「今日できることは明日にまわすな」か、それとも「明日できることは今日するな」
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座右の銘などない。人生はカネだ、以外のフレーズは持たないようにつとめている。ラーメン屋の壁、ラップをかけられた芸人の色紙を思い出して、なんとなく恥ずかしい。しかし、しばしば心をよぎる言葉はある。
「明日できることは今日するな」
中東だかトルコのことわざとして記憶したはずだが、おそらく世界中にあるだろう。人の気の持ちようとしては素直だから、勤勉を旨とする日本にだって、ないわけがない。
二十代の頃、私は意図してこの文句を口にしていた。日本人は働きものという通評を厭うところがあり、いわば反日の思いも私の内部にひそんでいた。オレは無精だから、と無精たらしくつぶやく友が男らしく見えもした。本当は不潔なだけで、その実、彼だってかなり計画性に富むタイプだったのである。のちに有名証券会社に入社して、いまではだいぶ出世したらしいが、そのときは彼の言を信じた。私はコドモだった。
しかし、いちばん大きな理由は、二十代では明日などいくらでもあり、惜しむにあたらないという思いだったろう。その売るほどもある明日を使えばなんだってできると油断していたのである。
三十代になると私は変わった。
「今日できることは明日にまわすな」
という気分になった。
これもまた自然のなりゆきだ。要するに明日たちの数が二十代よりも確実に減ったことが実感されたからである。
持ち時間に限りがあるとはまだ身に沁みては思えないものの、だらだらと日を過ごすのは、よほどの人物でなければ、じきに苦痛になる。寝ていたところで、いやでも目が醒める。目が醒めれば腹が減る。腹だけではなく、頭だってなにかをすることをくれと騒ぐのである。つくづく人間はぜいたくな生き物だと思う。
三十五歳の悲しみ、と私は遊びで名づけたのだが、これで人生の半分は終わったなァとなんとなく感じられる朝がある。それはさびしい朝である。
そのさびしさが体の内奥でなにかを急かせる。勤勉でなにが悪い、生きていたというせめてもの痕跡をとどめたい、そんな不思議な衝動に駆られもする。
もっとも、衝撃は長い日常のなかでたやすく摩滅してしまうのだけれど、三十代なかばとはとかく前向きになりたがる年頃なのである。
では四十代ではどうかという、再び、
「明日できることは今日するな」
になんとなく回帰する。
−−関川夏央「明日できることは今日するな」、『昭和時代回想』集英社文庫、2002年、125-127頁。
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実は、12月中旬の名古屋出張から帰京していらい、ずぅ〜っと風邪っぴきで、先月の28日にいっぺんピークを迎え、それから落ち着き、安心していたところ、元旦にもっぺんピークになってしまい、
「まじかよ」
……などと独りツッコミをしつつ、
仕事を休むわけにもいきませんので、額をはじめ、体の各部位にひえぴたを張って仕事をしてきましたが……勿論レジもうつよん……、このまま、薬で治すのも限界があるだろう……ということで、元旦の仕事が済んでから、そのまま焼き肉へいき、少し贅沢した次第です。
昔から「風邪は病気の王様」とよく言うではないですか。
だからうまいものを食べる……という原始的な民間療法にいちるいの望みをかけ、深夜に独りで焼き肉やというかな〜り、怪しいコースを歩みましたが、
いやはや、旨かったです☆
上カルビではじめ、ハラミ、ごろタン(味噌味)、牛ホルモンMIXへと箸をすすめ、最後に黒毛和牛特選カルビで締めるという流れでしたが、何気に一番うまったのが「長ネギ」。
帰宅してから、冷や酒を一杯だけ呷ってから沈没。
今朝おきるとだいぶ良くなっておりました。
ただ、頭痛は例の如く酷いのですが、やるべき学問の仕事もありますので、先ほどまで資料と格闘したり、洋書を読んでいたりと過ごしておりました。
まあ、自称ナイスミドルの30代ですから(苦笑)、「今日できることは明日にまわすな」となってしまいます。
ホントは、「明日できることは今日するな」と嘯いてみたいところですが、まあ現実には「今日できること」で精一杯ですから、なかなかそこへは到達できないというものです。
さて……。
皆様も風邪をあま〜くみてはなりませんぜよ。
⇒ 画像付版 「今日できることは明日にまわすな」か、それとも「明日できることは今日するな」: Essais d'herméneutique