四年前の一九四一(昭和十六)年十二月八日、日本は米・英・オランダとの戦争に踏み切った。当時「大東亜戦争」と呼んだ戦争の始まりである。三年八カ月後の一九四五(昭和二十)年八月、焦土と化した日本はポツダム宣言を受諾。周囲のアジア地域にも大惨禍をもたらした戦争は、日本の惨敗に終わった。

 そもそも、何のために日本は戦争を選んだのか。即答することは難しい。日本政府は「大東亜共栄圏」の建設を戦争目的に掲げたが、当時でも意味不明と思われた妄想のために戦争に踏み切る国家があるだろうか。戦争が政治の延長(クラウゼヴィッツ)だとすれば、平和的な手段で解決できない利害対立が日米間に存在した筈(はず)である。しかし、当時の両国間に、国運を賭してまで争わなければならなかった重大な争点は見いだしにくい。この不可解さを開戦五十周年のシンポジウムで指摘したのが北岡伸一である。氏の議論は今年発売された著作集に収められたが、ここでは戦争へと向かっていく日本の政治の流れを描いた一般書<1>をあげよう。政党政治の全盛期から、一九三〇年代に軍の影響力が増大して行く様子を明快に描写している。時代背景を知るために、まず押さえておきたい。

 八日未明、日本海軍の機動部隊がハワイ空襲を敢行。真珠湾に停泊していたアメリカ太平洋艦隊の主力艦に壊滅的打撃を与えた。作戦の予想以上の成功に加え、アメリカにとっては大失態だったことから、その後さまざまな陰謀論を生むことになる。ルーズベルト大統領はナチス打倒のため欧州戦線に参戦したかったが、国内の孤立主義者の反対に手を焼いていた。彼は日本の攻撃を察知していたが、わざと撃たせて参戦の口実にしたという議論である。常識のレベルでも怪しい話(機動部隊が攻撃隊を発進させた段階で、参戦の大義としては充分。あとは返り討ちにすればいい)だが、これに真正面から答えたのが<2>。周期的に繰り返されてきた陰謀論の系譜を整理し、丁寧に論破している。

 その真珠湾攻撃を主導した山本五十六連合艦隊司令長官の伝記が<3>。日本の戦争研究を作戦史のつぎはぎと喝破し、戦争をトータルにとらえることの重要性を指摘し続けてきた田中宏巳による。とかく声望が高い山本だが、田中は軍事史家の視点から冷静に評価を下している。と同時に、山本が生きた時代を知り、戦争の全体像を俯瞰(ふかん)することもできる良書である。
    −−「今週の本棚・この3冊 日米開戦 森山優・選」、『毎日新聞』2015年12月6日(日)付。

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今週の本棚・この3冊:日米開戦 森山優・選 - 毎日新聞



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日本の近代5 - 政党から軍部へ 1924~1941 (中公文庫)
北岡 伸一
中央公論新社 (2013-06-22)
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山本五十六 (人物叢書)
田中 宏巳
吉川弘文館
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覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『「フランスかぶれ」の誕生−『明星』の時代1900−1927』=山田登世子・著」、『毎日新聞』2015年12月6日(日)付。

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今週の本棚
川本三郎・評 『「フランスかぶれ」の誕生−『明星』の時代1900−1927』=山田登世子・著

毎日新聞2015年12月6日

(藤原書店・2592円)

「日本語の近代」語る熱い著者の筆

 近代日本の文学者の多くは西洋、とりわけフランスへ憧れた。

 永井荷風は「嗚呼(ああ)わが仏蘭西(フランス)。自分はどうかして仏蘭西の地を踏みたいばかりに此(こ)れまで生きていたのである」(「巴里(パリ)のわかれ」)とフランスへの憧れを率直に表明した。

 萩原朔太郎が大正のはじめに「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」(「旅上」)と歌ったのはよく知られている。島崎藤村は大正時代にパリに行ったし、昭和のはじめ林芙美子は『放浪記』がベストセラーになると飛ぶようにパリに出かけた。

