自分の身の行く末のみ考えて、如何したらば立身が出来るだろうか……というようなことばかりに心を引かれて、齷齪勉強するということでは、決して真の勉強は出来ないだろうと思う





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 兎に角に当時緒方の書生は、十中の七、八、目的なしに苦学した者であるが、その目的のなかったのが却って仕合で、江戸の書生よりも能く勉強が出来たのであろう。ソレカラ考えてみると、今日の書生にしても余り学問を勉強すると同時に終始我身の行く先ばかり考えているようでは、修業は出来なかろうと思う。さればといって、ただ迂闊に本ばかり見ているのは最も宜しくない。宜しくないとはいいながら、また終始今もいう通り自分の身の行く末のみ考えて、如何したらば立身が出来るだろうか、如何したらば金が手に這入るだろうか、立派な家に住むことが出来るだろうか、如何すれば旨い物を食い好い着物を着られるだろうか、というようなことばかりに心を引かれて、齷齪勉強するということでは、決して真の勉強は出来ないだろうと思う。就学勉強中はおのずから静かにして居らなければならぬ、という理屈がここに出て来ようと思う。
    −−福沢諭吉(富田正文校訂)『新訂 福翁自伝岩波文庫、1978年、94頁。

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土曜日は、夕方まで勤務校の公募推薦入試の面接官でしたので、市井の職場を振り替え休日にして大学へ出講しておりました。

少子高齢化、経済状況の悪化が進展するなかで、本年度も、ほぼ例年並みの水準を維持した出願であり、受験生のみなさまのかけてくださる大学への期待に襟をただす次第です。

まずは、ご受験いただきましてありがとうございます。
※……ってことは本来ならば専任教員がいうべきなんでしょうが、その問題はひとまず措きましょうw 

自分自身は、非常勤の教員という立場ではありますが、みなさまの期待を裏切ることのないよう、さらなる「知性と福徳豊かな」大学建設に邁進しなければと思う次第です。

さて……上の文章は、慶應義塾創立者福沢諭吉(1835−1901)が大阪の適塾での修業時代を振り返りながら、その状況を後年描写した一節ですけれども、いずれにしまして、大学は「学問の道場」です。決して「就職予備校」ではありません。

僕自身は、就職のクソの役にも立たない学問の担当ではありますが、きちんと学問を積み重ねることによって、結果として「立身」「金が手に這入る」等々……という最高の就職が必然されるのは世の習いですから、みなさまの大学での挑戦をお待ちしております。

重ね重ね諄いかもしれませんが、まずは、ご受験いただきましてありがとうございます。今日はゆっくりお休み下さいませ。

僕は休む暇がないので、もう少し仕事をしようかと思いますおるず。







⇒ ココログ版 自分の身の行く末のみ考えて、如何したらば立身が出来るだろうか……というようなことばかりに心を引かれて、齷齪勉強するということでは、決して真の勉強は出来ないだろうと思う: Essais d'herméneutique



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