宗教の真正さを試すべき試金石はどこにあるのか。




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 レッシングの『賢者ナータン Nathan der Weise』の指環の物語は、宗教の究極的な最奥の真理がもはや外面的にではなく内面的にのみ立証されることを現している。歴史的事実による経験的な証明であれ、抽象的な論拠にもとづく論理的・形而上学的証明であれ、所詮すべての証明は不十分である。なぜならば結局において、本来の宗教はそれが作用する限りにおいてのみ存在し、そしてその本質は心情と行為においてのみ実現されるからである。
 すべての宗教の真正さを試すべき試金石はこの一点に存する。
    −−カッシーラー中野好之訳)『啓蒙主義の哲学 上』ちくま学芸文庫、2003年、274−275頁。

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外面的・歴史主義的に導かれる宗教における真理の弁証というものが、宗教間対立の前では、もはや何の役にも立たないことをその身で経験したレッシング(Gotthold Ephraim Lessing,1729−1781)は、宗教的真理の弁証は、もはや「心情と行為においてのみ」実現されるのでは、と問う。

激しく同意です。

「すべての宗教の真正さを試すべき試金石はこの一点に存する」。







⇒ ココログ版 宗教の真正さを試すべき試金石はどこにあるのか。: Essais d'herméneutique


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Nathan der Weise
Nathan der Weise
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Gotthold Ephraim Lessing
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