 挙げてゆくと切りがない。作家や詩人にとってフランスは憧れの地であり続けた。

 本書は、フランスへ熱い思いを抱き続けた文学者たちを辿(たど)っている。「フランスかぶれ」を軸にした近代文学史になっていて面白い。

 語られる文学者は、与謝野鉄幹(のち寛)と晶子、北原白秋石川啄木永井荷風島崎藤村堀口大学ら。大杉栄に一章割かれているのは異色(文学者として評価している)。

 「フランスかぶれ」に大きな役割を果たしたのは明治三十三年(一九〇〇)に鉄幹と晶子を中心に創刊された雑誌『明星』だと、著者はいう。

 短歌だけではなく詩、そして翻訳を載せた『明星』は、当時としてはきわめてハイカラな雑誌だった。表紙を藤島武二アール・ヌーヴォーの絵が飾った。フランスの香りがした。白秋や啄木らが作品を寄せた。

 なぜフランスだったのか。

 まず何よりもフランスが芸術を大事にする国だったからだろう。明治の日本は、富国強兵、殖産興業が謳(うた)われ、芸術文化よりも実学が優先された。だからこそ、芸術の国フランスが、芸術の都パリが、文学者たちの憧れになっていった。

 本書は、しかし、ただ「フランスかぶれ」の流れを追っているだけではない。日本語の近代というもうひとつの重要な主題が底流にある。

 西洋文明に接した日本が、いかにして近代日本語を作り上げてゆくか。「神」「恋愛」「青春」「芸術」などの言葉が近代になって翻訳語としてうまれたように、言葉に生きる文学者は、新しい時代に合った新しい近代日本語をどう作ってゆくかの難題に直面した。

 その悪戦苦闘のなかで大きな手がかりとなったのがフランスとの遭遇だった。世紀末フランスの文学、あるいは印象派の絵画から受けた新鮮な感動をどういう日本語で表現していったらいいのか。

 「フランスかぶれ」の文学者たちは、ただ芸術の国に憧れただけではない。翻訳という言語表現を通して、新しい日本語を考え作り上げてゆくことに傾注した。著者は、この点こそを強調する。

 上田敏によるフランスの象徴詩の訳詩集『海潮音』(明治三十八年)が『明星』に拠(よ)る文学者たちにいかに大きな影響を与えたか。永井荷風訳の『女優ナナ』の文章がいかに素晴らしいか。

 あるいはまた北原白秋の、色彩と光にあふれた詩や歌が、いかにフランスの印象派の絵画に近接しているか。堀口大学の軽やかで、はかない詩の世界が、いかにパリの詩人たちに多くを学んでいるか。

 「日本語の近代」を語る著者の筆は熱い。本書の読みどころだろう。個人的には、荷風がフランスを体験することで、官能の喜び、近代人の憂い、そして都市を一人歩く孤独の楽しみを知り、そこから新しい文体を作っていったという指摘には、荷風好きとして納得するものがあった。
    −−「今週の本棚:川本三郎・評 『「フランスかぶれ」の誕生−『明星』の時代1900−1927』=山田登世子・著」、『毎日新聞』2015年12月6日(日)付。

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今週の本棚:川本三郎・評 『「フランスかぶれ」の誕生−『明星』の時代1900−1927』=山田登世子・著 - 毎日新聞








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「フランスかぶれ」の誕生 〔「明星」の時代 1900-1927〕
山田 登世子
藤原書店
売り上げランキング: 103,259

覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『日本人と経済−労働・生活の視点から』=橘木俊詔・著」、『毎日新聞』2015年12月6日(日)付。

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今週の本棚
松原隆一郎・評 『日本人と経済−労働・生活の視点から』=橘木俊詔・著

毎日新聞2015年12月6日

東洋経済新報社・1944円)

夢物語ではない平等と効率の両立

 著者・橘木(たちばなき)氏は一九九八年の『日本の経済格差』(岩波新書)において、所得の不平等度を表すジニ係数が一九八〇年代から上昇しつつあることを挙げ、中流の分厚さが特徴とされた日本がアメリカのような不平等社会に向かいつつあると指摘して、広く衝撃を与えた。それに対し、世代内での所得格差が他世代よりも大きい高齢者の人口比率が増えればジニ係数はそれだけで上がるのだから、格差拡大は見せかけにすぎないといった反論が提起されたりした。

