覚え書:「耕論:文系で学ぶ君たちへ 最果タヒさん、鷲田清一さん、ロバート・キャンベルさん」、『朝日新聞』2016年04月07日(木)付。

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耕論:文系で学ぶ君たちへ 最果タヒさん、鷲田清一さん、ロバート・キャンベルさん
2016年4月7日

最果タヒさん=遠藤真梨撮影 

 学生注目! 何だ! 文系の学問は役に立たないから廃止しろなんてことが言われている! ナンセンス! 我々は先輩の教えを聞いて、断固文系で学ばねばならない! 異議なし!

 ■ムダあって人は作られる 最果タヒさん(詩人)

 阪神大震災が起きた1995年。私が9歳だった時の話をしますね。

 阪神、淡路を襲った巨大地震で高速道路も高層ビルも見事に壊れ、街の機能はマヒしました。神戸市内の自宅も半壊し、しばらく避難所で暮らしました。そこで、おじいちゃんたちが青空の下で将棋を教えてくれたんです。おなかが満たされたわけではないし、その後、何かに役立ったわけでもない。でも、ひととき笑顔になれて、心が満たされた。人間って、そういう時間も必要なんじゃないかな、と思います。

 高速道路や高層ビルは、確かに便利で生活に欠かせないものです。私がおじいちゃんに習った将棋は、少なくとも私の人生に欠かせないものではない。でも、役に立つものだけでは生きていけないんだということを、青空将棋から無意識のうちに学んだのかもしれません。

 もしかして大学で、特に文系の学部で学ぶことなんか、社会で何の役にも立たないよ、なんて考えていませんか。

 私は大学時代、文系、理系を問わず、興味があればどんな授業でも聞きました。何かを知ると疑問が一つ解けて、次の「なんで?」が生まれる。それをくり返すうちに点と点がつながって線になり、頭の中の地図が広がり、世界の見え方が変わってくる。それだけで楽しかった。答えがなかったり、正解が一つじゃなかったりする学問は底なし沼のようで、果てのない感じが面白いなあ、と。

 思考を育てるという点で、どんな学問にだって意味があると思います。いや、意味のないものなんて、あるのでしょうか。学問が追い求める真理って時を超えても淘汰(とうた)されずに残るものですよね。役立つかどうか、時代ごとにふるいにかけていては、学問の存在意義はなくなってしまうし、時を超えるものなんて生まれないでしょう。

 私の詩なんて、役に立たないものの典型でしょう。そもそも誰かの役に立つから詠んでいるわけじゃないですけど。ただの言葉の連なりが、誰かの心には刺さって絶対的なものになり、そうでない人には何の価値もない。一般に、役立つとされるものって役立ち方が決められているけど、詩は読んだ人ごとに解釈がある。それがいいんです。

 スポーツカーだって、スティーブ・ジョブズが生んだ商品だって、機能だけでできているわけじゃない。色やデザインも大切ですよね。食べものは栄養が取れれば、味はどうでもいいのか。役立つことだけを求めていったら世界が一色になってしまいませんか。

 青春時代なんて、振り返ればムダだなあと思う時間ばかり。でも、人は、そういう時間で作られていくんです。

 (聞き手・諸永裕司)

     *

 さいはてタヒ 86年生まれ。08年、女性最年少の21歳で中原中也賞を受賞。15年、現代詩花椿賞。近く4冊目の詩集を刊行。素顔は公開していない。

 ■全ての研究は「文」に通ず 鷲田清一さん(哲学者)

 文系の「文」は、言うまでもなく文化の「文」です。その研究をするから文系です。そして、僕に言わせると、大学の研究は突きつめればみな文系につながります。

 たとえば、医療の技術は医学部でやっていますね。病気だとか治ったとか、数値で決めるけれど、そもそも健康と病の差って何なのか。それを考えるのは文系の学問です。都市工学は工学部ですが、都市生活の豊かさって何なのかと考えるのは文系です。反対に、心理学は文学部にあることが多いけれど、実験して統計をとって分析して、と理系の手法で考える学問です。

