「こんにちは」、「お先にどうぞ」、「御用があればなんなりと」、こういったさりげない決まり文句に人間性は宿り、人間を元気にする!


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 善性はなんらかの観念やいくばかの小額の献金によって表わされはしない。そうではなく一つの生きる構えとして、日常生活において休みなく生きられた、他人への気遣いとして表現されるものなのだ。それはすぐれて社会的な関係、包容力において示される。そのとき、他人は引き立て役−−私の善行の生きた証拠−−ではなく、私のうちなるすべての可能性の窮極の目的そのもの、その前では私の姿がかき消えてしまうところのもの、私に私のことを忘れさせるものとなる……
 「こんにちは」、「お先にどうぞ」、「御用があればなんなりと」、こういったさりげない、一日に何回もさりげなく用いられる決まり文句は、他者への気遣いを、あらゆる社会生活とあらゆる人間存在の底に流れる倫理的気遣いを表している。なぜならこれこそが人間の人間性だからだ。レヴィナスの哲学はこの気遣いを際立たせ、それに問いかけ、それを誰も試みたことのないような仕方で解明したのである。
    −−フランソワ・ポワリエ(内田樹訳)「レヴィナス哲学入門」、エマニュエル・レヴィナス、フランソワ・ポワリエ(内田樹訳)『暴力と聖性 −−レヴィナスは語る』国文社、1991年、53頁。

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哲学の講座も3回目が無事終了しました。
金曜日に担当するのははじめてで、少し感覚といいますか要領になれるまで時間がかかったようですが、なんとか調子を取りかえしました。ちょうど先週、授業の構成が押せ押せで、やばいなーとは思っていたのですが、今週その分もおつりができる程度補完できたのではないかと思います。

今回はおそらく50名以上。割合と盛況な方ではないでしょうか。3回目にもなりますと、まだ顔と名前は一致しませんが、顔は覚えはじめましたので、顔を見て、ああ、みんな今日も元気に参加しているなあと思うとほっとすると同時に、こちらも全力で取り組まなければならないと決意する次第です。

さて……。
今日は少し体調がよくなかったのですが、授業をすると、そして学生の一人一人とやりとりをすると、元気になるなのが不思議なことです。

また、前年受講された学生さんからも、、、

「せんせ〜」って声をかけられたり、挨拶をされるとうれしいもので(汗、こうした些細なやりとりや、いわゆる「有益な会話」じゃなくても、人間が向き合ったとき、何か言葉を掛け合っていくというのは大事なんじゃないかしらん、と思うわけです。

もちろん、それは社会儀礼のマナーで形骸化したものだー、ゴルァって革命家きどりでいわれてしまうと、言葉を失ってしまいそれだけですが、それによって全否定することのできない何かというものは、やっぱり歴然として存在すると考えます。

日常生活におけるそっとした挨拶や気遣い。

レヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906−1995)先生風にいえば……

「『こんにちは』、『お先にどうぞ』、『御用があればなんなりと』、こういったさりげない、一日に何回もさりげなく用いられる決まり文句は、他者への気遣いを、あらゆる社会生活とあらゆる人間存在の底に流れる倫理的気遣いを表している。なぜならこれこそが人間の人間性だからだ」。

……というところでしょうか。

もちろん、私の経験は、そんなに大げさなものではありませんが、人間性とはそうした見過ごされがちなところにそっと宿るものかも知れません。

やる気満々で相手を励ますとか、また形式主義的な慇懃無礼な社交辞令に陥るのか、そういった極端な何かを排するなかで、ふと出てくる言葉の中にネ。






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