 これは一九九〇年代半ばまでのジニ係数の推移にかんし人口分布の変化で大方の説明がつくという反論だったが、むしろ格差がリアルに意識され始めたのはそれ以降のことであった。というのも世紀の変わり目頃から非正規雇用が急増していまや四割近くになり、我が国で低所得者を支えてきた家族やコミュニティ・会社(血縁・地縁・社縁)の紐帯(ちゅうたい)が弱まったことも目に付くようになったからだ。資産にかんする格差という、日本には直接に当てはまりそうにない視点を掲げたT・ピケティの『21世紀の資本』が注目されたのも、「見せかけ」ではない経済社会の変化を人々が感じているからに違いない。

 本書は日本人の家計や暮らしをめぐる様々な論点を教科書的にまとめた書ではある。明治から終戦まで、高度成長期から安定成長期まで、そして一九九〇年以降という歴史区分や、会社・政府に教育といった生産にかかわる側面、また所得や格差、福祉とジェンダーといった暮らしについての論点を整理しており、図表も多く、一読して我々の仕事や暮らしがどのような変動にさらされてきたのかが理解できる。我々のこの百年は、世界にも類を見ない変化に満ちていたのである。評者が腑(ふ)に落ちた点を挙げてみよう。

 ひとつは、明治から昭和の敗戦まで、激しい格差社会だったことである。大土地所有者が小作人を支配しただけでなく、工場長が普通工員の十七倍もの給与を得ていた(現代でせいぜい三−五倍)。士族や華族といった江戸時代からの身分制の名残りだけでなく、官民や役職、男女などで多方面に格差があり、貧しい人々は食うにも困る有り様だった。それゆえ戦後のGHQ(連合国軍総司令部)による諸改革は、民主主義を目指したというよりも、平等をもたらしたとして評価されている。

 ふたつには、企業が社会保険料を負担したくないことを一因として非正規雇用を増やすと、失業保険も年金も十分には行き渡らなくなる。それは企業の効率性を上げるかもしれないが、公平性を損なっている。日本人は社会保障を税でまかなうことに抵抗があるが、かといって非正規労働者が貯金もできず高齢化したとして、見捨てるほどの冷酷な個人主義者や慈善を行うほどの博愛主義者にもなれそうにない。とするならば、せめて基礎年金は消費税で充填(じゅうてん)しようという提案には説得力がある。

 三つには、親の所得によって明確に大学進学率に差があり、若い夫婦が子どもを持てない理由に経済的負担がある。政府は予算を教育費(大学の授業料の減免)や子ども手当(児童手当)の方に振り向けるべきだというのも理解できる。

 評者は橘木氏が北欧型福祉を推すのにつきいまひとつ了解できない部分があった。しかし本書では、北欧諸国は暮らしの平等だけでなく生産の効率性も追求しており、企業間の競争を厳しく要求するとされており、納得がいった。平等と効率をともに実現するのは夢物語ではなく、高度成長期の日本が達成していたことでもあったのだから。
    −−「今週の本棚:松原隆一郎・評 『日本人と経済−労働・生活の視点から』=橘木俊詔・著」、『毎日新聞』2015年12月6日(日)付。

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今週の本棚:松原隆一郎・評 『日本人と経済−労働・生活の視点から』=橘木俊詔・著 - 毎日新聞


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日本人と経済―労働・生活の視点から
橘木 俊詔
東洋経済新報社
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覚え書:「フロントランナー:SEALDsメンバー・明治学院大学4年、奥田愛基さん デモを変え、社会を変える」、『朝日新聞』2015年12月19日(土)付土曜版。

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フロントランナー:
SEALDsメンバー・明治学院大学4年、奥田愛基さん デモを変え、社会を変える
2015年12月19日

 取材当日の11月、日曜日。待ち合わせ時刻を40分以上過ぎて、東京・代々木上原駅前に現れた。パーカーのポケットに両手を突っ込み、背中を丸めて走ってくると、小声で「すみません……」。低血圧で早起きは大の苦手なのだ。

(フロントランナー)奥田愛基さん 「絶望を抱えながらも、希望を語る」
 この青年こそ、今年、おそらく最も世間の注目を集めた大学生。安保法制に抗議し、国会正門ログイン前の続き前などで大規模デモを率いた学生団体「SEALDs(シールズ)」の中心メンバーだ。

     *

 6月から、法案成立の9月19日の明け方まで、毎週金曜日の同じ時間、同じ路上で、仲間と声を上げた。激しい雨の中も、うだる暑さでも。若者の輪は回を重ねるごとに膨らんだ。知識人を引き寄せ、高校生が繁華街を練り歩き、地方都市に波及した。「政権へ異を唱えたいと思う人が増えてきた時、彼らが“着火剤”の役目を担った」と作家で明治学院大教授の高橋源一郎さんはいう。

