先生はえらい

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 まず、はじめにいちばん大切なことから。
 「誰もが尊敬できる先生」なんて存在しません。
 昔からいませんでした。「絶滅寸前種」どころか、はじめから存在しなかったのです。はじめから存在しなかったものを「存在しなくなった」と文句を言っても仕方がありませんし、それで何ごとかを説明することもできません。
 同じように、「先生運」などというものも存在しません。
 先生というのは、あちらからみなさんのところによってくるものではありません。
 「やあ、ヤマダくん。今日から私の弟子になりなさい。私こそは君が待望していた『いい先生』だよ。」
 「わ、ほんとですか。ばんざーい。」
 というようなチープでシンプルな出会いを期待しても無駄ですよ。それは「ある日、白馬に乗った王子様がやってきて……」というのと同種の妄想にすぎません。
 先生はあなたが探し出すのです。自分で。足を棒にして。目を皿にして。
 先生を求めて長く苦しい旅をした人間だけに、先生と出会うチャンスは訪れます。ふところ手をしていて、昼寝をしながら「いい先生」のご到来を待つというような横着したって、何も起こりませんよ。
    −−内田樹『先生はえらい』ちくまプリマー新書、2005年、13−14頁。

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やはり、わたしの先生は偉かった。
わたしがエライと思うだけでなく、名実共に偉かった。
そしてその不肖な弟子を気遣う大恩に涙した氏家法雄です。

10月に博士論文(論文博士)の申請書類を大学に取りに行ったり、いろいろ準備というか仕込みもしたりしておりましたので、12月の頭に連絡をとってから、時間をつくってもらい、ちょうど昨日、近況報告と論文指導を受けてきた次第です。

こゆい3時間ですが、先生、時間を割いてくださいましてありがとうございます。

不肖のウンコ野郎ですが、かならずまとめて大恩に報じて参る決意です。

いやはや、ほんと、鈴木先生を先生としたのは自分でございますが、客観的にも書ききれないぐらいスゴイ先生です。

年代でいえば、最後の弟子になりますが、弟子を名乗ることが恥ずかしくないようなひとつひとつの積み重ねをしていかねばと襟を正した次第です。

しかし、不思議なことなのですが、そうだからかもしれません。

何がっ?っていわれると、、、

「いやさ、今はウンコなような状況やけれども、だから、全然、負ける自身がねぇーんだよね」

……そのことです。

もちろん、それがアカデミズムの仕事と直結するわけではありませんが、(哲学的な表現をつかえば)より真実へ、真理へ接近していくという意味では、拙い積み重ねだけかもしれませんが、たとえそれであったとしても、全然「負ける自身がねぇーんだよね」ってことです。

やはり、先生はえらい!

自分に負けないで、ちとこの数ヶ月、最後の仕上げの闘いをして参ろうかと思います。

以上。

……ということで呑んで寝るw

霧島酒造(株)といえば、「黒霧島」「赤霧島」で有名ですが、「黒」でも「赤」でもないやつがラインナップされておりましたので。。。


⇒ 画像付版 先生はえらい: Essais d'herméneutique



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