 文と理は対立する学問ではないんですね。一つのことを両面から探るのが学問なのです。もっと言えば、言葉の意味でも対立しません。文は織物の「文(あや)」、理は石の「肌理(きめ)」、どっちも模様、ないしは筋のこと。見極めようとするものは同じです。だから、大学ではみなが文を学ぶんだと思ってください。ちなみに、文化の文に対立するのは「武」です。

 そう考えると、危機にあるのは文系学部ではなくて「文化」であり「文」です。物事をものすごく長いスパンで見るとか、根源的な原理を探していくというのが文の特徴ですが、その評価の物差しが短期的になってきました。すぐに成果が出るかでお金の集まり具合が違ってくる。腰を据えてやる研究の予算はどんどん削られています。それに流されたんではよくない。

 国家百年の計といいますが、100年先を見通すのは、信念があっても容易にできるものではありません。仕事がある人は、いまの課題で精いっぱい。そこで学問なんです。

 大学というところは、目下の仕事に取り組む人の代わりに、あるいはその委託を受けて、役に立つか立たないか分からないことでも必死に探求するところです。100年後にどういう社会になっていればいいのか、いま何をすればいいのかと考えるときに、歴史学や哲学は数千年前までさかのぼって、具体的な事例、論理的な可能性を丹念に調べる。そして、短期的な視野とは別の可能性をいまの時代に示せるよう準備しておく。それが学問の役割です。

 一つのことを徹底的に考え抜いてください。その問題の解決のためにあらゆる方法を試し尽くす。すると、後で別の課題に取り組むときもその可能性と限界がよく見えてきます。

 視差という言葉があります。見る目が二つあって、ものは立体的に見えます。幅広い視差を持つ、でかい人間になってください。物事を多くの面から見られる人、多くの人に思いをはせることのできる人に。

 いま大学で学び始めようとする君たち。どうぞ「文」を究めてください。

 (聞き手・村上研志)

     *

 わしだきよかず 49年生まれ。大阪大総長を経て、昨年4月から京都市立芸術大学長。著書に「哲学の使い方」「しんがりの思想」「〈ひと〉の現象学」など。

 ■「問い」見つけ感性鍛えて ロバート・キャンベルさん(日本文学研究者)

 もし、「文系でも大丈夫だよ」と呼びかける、セラピーのような記事を期待するのなら、この先は読む必要はないでしょう。これから私が話すのは、自分の今いる学科で、与えられた環境で、一つでいいから自分ならではの「問い」を見つけてほしい、ということです。

 私の専門の文学は「虚学」です。実学ではありません。「すぐに役に立たない」と言われれば、その通り。就活でも不利かもしれない。ただ、「すぐに役に立つ」ものが20年後、30年後も、そうであり続けるでしょうか。その点、文学には賞味期限がありません。何十年、何百年と読み継がれてきた作品ほど精緻(せいち)な分析に耐えるものはないし、いまだに考えさせられるものが多いものです。

 例えば、約250年前の江戸時代に上田秋成が書いた怪異小説集「雨月物語」の中に「菊花の約(ちぎり)」という短編があります。

 旅の途中、病に倒れた武士と、看病した宿場町の若者が親しくなり、義兄弟の契りを結んだ。病が癒えた武士は、故郷に戻ることにしたが、若者が懇願して再会を約束した。ところが、武士は故郷でとらわれの身となってしまった。約束の日の夜、若者は、闇の中に武士の姿を見た。とらわれて動けない武士が、自決して霊となって約束を果たした姿だった――。

 という話です。秋成は最初と最後に「軽薄の人と交わりを結んではいけない」と書いています。作中の誰が軽薄なのでしょうか。この物語を通じて、何を訴えたかったのでしょうか。秋成は語りません。「軽薄の人」については、文学研究者の間で、戦後もいくども熱く議論されています。

 文学とは表現やコミュニケーションを研究する学問です。作者は何を、どういうふうに伝えたのか。それは読み手や社会に伝わったのか、伝わらなかったか。作者や作中の人物の思いと振る舞いを追いながら、真意や底意を読み解いていく。この知的作業は、言語、宗教、文化など様々な差異を持つ人々が暮らす、今のグローバルな社会で、最も大事なことの一つではないでしょうか。