 北九州市生まれ。ホームレスの自立を支える活動で知られる牧師の父と、その人たちを家族のように受け入れる母。幼い頃から、炊き出しの手伝いなどをして育った。だが、地元の中学でいじめに遭って不登校になる。「自分が自分になるとは?」と独り悩んだ。世間の価値観とかけ離れた家庭にも、地元にも居場所がなかった。自分でネットで調べて、沖縄の離島へ転校した。高校は島根の小さな全寮制へ。テレビも携帯もネットも漫画も禁止という3年間が終わる前日、東日本大震災が起きた。

 被災地支援を始めた父のつてで現地に入り、大学入学後もボランティアに通った。だが当事者ではない自分の立ち位置に悩み、2年の秋、休学。カナダやアイルランドなどをバックパッカーのように旅した。同世代と酒を飲みながら政治や平和を語り、若者が大学の学費値上げや都市開発に反対するデモを目の当たりにした。

 そして帰国。2013年12月、特定秘密保護法に反対する学生有志の会「SASPL(サスプル)」を約10人で結成。これが後にSEALDsとなる。

 ヒップホップ音楽が流れる車の荷台に立ち、ラップ調に韻を踏むコールや、スマートフォンの画面を読み上げながらの演説など、従来にないスタイリッシュなデモを作り上げ、動画を交えてSNSで拡散、共感を広めた。保守の若手評論家古谷経衡(つねひら)さん(33)は「良く言えば、特別な才能の持ち主。悪く言えば、幼少から自由と民主主義に触れて育った“変人”」とみる。

     *

 法案成立目前の9月15日、参院特別委員会の中央公聴会。公述人席の一番端に、金髪を黒く染め直し、借り物のスーツを着て座った。「寝ている人がたくさんおられるが、よろしければ話を聞いていただきたい」。約15分間に及ぶ演説の冒頭、そう釘を刺すと、何人かの政治家たちは苦笑いして姿勢を正した。「何もない、誰も知らないところから、ひとりで考え、やってきた。だからあなたたちも個人として決断を」と思いをぶつけた。覚悟の上で動く一人ひとりの個人が、社会を変えると信じている。

 (文・高橋美佐子 写真・関田航)

     *

 おくだあき(23歳)

 ※26日と1月2日はbeを休みます。次回は1月9日です。ご意見・ご感想はbe@asahi.comメールするまで。

 (b3面に続く)
    −−「フロントランナー:SEALDsメンバー・明治学院大学4年、奥田愛基さん デモを変え、社会を変える」、『朝日新聞』2015年12月19日(土)付土曜版。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12121076.html


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フロントランナー:奥田愛基さん 「絶望を抱えながらも、希望を語る」
2015年12月19日

 (b1面から続く)

 ――学生たちで抗議活動を始めたきっかけは?

 震災支援活動中、「自分たちはいつまで被災者と言われ続けるの?」と問われ、言葉を失いました。僕は一体どこにいるのだろうか、と。その後に原発再稼働反対のデモに行って、そんな簡単に反対と言えるのかと悩んだり、違和感にかられたり。考え続ログイン前の続きけて眠れなくなり、大学を休学して日本を脱出しました。

 帰国すると、同居の友人が「特定秘密保護法、ヤバくね?」と話しかけてきました。普通に考えておかしいことはおかしいと、学者や政治家じゃなくても言っていいんだと。それで、所属やアイデンティティーを超え、ダメな自分の現状もひっくるめて、一学生として、自分の言葉で、やれる範囲でやってみようと決意したんです。

 ――まったく新しい手法でデモを率いました。

 だれもやったことなくて、ネットで調べました。スタイルもすべて自分たちで考えた。シュプレヒコールではなく、ライブみたいな掛け合いで、「民主主義ってなんだ?」「これだ!」って自分たちに問いかけようと。告知はフライヤーや動画を作り、ツイッターフェイスブックなどで拡散させる。スピーチは事前に原稿を準備し、みんなで読み合わせもしました。

