「今週の本棚:富山太佳夫評 『道徳・政治・文学論集』『秘義なきキリスト教』」、『毎日新聞』2011年8月28日(日)付。




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今週の本棚:
富山太佳夫評 
『道徳・政治・文学論集』ヒューム著、田中敏弘訳(名古屋大学出版会、8400円)
『秘義なきキリスト教』トーランド著、三井礼子訳(法政大学出版局、5040円)

啓蒙的合理主義とは違うもうひとつの世界
 ともかく暑い。まあ、それだからというわけでもないのだが、今回の書評はクイズから始めることにしよう。
 地震津波、黒人奴隷、聖書の学び形などのことが書き込んである小説とは何だろう? 作者は? この有名な小説の作者は、一七〇三年の十一月末にイギリスを襲った巨大な台風のルポルタージュの本も書いている。自然災害の記録としては歴史上初めての本だろう。
 それはそれとして、クイズの答えはダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』(一七一九年)。子ども向けの冒険小説などというとんでもない誤解が通用するような本ではない。その舞台は離れ島という言い方にしても、どうにもならない。この小説にはイギリスの他にも、ドイツ、フランス、スペイン、モロッコ、ブラジル、カリブ海周辺などが登場する。そして、ひと口にイギリスとは言っても、イングランドスコットランドアイルランドが、同じように英語を使いながらも別々の国という状態にあった時代である。ともかく厄介なことおびただしい。
 今年生誕三〇〇年を迎えるディヴィッド・ヒュームは、そんな錯綜した時代のスコットランドの哲学者−−ということは、一〇年ほどあとのドイツの哲学者間となどとは別世界の人ということである。『道徳・政治・文学論集』を見るとよくわかる。「最良の租税は、消費、とくに奢侈的消費にかけられるような租税である。なぜなら、このような税は国民に感じられることが最も少ないからである」! ええっ、一八世紀の哲学者ヒュームは消費税容認派?
 他にもいくらでもある。「わが国で非常に広くおこ馴れている銀行、公債、紙券信用の諸制度ほど、貨幣をその水準以下に下落させる方法を私はまず知らない」。「国債が人口と富の首都への巨大な集中を引き起こす」。
 「党派への歩み寄りについて」という題のエッセイまである。この哲学者は三〇〇年後の日本の政治状況を茶化す気なのだろうか。初めて大部の『大ブリテン島の歴史』(一七五四−六二年)を書いた彼に期待して、それらしいエッセイを探すと、「歴史の研究ほど、私の女性読書に熱心に勧めたいと思うものは他にはない」と始まる。私などあきれはててしまって、四九本のエッセイを読み通してしまった。不愉快なくらい面白い。
 それでは、そのあとどうするかということになるのだが、『ガリヴァー旅行記』(一七二六年)の作者がいたアイルランドに眼を転じてみることにしよう。すると、見つかった−−ジョン・トーランドの『秘儀なきキリスト教』(一六九六年)だ。この人物はアイルランドで生まれ、ローマ・カトリック教徒の家で育てられ、のちに改宗して非国教徒となった人物である。彼はスコットランド、オランダ、イングランドで学んでいる(時代の環境からすれば、それは短期移民と呼んでいいかもしれない)。
 その口調は、知の全分野をたのしげにさまようヒュームのそれとは違って、直截的で、ときに堅苦しくもなる。「福音の秘儀とみなされている事柄について、個別に合理的な説明を行うことを試みる……真の宗教は必ず理性的で理解しうるものでなければならないと証明し……」。これは理神論と呼ばれる考え方を述べた名著である。ロックやヒュームの宗教論とならべて読むとき、私の眼の前に浮上してくるのは、啓蒙的合理主義とは違うもうひとつの世界である。
    −−「今週の本棚:富山太佳夫評 『道徳・政治・文学論集』『秘義なきキリスト教』」、『毎日新聞』2011年8月28日(日)付。

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⇒ ココログ版 覚え書:「今週の本棚:富山太佳夫評 『道徳・政治・文学論集』『秘義なきキリスト教』」、『毎日新聞』2011年8月28日(日)付。: Essais d'herméneutique



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