 私は最初に、「問い」を見つけてほしいと言いました。「問い」は、高校生までだったら親や先生から与えられるものだったでしょう。でも大学で学ぶ君たちは、自分で探さねばなりません。しかも、それは4年間では解けないかもしれない。それでも「問い」の壁をこすって、こすって、少しでも「解」に近づこうとしてほしい。

 そこで鍛えた感性は卒業後、何かを始めよう、組織を変えよう、人材を開発しよう、営業にはこういうアイデアを、というときに必ず生きる。自分を支える基盤になるはずです。

 (聞き手 編集委員・刀祢館正明)

     *

 Robert Campbell 57年米国生まれ。東大院教授。専門は近世・近代日本文学。編著に「ロバートキャンベルの小説家神髄」「読むことの力」「Jブンガク」など。
    −−「耕論:文系で学ぶ君たちへ 最果タヒさん、鷲田清一さん、ロバート・キャンベルさん」、『朝日新聞』2016年04月07日(木)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12298462.html


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覚え書:「今週の本棚 湯川豊・評 『怪しいものたちの中世』=本郷恵子・著」、『毎日新聞』2016年04月03日(日)付。

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今週の本棚
湯川豊・評 『怪しいものたちの中世』=本郷恵子・著

毎日新聞2016年4月3日 東京朝刊
  (角川選書・1728円)

日本人とは何かまで考えさせる力
 第一章「中世の博打(ばくち)」が始まるとすぐに、こんなエピソードが語られる。藤原定家の日記『明月記』に出てくる話だ。

 伊予国に天竺冠者(てんじくかじゃ)と名のる狂者がいた。この男がとらえられ、神泉苑に引き出されて、後鳥羽院がご覧になった。さまざまに問うて、その神通力の無さがばれてしまった云々(うんぬん)。

 同じ天竺冠者のことを、『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』はもう少し詳しく書いている。男は空を飛び、水の上を走るという噂(うわさ)があり、また自分は親王である、と称していた。それが全部偽りであることがばれたのだが、この男は元博打うちで、仲間の博打うち八十余名が協力し、霊験あらたかなることを触れまわったのだ、とあった。

 ここで注目すべきことが二点ある。一つは博打うちの共謀による詐欺事件で、全国的に散らばる怪しげな組織めいたものがあったこと。もう一つは、男が親王であるといったこと。後者は、院政がしかれて、天皇上皇のご落胤(らくいん)問題がこうした詐欺のもとになっている点、より重要といえる。

 中世に特有の院政という宮廷のわかりにくさが、自(おの)ずと怪しいものを生みだす。正統がくずれて、怪異が現れるという図であろう。

 特別に興味深かったのは、第二章「夢みる人々」であった。

 一族という共同体が「吉夢」を見て、それを頼りに結束を固め、世をわたってゆく。中世の特徴と本郷氏は捉え、その典型として、高名な九条兼実(くじょうかねざね)を挙げている。兼実には『玉葉(ぎょくよう)』と称される日記があり、共同体の夢の記録が生々しく書かれている。

 藤原道長から下ってその地位を受け継いだ忠通がいるが、その三人の子が、近衛家の基実(もとざね)、松殿家の基房(もとふさ)、そして九条家の兼実と三家に分かれた。基実が死亡し、基房が解任された後も、兼実に摂政の地位がまわってこない。生マジメ、篤実の兼実は悶々(もんもん)の日を過ごしながら、妻、嗣子、家司(けいし)にいたる一族の吉夢(摂政になることを暗示する夢)を克明に綴(つづ)ってその日を待つのである。

 もっとも、日記には自分を差し置いて摂政になった、基通(基実の息子)と後白河院の「艶なる関係」なども詳しく書かれている、とのことだが。最後は鎌倉の頼朝の圧力で後白河院の恣意(しい)にとどめがさされ、兼実は摂政氏長者(うじのちょうじゃ)になる。兼実も怪しいものの一人なのかもしれないが、それ以上に院政システムのなかで権力を発揮しつづけた白河院後白河院はまさに超絶した存在だったのである。

