文明は蒸汽にあらず、電気にあらず、憲法にあらず、科学にあらず、哲学にあらず、文学にあらず、演劇にあらず、美術にあらず、人の心の状態なり




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 文明は蒸汽にあらず、電気にあらず、憲法にあらず、科学にあらず、哲学にあらず、文学にあらず、演劇にあらず、美術にあらず、人の心の状態なり。
    −−鈴木俊郎編『内村鑑三所感集』岩波文庫、1973年、259頁。

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twitterをやっているといつも不思議に思うのですが、「こいつ頭おかしいな」という暴論に遭遇することも多いのですが、それ以上に「ほう。なるほど」とか、「確かに、そういうふうに時代を変えていかないといけないよね」という宝石に巡り会うことがよくあります。

振り返ってみれば、震災まっただ中のときもそうでしたが、出所不明のデマ情報も流通しましたが、それを覆すほどの善意の情報というものも流通したことを考えると……facebookなんかもそうですが……先のジャスミン革命に見られるように、ややもすると2ちゃんねる的な「いかがわしさ」を乗り越える一つの可能性というのが、昨今の情報メディアやSNSにはあるのかなと思わざるを得ないのも事実なんだろうなと時代をの移り変わりを痛感します。
※とわいえ、諸手をあげて警戒心を全く欠如した楽天的な全肯定ではありませんし、最新の革命的警戒心は、それが対面で有れば、何らかの媒体を介したものであれ、その慎重さは要求されるという道理は言うまでもありませんが……。

以前、同僚の先生も仰っておりましたが、結局の所は、今言及したとおり、「それが対面コミュニケーションであろうが、ネットであろうが、どのような形態を取ろうとも、“そこに人間が存在する”という事実に懈怠することなければ、それが人間同士の“対話空間”なんだ! どのような場合であれ、そこを丁寧にできない人間は、生きている人間をどこかで“粗末”にしてしまう」……というところでしょうか。

さて……。
月曜は講義を済ませてから……これが土日集中講義の翌日だったのでキツかったわけですが……以前から約束していた知人と夕方から軽くセッション。

twitterでは1年以上にわたってやりとりを続けていたドイツ在住の慶應出身のメンバーが一時期帰国するということで、短時間でありましたが、国分寺「芳一」にて祝杯を傾けた次第。

人間は書物から学ぶこともできますし、教室で学ぶこともできます。
そして書物から、教室から学ぶということは、人間そのものから学ぶことができるということの証左。

東西の文明論と現状、身体感覚の問題から、慶應でのそれぞれの思い出……。

ほんとに代え難いひとときになりました。

短い時間ではありますが、有意義な闊達な対話の時間、そして楽しいひとときとなったことに感謝です。

「文明は蒸汽にあらず、電気にあらず、憲法にあらず、科学にあらず、哲学にあらず、文学にあらず、演劇にあらず、美術にあらず、人の心の状態なり」とは無教会主義者・内村鑑三(1861−1930)の指摘。あれか・これかを乗り越えた人間の地平に、人間も文化も文明もリアルなものとして到来するというものですね。


ミツヒロさん、ありがとう!
そして前途に幸いあれ!







⇒ ココログ版 文明は蒸汽にあらず、電気にあらず、憲法にあらず、科学にあらず、哲学にあらず、文学にあらず、演劇にあらず、美術にあらず、人の心の状態なり: Essais d'herméneutique


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