覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『低線量被曝のモラル』=一ノ瀬正樹、伊東乾ほか著」、『毎日新聞』2012年4月1日(日)付。


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今週の本棚:松原隆一郎・評 『低線量被曝のモラル』=一ノ瀬正樹、伊東乾ほか著


 (河出書房新社・3360円)

 ◇議論が暴く「生活」と「研究」の隔たり
 東日本大震災から1年。復興の槌音(つちおと)が響く地域もあるが、福島第1原発についてはまだまだ見通しが立たない。

 政府は避難区域にかんし昨年末、年間20ミリシーベルト以下を「避難指示解除準備区域」、50ミリシーベルトまでを「居住制限区域」、それ以上を5年以上帰還できない「帰還困難区域」の3区分に再編した。だがそもそも東京圏も一部含まれ関東一円に及ぶ20ミリシーベルト以下の低線量区域ならば、「安全」なのだろうか。不安を隠さないのが子どもを持つ母親たち。内部被曝(ひばく)を恐れ自主的に移住したり、農産物購入に慎重になっている。ではそうした不安は無知ゆえか、それともまっとうさの証拠なのだろうか。

 事態をややこしくした一因として、原発等が緊急事態に陥った際に政府が外部被曝線量や甲状腺等価線量などをシミュレーションするSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報を二カ月近く開示しなかったことが挙げられる。政府は情報隠蔽(いんぺい)に懸命だった。

 そのうえ福島県放射線の専門家が100ミリシーベルト以下ならば大丈夫と講演した直後に全村避難が指示されたり、原子力工学の専門家が燃料棒がメルトダウンすることはないと胸を張ったにもかかわらず正反対の事態が報道された。政府・電力会社・学者、これまで日本を担うとされた(多くは東京大学出身の)人々が、総崩れ状態で疑われるようになったのだ。

 これでは不安の拡散に収拾がつかなくなって不思議ではない。それでもいまだ楽観論を力説する学者もいて、放射線の専門家たちは「年間20ミリシーベルトというのは問題にならないくらい低い線量」(座談会「『低線量被曝と内部被曝』の正しい知識」、『週刊新潮』3月8日号)と主張している。

 いわば、母親と放射線学者が対立するという不思議な事態となっているのだ。本書は東大文学部哲学科で昨年夏に行われた討論会の記録に討論者の論文を加えた論集だが、まさに双方の立場を代弁して、激しいやりとりを繰り広げている。

 参加者は、線量よりも内部被曝による遺伝子切断に注目し20ミリシーベルト以下でも危険と訴えて除染活動に邁進(まいしん)する児玉龍彦放射線医学者を代表する中川恵一、「不安」を因果論から読み解く哲学者の一ノ瀬正樹、マスコミにおける学者の語り口に異議を唱える影浦峡ヒロシマ原爆の放射線被害を低く見積もる概算式を批判してきた宗教学者島薗進、確率論と物理学の関係を扱う伊東乾の各東大教員。重要な争点がほぼ網羅されている。

 20ミリシーベルト以下の低線量の場合、十分な量のデータを背景とするタイプの「科学的」な主張を行えない。その影響を、いかに評価し伝えるべきか。中川は低線量に対しては人体の回復力が見込めるという推測から避難生活のストレスと比較せよと言い、対照的に児玉は生物体の低線量への反応は短期的にはラドン温泉のように健康増進に有効と見えても長時間内部被曝すればがん化に向かうと述べる。影浦は厳密さを残そうと曖昧に語る学者の言葉こそが母親たちにとっては具体的な不安を抱かせると追及し、島薗は学術会議が市民にではなく学者仲間に向けた言葉しか持たなかったと批判する。

 学者は大量データから確実な主張を行おうとするが、現実生活の多くはそれに該当しない領域で営まれている。そうした前提を踏み外した議論が学者への信頼を失墜させ、混乱を招いた。学問の発言権を問いただし、主張できることの限界を示した書である。
    −−「今週の本棚:松原隆一郎・評 『低線量被曝のモラル』=一ノ瀬正樹、伊東乾ほか著」、『毎日新聞』2012年4月1日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120401ddm015070005000c.html




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