 この院政の政治を行う舞台が、法勝(ほっしょう)寺をはじめとする六勝寺であった、と本郷氏は話を移してゆく。

 とりわけ法勝寺。白河院にとっては「自らの住居の中に設けた巨大な持仏堂」のようなもので、ここで行う人事(たとえば受領(ずりょう)の任命)などで、政治力を存分にたくわえた。そしてその一方で、寺を管理・運営する執行(しぎょう)なる僧がいて、これがまた経済を背景に大きな権力をもっていた。

 後白河院の寵愛(ちょうあい)を受け、平氏への陰謀がばれて喜界島(きかいがしま)に流された俊寛(しゅんかん)。頼朝の信頼厚く、しかし後鳥羽院と結託して承久の乱を起こした尊長。この二人が法勝寺執行の代表格で、二人の死に方は凄絶(せいぜつ)である。

 東大史料編纂(へんさん)所教授である著者の、エピソード中心の歴史の語り方がみごと。挿話の一つ一つが、じつは歴史の底流の顕現である、という深い想像力に裏打ちされている。中世とは何かを問いながら、日本人とは何かということまでを考えさせる力がある本だ。
    −−「今週の本棚 湯川豊・評 『怪しいものたちの中世』=本郷恵子・著」、『毎日新聞』2016年04月03日(日)付。

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今週の本棚:湯川豊・評 『怪しいものたちの中世』=本郷恵子・著 - 毎日新聞



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怪しいものたちの中世 (角川選書)
本郷 恵子
KADOKAWA/角川学芸出版 (2015-12-23)
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覚え書:「今週の本棚 山崎正和・評 『チェーホフ−七分の絶望と三分の希望』=沼野充義・著」、『毎日新聞』2016年04月03日(日)付。

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今週の本棚
山崎正和・評 『チェーホフ−七分の絶望と三分の希望』=沼野充義・著

毎日新聞2016年4月3日 東京朝刊
  (講談社・2700円)

七分の共感と三分の憐憫の作家
 本書の主題はチェーホフ、副題は「七分の絶望と三分の希望」である。だが読み進むと浮かび上がる作家の姿は、「七分の共感と三分の憐憫(れんびん)」の人だったように見えてくる。愛と同情に溢(あふ)れながら、知性のゆえにか微(かす)かな憫笑を抑えられなかった作家である。

 習作時代のチェーホフは短編を書いて、新聞の娯楽小説欄に発表していたが、その秀作の一つ「ワーニカ」は、すでに哀れな対象への両義的な感情を明確に表している。田舎育ちの孤児が都会に奉公に出され、虐待の限りを受けて故郷の祖父あてに窮状を訴え、助けを求める手紙を書く。みずからも幼年期に児童虐待を体験していた作家の目は温かく、惨状を子細に描きだして、満腔(まんこう)の同情を隠そうとしない。

 だが書簡体の小説は一方で孤児の幼稚な文章を露骨に示したうえ、滑稽(こっけい)な無知をあえて人目に曝(さら)そうとする。孤児は宛名となる祖父の姓も住所も記すことを知らず、祖父は文字が読めない可能性が高いのに、手紙を投函(とうかん)すると安心して幸せな眠りに就くのである。

 同じアンビヴァレンス(反対感情両立)はまた、チェーホフの女性にたいする態度にも現れている。中編小説「かわいい」は初期の成功作だが、主人公の多情な女性は極端といえるまでにかわいくありすぎる。芝居の興行主と結婚すると演劇に夢中になり、材木商と再婚すると夢を見るほど木材が好きになり、その死後に軍の獣医と結ばれると、晩年には獣医の息子に自宅を譲って生涯を閉じることになる。沼野氏によれば「おばか」と「聖女」を一身に兼ねた女性だが、小説はその両面をまさに均等に活写して憚(はばか)らないのである。

 トルストイは人生を肯定的に描き、ドストエフスキーは否定的に描いたが、チェーホフは言葉の厳密な意味においてありのままに捉えた。凡百の写実作家のように価値観を密輸入したりせず、文字通り人生を見えるがままに見せたのがこの天才だった。ありのままに人生を見れば、それが悲劇であるとともに滑稽であるのは当然ではないか。しかも日本の私小説家とは違って、この作家は当時のあらゆる社会問題から目をそらさなかった。

