愛はまことに家庭から始まります。私たちは、ことばでではなく、行動で、生活のなかで分かちあい、与えながらお互いを愛さねなければなりません




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 人間というものは神が、神の形に似せてより大きなもの、つまり、愛し、愛されるために創られたわけです。その愛を破壊し、そして人間という命を破壊するということは、それがなんであれまちがったことであり、罪なのです。
 それがたとえ核兵器であれ、あるいはまだ生まれ出てない子どもを殺してしまう中絶という形を取るにせよ、いずれにしてもその内容は同じで、どちらも愛を殺す、愛を破壊するということにほかなりません。
 そして、愛はまことに家庭から始まります。私たちは、ことばでではなく、行動で、生活のなかで分かちあい、与えながらお互いを愛さねなければなりません。持っている物が少なければ少ないほど私たちはより多く愛を人に与えることができますし、逆に持っているもの、多ければ多いほど、人に与えなくなってしまうものです。
 核もまたしかりです。核があるからこそ、諸国間に恐れと不信が生まれています。これはこの世界における神の美しい存在を破壊してしまう新たな武器なのですから。そしてこの不信と恐れは、すなわち平和を殺すこと、愛を殺すことです。
    −−マザー・テレサ(鳥飼久美子訳)「マザー・テレサと愛を語ろう」、『生命あるすべてのものに』講談社現代新書、1982年、159ー160頁。

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ゴールデン・ウィークに、ゴーヤ(にがうり)の苗を植えたのですが、7月にもなると立派に成長したものです。

ここ数年、ゴーヤを育てておりますが、緑のカーテンとしての需要、果実としての需要のほかに、やはり息子殿に、生命を育てる・育むというものを、日常生活を通して学んでほしいということもあって、このあたりのことは丁寧に取り組んでおります。

朝晩、水をたっぷりと与え、緑がどんどん広がっていきます。

わが家では、熱帯魚・金魚の類、十姉妹閣下、ジャンガリアン・ハム子殿、カブトムシなど様々な生命とともに生活を営んでおりますが、植物には植物の良さといいますか、成長といいますか栄枯盛衰というものをまた違う側面から教えてくれるものですので、その季節、季節にあわせて、「生命」が「育つ」という側面を、息子殿と一緒に学ぶようにしております。

昨夕、ふと水やりでその緑に向かうと、そろそろ実がなりはじめたようです。

マザー・テレサ(Mother Teresa/Agnesë Gonxhe Bojaxhiu,1910−1997)曰く「愛はまことに家庭から始まります。私たちは、ことばでではなく、行動で、生活のなかで分かちあい、与えながらお互いを愛さねなければなりません」とのこと。

些細なことかも知れませんが、家庭における2分、3分の出来事かもしれませんが、こうした側面は大切にしたいと思う次第です。








⇒ ココログ版 愛はまことに家庭から始まります。私たちは、ことばでではなく、行動で、生活のなかで分かちあい、与えながらお互いを愛さねなければなりません: Essais d'herméneutique