 ■生と死考える

 ――今の活動の原点は高校時代にあるそうですね。

 平和教育に熱心なキリスト教系の全寮制で、僕が2年生の冬、授業で元BC級戦犯の飯田進さんの講演を聴きました。飯田さんは「人を殺した」と震える声で罪を告白し、明日世界が滅びてもリンゴの木を植え続けるという話を紹介しました。その後、ものすごく長い手紙が学校に届いた。僕らの感想文に対する返信で、とってもうれしかった。この人は絶対伝わらない戦争体験を、あきらめずに伝えようとしていると。

 高校の教育理念は「人は何のために生きるのか」。それは“生きるしんどさ”を抱え、いつも死にたい感じがしていた僕自身の問いでもありました。飯田さんの手紙を読み、絶望を抱えながらも希望を語る人がいる、僕は一人じゃないと思えました。

 昨年、80歳を過ぎた祖母が戦時中暮らしたフィリピン・ダバオへ、祖父母や祖母の妹、僕の妹弟ら総勢10人で行きました。無口な祖母は幼い日を過ごした土地に立った時、弟たちを亡くした苦しみと一緒に、花の美しさや楽しかった思い出も語り始めた。

 戦争は体験しないと、そのリアリティーはわからないという。でも不謹慎と口を閉ざしたり端折られたりしてきた体験者の言葉の中に、二度と繰り返してはいけないとのメッセージが感じ取れると思う。

 ――この1年は各メディアに引っ張りだこでした。

 国会前での抗議を始めた6月以降、取材は積極的に受けようと決めた。特定秘密保護法の時のように、安保法案も可決の際にちょっと報道されて終わりかねないという危機感からです。

 ただ9月に僕が通う大学へ、家族も対象とする殺害予告が届いた時、記者にたびたび「どんな気持ちか?」と聞かれ、うんざりしました。僕がどう思っているかは、そんなに重要ですか? それよりも、社会としてどう受け止めるのかをマスコミは語ってほしかった。SEALDsには批判も多くありますが、僕はしっかり耳を傾け、誠実に自分の言葉で説明することを心がけてきました。

 ――安保法案が通ったとき、取材に対し「悲壮感はない」と答えました。

 むしろすごくポジティブだった。政治の主権者は僕たちで、やることは変わらない。この大きな流れは今後も続いていくと思う。

 ■新たな活動へ

 ――卒業間近ですね。

 今、政党政治をテーマに卒論を書きつつ、大学院に進むために勉強中です。

 SEALDsは来年の参院選で解散予定で、14日に政策を提言するためのシンクタンク「ReDEMOS(リデモス)」を弁護士や学者と設立しました。市民が参加し、安保法や特定秘密保護法の改正を求め、本当の立憲民主主義を実現する法の整備を与野党に働きかけます。

 人間は皆ひとりで生きるしかなくて孤独だけど、ひとりじゃ生きられない。そんな自分やあなたが個人として認められ、一緒に生きることを支える仕組みが、民主主義じゃないですか。

 最近、母方の祖父が「やっと奥田愛基になったな」と言ったんです。悩んでいた中学生の僕に「奥田愛基になれ!」と繰り返したじいちゃんです。やっと認めてもらえたのかな。

 ■プロフィル

 ★1992年、北九州市で生まれる(写真は6歳ごろ)。中学で不登校になり、2年生の冬から、都会の子どもらを受け入れる沖縄・鳩間島へ転校。

 ★2008年、島根県江津市キリスト教愛真高校に入学。自然に囲まれた寮生活を送る。

 ★11年、明治学院大国際学部に入学。高橋源一郎さんの講義を受講。

 ★12年秋に休学。カナダなどへ留学。留学前に被災地の人らを撮影した5分間の短編映画「生きる312」が、13年、国際平和映像祭グランプリを受賞。

 ★同年12月、特定秘密保護法に反対する学生有志で「SASPL」を結成。14年2月、新宿で初の抗議デモ。費用は自分のバイト代でまかなった。7月、集団的自衛権の行使容認の閣議決定を受けて活動本格化。12月、解散。

 ★15年5月3日、「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)創設。

 ★12月、市民のための政策提言シンクタンク「ReDEMOS」を設立。

 ★好きな音楽はラップ。ラッパーが好むセレクトショップ「12XU」(東京・代々木上原)がお気に入り。店長は活動の支援者でもある。


    −−「フロントランナー:奥田愛基さん 「絶望を抱えながらも、希望を語る」」、『朝日新聞』2015年12月19日(土)付土曜版。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12121024.html



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