 沼野氏の博学と博捜をもって可能になったことだが、この本は一九世紀末以来のロシア全体の社会文化史になっている。農奴解放、児童虐待、女性の教育と社会進出、革命の萌芽(ほうが)、ユダヤ人問題、邪教の流行、流刑地の拡大など、すべて人名と日時をそえた具体的な事件とともに紹介されて、読者は近代ロシア史の基礎を教えられる。たとえば「かわいい」と「魂」という二つの言葉が、ロシア精神を理解するキーワードであることを学ぶのである。

 だが同時に強く印象づけられるのは、それを見据えるチェーホフの静謐(せいひつ)な視線である。ユダヤ問題を扱っても、精神病棟の恐怖を描いても、新時代の女性を登場させても、作者の態度には告発や賛美の色は見られない。むしろ問題をひとひねりしたり、あえて裏側から眺める姿勢がめだつ。これは一般に極端を好み、「最大限主義」と呼ばれるロシア文学の風潮のなかでとくに顕著なのである。

 先輩の大長編作家たちとは対照的に、彼は短編と中編しか書かず、やがて劇作家として世界的な声望を得るわけだが、この評伝を読むとそれも自然だと思わせられる。あの激動期にどんなイデオロギーにも傾かず、人生をあるがままに見るのは長く続けられる仕事ではないからである。そして一つだけ私見を述べることを許して頂けるなら、演劇には小説にはない独特の仕掛けがあって、彼の危うい綱渡りを助けてくれたからだろう。

 演劇には舞台というものがあって、物語はその上で直接に見える場面と、舞台裏で起こってせりふで伝えられる伝聞に分けられる。じつはチェーホフは恐るべきメロドラマ作家であって、どの戯曲にも熱愛、失恋、不倫、挫折、破産、自殺、決闘を装った自殺などが目白押しに現れる。だがそれらはすべて舞台裏で発生し、舞台上は機知と倦怠(けんたい)の漂う優雅なせりふが満たしている。「すだれ越しのメロドラマ」と呼びたくなる構造だが、これがチェーホフ劇の真骨頂なのである。

 こういうものの見方をする人には照れ性が多いが、沼野氏が発見するチェーホフ像はそのことを裏づけている。実人生の女性関係においても彼は多くの愛に恵まれながら、自分自身はつねに韜晦(とうかい)と諧謔(かいぎゃく)に身を隠している。生涯を不治の結核に悩んだにもかかわらず、その苦痛を他人には稀(まれ)にしか訴えなかった。そしてこの照れ性が一つの文学的な主張であり、自国の最大限主義にたいする抗議だったことは、彼が先輩トルストイの絶賛を軽く受け流し、戯曲「かもめ」の感傷的な演出に苛立(いらだ)ちを表明したことにも現れている。

 偉大な天才の照れ性には、天も加担するのかもしれない。死の床で彼は妻に最期の一言を呟(つぶや)いたが、それは「私は死ぬ」というドイツ語にも聞こえ、「こんちくしょう」というロシア語にも聞こえる言葉だったという。
    −−「今週の本棚 山崎正和・評 『チェーホフ−七分の絶望と三分の希望』=沼野充義・著」、『毎日新聞』2016年04月03日(日)付。

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今週の本棚:山崎正和・評 『チェーホフ−七分の絶望と三分の希望』=沼野充義・著 - 毎日新聞








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チェーホフ 七分の絶望と三分の希望
沼野 充義
講談社
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覚え書:「今週の本棚 張競・評 『『論語』と孔子の生涯』=影山輝國・著」、『毎日新聞』2016年04月03日(日)付。

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今週の本棚
張競・評 『『論語』と孔子の生涯』=影山輝國・著

毎日新聞2016年4月3日 東京朝刊
  (中公叢書・2052円)

古典の魅力とその受容史を巧みに語る
 孔子の娘婿は公冶長(こうやちょう)と言い、七十人の弟子の一人だ。娘の結婚について『論語』にはやや不可解な記述がある。孔子は、公冶長は牢獄(ろうごく)につながれたことがあったが、彼の罪ではなかったと言って、娘を嫁がせた、とある。しかし、公冶長はなぜ捕まったのかはずっと謎であった。

