【覚え書】アマルティア・センのハンチントン文明観批判







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 サミュエル・ハンチントンアメリカの政治学者。『文明の衝突』の著者〕は、インドを「ヒンドゥー文明」として描きました。これはインドネシアパキスタンを除いて、インドに世界のどこよりも多くのイスラム教徒(約一億二五〇〇万人−−イギリスとフランスの全人口を合わせた以上の数)がいる事実をないがしろにしています。また、インドの芸術、音楽、文学、社会を充分に理解しようと思えば、さまざまな共同体間のかかわりを考慮せざるをえませんが、そうした現実にも目をむけてはいません。
 文明の衝突という考え方は、インドの政治形態の特色であるはずの、宗教色を排した概念も見過ごしてしまいます。また、世俗国家の必要性を誰よりも力強く雄弁に訴えたのが、イスラム教徒の君主であるムガル帝国のアクバル帝〔在位、一五五六−一六〇五〕だった、というさほど遠い昔のことではない歴史的事実も顧みていません。
 ハンチントンはリベラルな寛容を「西洋」ならではの特徴とみなし、「近代化される以前から、西洋はすでに西洋だった」と主張します。となれば、一六世紀末にアクバル帝が宗教的寛容の必要性を宣言していた時代に、ローマのカンポ・デイ・フィオーリ広場でジョルダーノ・ブルーノ〔イタリアの宗教家・哲学者〕が異端のかどで火あぶりの刑に処せられたことを思い起こす価値はあるかもしれません。文明にもとづく分類は希望のない歴史であるばかりでなく、人々を狭義のカテゴリーに押し込め、「文明ごとに」はっきりと引きさかれた境界線をはさんで対峙させ、それによって世界の政情不安をあおり、一触即発状態に近づけるでしょう。
 今日ではイギリス国内ですら、もともとは「多民族国家イギリス」の多元主義の活動だったものが、イスラム教、シク教ヒンドゥー教学校の創設運動(すでに何校か存在)へと変わりつつあります。こうした学校での重点課題は、「自らの文化」について学ぶことにあるとされ、何を信じてどう生きるかについて、充分に学んだうえで選択させる教育の機会は激減しています。若いイギリス人にとって、それも特にインド亜大陸出身者にとって、選択の幅ははるかに狭くなっています。家族の伝統があれば個人の選択は不要という誤った考え方が、アクバル帝が「理性の道」と呼んだものを閉ざしているのです。
 こうした問題は世界に共通しています。
    −−アマルティア・セン(東郷えりか訳)、「人間の安全保障と基礎教育」、『人間の安全保障』集英社新書、2006年、32−34頁。

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覚え書。
アマルティア・セン(Amartya Sen,1933−)の文明観と教育の役割。




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