覚え書:「語る:加藤尚武さん 『災害論』を刊行」、『毎日新聞』2011年11月17日(木)付。

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語る:加藤尚武さん 『災害論』を刊行

 ◇原発事故は哲学への挑戦
 福島第1原発事故の背景には、原子力をめぐる高度な技術の壁が潜んでいる。未曽有の事態を前に、何を出発点に、どんな順番で考えるべきかが見えない不安も人々の中にある。哲学者の加藤尚武さんが今月刊行した『災害論−−安全性工学への疑問』(世界思想社)は、錯綜(さくそう)する問題の糸を一本一本解きほぐしていく本だ。いま何が問われているのか、加藤さんに聞いた。【大井浩一】

 原発の「安全神話」を崩壊させた事故には、さまざまな反応が起きた。「関東大震災の時と同様に天罰説も出ましたし、自然に対する技術のおごりだという人もいました。しかし、おごりがあったとしても、取るべき対策が存在する『答えのある問題』を考えることが大切です」
 この本では「原子力発電のコスト」に1章を割き、エネルギー資源としての原子力の利用について「長期にわたる、あらゆるコスト・ベネフィット(費用と利益)を厳密に評価しなければならない」と述べた。
 環境倫理学が専門の加藤さんは1996年から5年間、国の原子力委員会専門委員を務めた。昨年からは日本学術会議の「放射性廃棄物と人間社会小委」で、主に高レベル放射性廃棄物の処理問題を考えてきた。
 「原発の存続か廃止かを議論する前に、既にある大量の廃棄物をどう処分するかを決めざるを得ません。膨大な費用がかかるなら存続は無理でしょう。私は、高レベル放射性廃棄物放射能が自然と同じ水準まで低下する10万年間のコストを、実際に支払うかどうかは別にして計算すべきだと主張してきました」
 コスト・ベネフィット評価で有名なのは、70年代の宇沢弘文氏による「自動車の社会的費用は利益を上回る」との指摘だ。ところが、その後も自動車は増えている。これは「歩道橋や街灯の設置、救急医療体制の改善といった社会全体の努力で、交通事故死者が減少した結果だ」と話す。
 「原子力では安全対策に関し、自動車以上にしっかりした吟味が必要なはずです。しかし、実は原発を推進してきた人たちも、原子力利用を進める合理的な理由があるかどうかは知らなかったのではないでしょうか。先の戦争で、誰も日本が勝てるという情報を持たないのに、誰かが知っていると思っていた、というのと同じかもしれません」
 原発事故のリスクに関しては、「確率的安全評価」の手法を問題視し、これを巧みに論じた原発推進派の米物理学者、H・W・ルイス氏を批判する。
 「『低い確率で起こる大きな損害=高い確率で起こる小さな損害』という確率論の公式通りの考え方を、彼は原発にも当てはめます。原子炉事故対策では最悪の場合を考えてはならない、とまで言う。しかし、確率は低くても損害が過度に大きい原発事故のようなケースで、この公式を適用すべきかどうかは別問題です」
 現在は確率論自体に「カオス(混沌(こんとん))理論」が導入され、新しい理論を用いた研究では「原子炉の暴走を止められなくなる可能性」が示されていたことも紹介している。金融市場のリスクが発生する原因とも共通するメカニズムだという。
 ただし、加藤さんは一方的に原発反対を主張するわけではない。「純粋に技術面で考えると、今の日本のレベルでも原発事故が起こらない可能性はあったと思います。原発のシステムに対しては、もっと合理的な疑問をたくさん出し、将来像をきちんと検討すべきだというのが私の立場です」
 その立場は、テクノ・ファシズムとテクノ・ポピュリズムの対立という見方に表れている(別稿参照)。原発でいえば推進派と反対派に相当するが、従来、両者は互いの主張をぶつけながらも議論はかみ合わなかった。この構図は事故後も変わっていないと見る。
 突きつけられているのは「どちらの間違いも排し、合理的で民主的な判断が可能な情報システムをどのように作るか」という課題だ。「原発事故対策では、前提として地震学と原子力工学など異なる専門家の間の情報を、どう調整するかを考えなければなりません」
 「原発事故によって哲学が挑戦を受けている」と感じたことが、執筆の動機になったという。考察は「合意形成のあり方」にも及んでいる。その際、注目するのは放射性廃棄物をはじめ、資源の枯渇、環境劣化、国の借金など「未来世代に不利益を及ぼす問題」だ。 「どれも現在の世代の多数決による合意では対応できない。未来世代の利害を入れた正義は可能か、という問いかけです」

 ◇テクノ・ファシズムとテクノ・ポピュリズム
 テクノ・ファシズムは「科学技術の専門家集団が、一定の信念のもとに、国民的な合意形成を無視して、一定の技術政策を強行すること」を指す言葉。テクノ・ポピュリズムは「技術情報を公開し、多くの国民が直接参加して決定すれば、必ず合理的な解決に達する、という主張」を指すもので、いずれも加藤さんが著書で用いている。

 『災害論』では、原子力技術を例に、技術の水準が高くなると専門家が独走する危険、すなわちテクノ・ファシズムの危険が高くなると述べている。これに対し、テクノ・ポピュリズムは情報公開を要求するが、こちらは妥当な合意形成の可能性については常に楽観的な態度を取る。しかし、高度の科学的知見が必要な問題では、「たとえば国民投票で科学的に間違った決定を下す可能性がある」という。加藤さんは「専門的に見て正しく、なおかつ公平な公共的判断を行う可能性を切り開くことが、現代社会のもっとも重要な課題である」と指摘している。

人物略歴 かとう・ひさたけ 1937年生まれ。東大哲学科卒。千葉大、京大教授、鳥取環境大学長、東大特任教授などを歴任。『応用倫理学のすすめ』など著書多数。
    −−「語る:加藤尚武さん 『災害論』を刊行」、『毎日新聞』2011年11月17日(木)付。

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⇒ ココログ版 覚え書:「語る:加藤尚武さん 『災害論』を刊行」、『毎日新聞』2011年11月17日(木)付。: Essais d'herméneutique



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