 六朝の梁(五〇二−五五七)の時代に皇侃(おうがん)という学者が『論語義疏(ぎそ)』という注釈本を著したが、中国ではすでに散逸した。ところが、その本は遅くとも九世紀末には日本に伝わり、大切に保存されている。多くの写本が作られ、研究も重ねられてきた。寛延三(一七五〇)年に木版で印刷されたものは、清国の汪鵬(おうほう)という商人が購入して持ち帰ったところ、大陸の学者たちをあっと驚かせた。公冶長をめぐる謎もその本にはちゃんと解かれている。皇侃は『論釈(ろんしゃく)』という雑書を根拠に、公冶長が鳥の言葉を理解できることが災いしたという。

 それは衛の国から魯の国へ帰る途中のことである。公冶長は鳥たちが「清渓に行って、死人の肉をついばもう」と鳴き交わしているのを耳にした。しばらく歩くと、行方不明になった息子を探す老婆に出会った。公冶長は鳥たちの会話を思い出し、老婆に告げると、果たして息子の遺体が見つかった。村役人は犯人にしか知りえない事実を知ったとして公冶長の身柄を拘束した。

 入獄して六十日目、雀が牢屋の柵に止まってチュンチュンと鳴いた。それを聞くと、公冶長は何か合点したように微笑(ほほえ)んだ。わけを聞くと、鳥たちは食料を運ぶ車がひっくり返ったから、ついばみに行こうと言っている、と話した。役人たちが半信半疑で確かめに行くと、またもや的中した。そこで、公冶長の潔白が証明され、自由の身になった。

 そんな突拍子もない逸話まで集めた『論語義疏』だが、六朝の解釈が完全な形で残っており、皇侃の時代までに蓄積された『論語』注釈の宝庫でもある。日本では千年を超える歴史のなかで、間断なく読み継がれ、大陸と違った『論語』の受容にも影響を及ぼしている。しかし、近代に入ってから忘れ去られ、専門家を除いてほとんど知られていない。本書によって、その全貌と流布する歴史がようやく明らかになった。

 寛平三(八九一)年、もしくはそれ以前に撰述(せんじゅつ)された『日本国見在書目録(にほんこくげんざいしょもくろく)』に著録されるものの、日本に現存する『論語義疏』の三十六本の写本はほとんど室町時代のものである。ただ、天平十(七三八)年ころ撰述された『古記(こき)』に章句の引用があったから、日本への伝来はもう少しさかのぼるかもしれない。清の乾隆帝の時代に里帰りしてからは『四庫全書』など大型叢書(そうしょ)に入れられ、さらに明治十三(一八八〇)年に来日した外交官の楊守敬(ようしゅけい)が日本で入手した写本は現在台湾の故宮博物院に所蔵されている。一冊の書物がたどった道は日中文化交流の歴史そのものでもあった。

 書名からもうかがえるように、本書の眼目は論語の受容史を明らかにし、孔子の生涯を通して、その学説の真意を探るところにある。『論語義疏』の話はその一例に過ぎない。漢籍を扱っていることもあって、この種の書物は通常、難解なものが多い。本書は要点を押さえながら、予備知識のない読者にも理解できるように、わかりやすく書かれている。

 著者は漢学の専門家で、『論語』の解釈史についての造詣が深い。本書でもその博覧強記ぶりが存分に発揮されており、古典の魅力は自家薬籠(やくろう)中のように語られている。各章末に配されたコラムはこれまた無類に面白く、その博識と巧みな話術には舌を巻くばかりである。
    −−「今週の本棚 張競・評 『『論語』と孔子の生涯』=影山輝國・著」、『毎日新聞』2016年04月03日(日)付。

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今週の本棚:張競・評 『『論語』と孔子の生涯』=影山輝國・著 - 毎日新聞


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『論語』と孔子の生涯 (中公叢書)
影山 輝國
中央公論新社
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覚え書:「特集ワイド:甘利問題、逃げるが勝ち? 違法性疑念、しっかり説明必要」、『毎日新聞』2016年04月04日(月)付夕刊。

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特集ワイド
甘利問題、逃げるが勝ち? 違法性疑念、しっかり説明必要

