覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『カエルの声はなぜ青いのか?』=ジェイミー・ウォード著」、『毎日新聞』2012年1月15日(日)付。
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今週の本棚:養老孟司・評 『カエルの声はなぜ青いのか?』=ジェイミー・ウォード著
(青土社・2310円)
◇共存する感覚から学ぶヒトの不思議
音がすると同時に色を感じる人がいる。これを色聴(しきちょう)という。コオロギの声が赤く、カエルの声が青かったりする。一般にこうした感覚の共存を共感覚と呼ぶ。欧米でよく知られているのは、アルファベット文字に同時に色がついて見えるという事例である。どんな色がつくかは、人によって多少異なる。しかしデタラメということはなく、八割くらいの共感覚者が同じ色を見るという報告もある。
この本は共感覚に関する総説である。共感覚の研究史からはじまって、赤ちゃんの知覚の発達、さまざまな感覚どうしの関係、具体的には多感覚知覚という、ふつうの人にも見られる違った感覚の共存、空間と共感覚、最後に共感覚の進化的、社会的意味を論じている。共感覚に関心のある人には、ぜひ読んでいただきたい本の一つである。
著者は英国の現役の研究者で、共感覚の専門家である。そのため記述がやや専門的に思えるかもしれないが、趣旨は一般向けで、読むために特殊な予備知識は必要ではない。共感覚はすべての人にあるわけではないので、一般の人からヴォランティアを探す必要もあり、そうした人たちの理解を得るためにも、ふつうの市民にわかるように、共感覚を説明する訓練が著者にはできているのだと思う。おかげでこういう一般書ができたわけである。
他人がなにを知覚しているのか、根本的にはわからない。それを論じるとクオリア問題になってしまう。私の見ている赤と、あなたの見ている赤、その見え方が同じかどうか、という問題である。著者はそういういわば抽象的な議論はまったくしない。共感覚を持つ人が実際にどう感じているのか、ふつうの人と違う点があるとすればそれはどこか、どういうテストでそれがわかるか、そういったことを扱う。
共感覚を持つ人は、脳の中の配線が違うのだ。著者はそういう結論で終わりにするわけでもない。なぜなら、感覚はじつは面倒な課題をたくさん含んでいるからである。たとえば五感という言葉があるが、最近の議論では感覚の種類は二十を越えるという。ヒトについては、じつはわからないことだらけなのである。
ふつうの人でも持っている、共感覚に似たものを著者は多感覚知覚と呼ぶ。食物についての感覚は多感覚知覚の典型である。「味、匂い、温度、手触り、色、さらには噛(か)んだときの音」まで加わっている。しかもそれが同期することが多い。しかしこれは著者がいう共感覚そのものではない。でもその基礎になっている可能性がある。日本の伝統であるお香では、匂いは味で分けられている。過去にこれを定めたお香の家元は、ひょっとすると共感覚者だったかもしれない。しかし共感覚がなくても、この分類は納得できる。
この本でとくに興味深いのは、著者の調査しているさまざまな実例である。表題のカエルの声もそうだが、数字が空間の中にある形で配列したり、色がついたりする。私も個人的に聞いたことがある。その人の場合、歴史の年代が丸に配列していて、鎌倉時代はこの辺などと、いわば時計の針で示すようにするのである。オーラも一種の共感覚として理解できる。共感覚者はさまざまな事物に色が伴ってしまうことがあるからである。
こうした知識が普及すれば、共感覚者も周囲の人たちも、もっと感覚や脳について考えるようになるだろうと私は期待している。共感覚者は決してヘンな人たちではないのである。(長尾力訳)
−−「今週の本棚:養老孟司・評 『カエルの声はなぜ青いのか?』=ジェイミー・ウォード著」、『毎日新聞』2012年1月15日(日)付。
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http://mainichi.jp/enta/book/news/20120115ddm015070006000c.html