むしろ自分の国の強さと、臣民に浸透した国家意識の威力への自信の強さとに基づいて「寛容」は発令されてたらしめるということ。



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 われわれは誰でも、われわれがそのもとで生きているシステムを受け入れている。そのことをかつてすでにマックス・ヴェーバーが、ロマン主義イデオロギーゲオルゲグループの秘教と対決する際に力説していた。しかしこのシステムの絶対的支配はもはや、個人による支配でも、支配階級による支配でもない。われわれが王位から追い落とすことのできるような専制君主が、そもそも存在しないのである。われわれすべてを取り込んでいるのは、匿名の支配である。このような状況では、権力を握る一人もしくは若干の人々に寛容の理念を要求することができないからこそ、この理念は新しい意味を獲得するのだと、いまや私は考えたい。結局は誰も権力をもっておらず、万人が奉仕している。けれどもまさにそれゆえに、寛容は普遍的な課題となるのである。憲法制定や宗教寛容令というかたちで最初に姿を現わしたときは、この理念は政治的な意味をもっていたが、やがて普遍的道徳的な要求へとその意味を広げていったというのが、実際、この理念が辿った歴史だからである。他のどんな道徳的価値もそうだが、この寛容という価値も、それが損なわれたり犯されたりするときにとりわけ、意識され表現される。だから不寛容だということは、われわれの誰もが避けたいと思っている避難である。三つの指輪の物語でレッシングのナータンが歌い始める寛容の賛歌は、宗教的寛大さと人間にとって普遍的な寛容の徳との連関を、すでに目のあたりにしているのであって、してみれば宗教的真理は結局は、倫理的−人道的な寛容に照らして証明されることになるのである。
 寛容とは、自分自身が自分の権利や権力を完全には信頼しきっていないので、そのために他人の権利を容認するような人の非決断的の態度のことなのでは決してないという重要な指摘が、ここには含まれている。強さ、自信、大らかさなどと寛容とのすでに言及した連関や、逆に不寛容と弱さとの近接性がこの指摘を支持しているのである。プロシアの王位にあった啓蒙的懐疑家[フリードリヒ二世]が多分そうしたように、国の政治を司る政治家が宗教的な無関心と懐疑から宗教的な事柄に関して普遍的な寛容を公布することもあろう。けれども彼とても、弱さからそうしたことを行うのではなく、むしろ自分の国の強さと、臣民に浸透した国家意識の威力−−この力が国家を統率しているのだが−−への自信の強さとに基づいて、そうしたことを行うのである。
    −−ガダマー(須田朗訳)「1782−1982年の寛容の理念」、本間謙二・須田朗訳『理論を讃えて』法政大学出版局、1993年、114−115頁。

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長い引用の割にはコメンタリーがちょびっとで恐縮ですが、ガダマー(Hans-Georg Gadamer,1900−2002)は、この「1782−1982年の寛容の理念」において、「寛容の理念」に対するひどい誤解を丁寧に解いてくれます。

寛容とは、異なる他者を尊重する精神といってもよいでしょうが、流通経緯から「マイノリティーを“保障”する」という“弱いイメージ”で受容されがちですが、そういう何かを保障するというものに限定されるものではないのが実際のところなんです。

たしかに法令としては「何かを保障する」というスタイルを取らざるを得ません。

しかしここにおける「何かを保障する」というのは、前提として、お互いを尊敬して尊重するというエートスが不可欠となってくる。

だとすれば、そうした挑戦のできる「共同体」というものは、何かを否定することによって「紐帯」を強固にしようという「いびつな」「よわい」共同体ではなく、人間を人間として尊重できる「強い」共同体と評することも可能になる。

この辺の消息がなにやら誤解されているようで……こわいんですよね。



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