毎日新聞2016年4月4日 東京夕刊

口利き疑惑を受けて記者会見で辞任を表明し、涙を浮かべる甘利明経済再生担当相。追加説明はいつになるのか=東京都千代田区で2016年1月28日、喜屋武真之介撮影

 「政治とカネ」の問題で、甘利明衆院議員が経済再生担当相を辞任してから2カ月が過ぎた。辞任を表明した1月下旬の記者会見では「さらに調査を進める」などと述べたが、いまだに追加説明はない。それどころか「病気」を理由に国会に姿を見せていない。これで国会議員の重責を果たしていると言えるのだろうか。【葛西大博】

<甘利氏発言にみる政治とカネ 「いい人とだけ付き合っては選挙に落ちる」>
<甘利氏秘書 民主が会話録音公開…「20億円かかる」>
<甘利氏「秘書が菓子折りの中にのし袋と報告」>
 問題発覚後、甘利氏の選挙区である神奈川13区(大和、海老名、座間、綾瀬市)を何度か歩いた。3月下旬のある日、「自民党広報板」と書かれた掲示板に張られた甘利氏単独だったポスターが、参院選の党公認候補とのツーショットに変わったことに気がついた。衆院議員は参院選の候補者を応援しているというアピールなのだろう。甘利氏は2月中旬に「睡眠障害で自宅療養が必要」との診断書を提出し、1カ月間国会を欠席、3月中旬にも2カ月間療養する意向を国会に伝えている。このポスターを見る限り、同日選になるかどうかは分からないが、次の衆院選に立候補する意思はあるということなのか。

 辞任会見後、説明の場を設けない甘利氏の姿勢を厳しく批判するのが、政治アナリストの伊藤惇夫さん。「5月下旬には主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)が予定されており、国会は5月中旬以降、実質的に休止状態に入る見込みです。甘利さんは病欠を延長するので、6月1日までの通常国会で説明責任を果たすつもりはないのでしょう」

 疑惑があっても当選すれば「みそぎ」は済む−−。これまで政界では何度も繰り返されてきたことだが、伊藤さんは「甘利さんが、次回の衆院選で当選さえすれば『政治とカネ』問題は終わったと思っていたら大間違い。有権者はそんなことを許してはいけない」と怒りをあらわにする。

 当然、この人も怒っている。民進党の幹事長、枝野幸男氏は「2カ月休むことになれば(野党が追及する時間確保が難しくなる)国会の終盤になります。これでは甘利氏は『逃げ得』を図ろうとしていると批判されても仕方がありません」。

 ここで、甘利氏の「政治とカネ」問題を振り返ってみたい。週刊文春が、神奈川県大和市の地元事務所の秘書が千葉県の建設会社と都市再生機構(UR)の補償交渉を巡り、口利きを依頼されて現金を受け取ったと報道したのが発端だった。国会などで問題を追及された甘利氏は1月28日に辞任を表明した記者会見で、この建設会社側から2013年11月に大臣室で50万円、14年2月に地元事務所で50万円の計100万円を自ら受け取ったことを認めた。現金について甘利氏は「政治資金としてきちんと処理するように秘書に指示したと思う」と説明。一方、秘書については、建設会社側から受け取った500万円のうち200万円しか政治資金収支報告書に記載せず、残り300万円を私的に使ったと説明した。

 70分間に及んだ辞任会見での主な発言を表にまとめた。まず、表の(1)に注目してほしい。甘利氏は「引き続き調査を進め、公表する」と明言している。さらに、安倍晋三首相は「甘利氏がしっかりと説明責任を果たしていくと思う」などと再三にわたって述べている。甘利氏は病気が回復すれば説明すべきなのは無論のこと、政府や自民党も疑惑について説明を促す責任があるはずだ。

 甘利氏の行為は違法ではとの疑問も拭えない。弁護士でつくる「社会文化法律センター」は3月16日、甘利氏と元秘書に、政治家や秘書が口利きで報酬を得ることを禁じるあっせん利得処罰法違反の疑いがあるとして東京地検に告発状を出した。センター代表の宮里邦雄弁護士は記者会見で「秘書の責任だけでなく、甘利氏の共犯も問えると判断した」と述べた。

 また、「政治資金オンブズマン」共同代表の上脇博之・神戸学院大法学部教授らも、あっせん利得処罰法違反と政治資金規正法違反(虚偽記載)の疑いがあるとして、刑事告発を検討中だ。

 立件の可能性について、東京地検特捜部検事などを歴任した郷原信郎弁護士が説明する。「今までの種々雑多の『政治とカネ』の問題とは全く違う。まさに絵に描いたようなあっせん利得と言えます。最終的に起訴できるかどうかは証拠に基づいて判断しなければいけませんが、与党の有力な議員で行革担当相を経験した甘利氏は独立行政法人のURの問題に大きな影響力を持っており、秘書もそれを十分に認識して活動しているはず。(立件に必要な)『議員の権限に基づく影響力』があることは明らかでしょう」

 郷原さんが注目するのが表の(2)の発言。甘利氏は「東京地検特捜部出身の弁護士に調査を依頼した」と述べたが、その氏名は不明。郷原さんは「いまだに公表しないようでは存在さえ疑ってしまう。また、しっかりとした調査をやっていると世間に思わせるために『特捜ブランド』を悪用しているとも思える」と指摘する。

 そこで、甘利氏の事務所に取材を申し込んだ。調査結果を明らかにする記者会見を開く予定はあるのか▽調査している弁護士名を公表するのか−−などの質問への回答を得るためだ。

 事務所側は「甘利自身については、あっせん利得処罰法に当たるような事実は全くありません」などの回答を文書で寄せた。ただ、質問への直接的な回答はなかった。

 事務所のホームページによると、甘利氏の座右の銘は「得意淡然 失意泰然」。失意のときも焦ることなくゆったりとしており、得意のときもおごることなくさっぱりとしている態度をいう(旺文社「成語林」より)。

 安倍政権の看板大臣を辞任した甘利氏は失意のどん底にいるのだろう。だが、伊藤さんは「3カ月も国会を休むのですから泰然としているなんてとんでもない。国会議員が国会に出られないのは、それだけで『万死に値する』と言われた時代もありました」と語る。

 最後に表の(3)をご覧いただきたい。閣僚辞任を決断した心境を語った部分には、「政治家としての美学」や「政治家としての矜持(きょうじ)に鑑み」などと誇りがにじむ言葉が並んだ。

 しかし、である。「自ら認めた大臣室での現金授受の事実だけでも大臣辞任は当然。『政治家としての矜持』など関係ない。国会に出て来られず、説明もできないのならば議員を辞めるしかない」と憤るのは郷原さん。上脇さんは「甘利氏が『刑事訴追される可能性があるので黙秘します。これ以上調査をやりません』と、開き直るのならば分かります。しかし、議員を続けるのであれば、自ら率先して疑惑を晴らすのは当然のことです」と、追加の記者会見を促すのだ。

 説明責任を果たす。これこそ政治家が大切にすべき「生き様」ではないのだろうか。

甘利明氏が閣僚辞任を表明した記者会見での主な発言

(1)引き続き調査を進める

・本日は私自身の問題を中心に報告させていただきたい。事務所秘書の問題についても、本日できる限りの報告をするが、いまだ全容の解明には至っていない。引き続き調査を進め、しかるべきタイミングで公表する機会を持たせてもらうことについて、ご理解いただきたい。

(2)元検事の弁護士に調査を依頼

・(週刊文春の)本件記事を受け、当事務所とは今まで全く関係のない弁護士に調査を依頼した。この弁護士は、東京地検特捜部の経験を有する、元検事の経歴を持っている人物だ。公正な調査を担保するため、私は調査を担当した弁護士とは一切接触していない。

(3)閣僚を辞任

・たとえ私自身が全く関わっていなかった、知らなかったとしても、何ら国民に恥じることをしていなくても、秘書に責任転嫁することはできない。それは私の政治家としての美学、生き様に反する。

・国会議員としての秘書の監督責任、閣僚としての責務、および政治家としての矜持に鑑み、閣僚の職を辞することを決断した。
    −−「特集ワイド:甘利問題、逃げるが勝ち? 違法性疑念、しっかり説明必要」、『毎日新聞』2016年04月04日(月)付夕刊。

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特集ワイド:甘利問題、逃げるが勝ち? 違法性疑念、しっかり説明必要 - 毎日新聞



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