レヴィナス

病院日記:自分の外に出るというのは、他なるものを配慮するということ

- レヴィナス 私の本(引用者注−−『実存から実存者へ』のこと)が言おうとしたのは、存在は重苦しい、ということです。 ポワリエ それは無に対する不安ではないのですか。 レヴィナス それは無に対する不安ではありません。実在の《在る》に対する恐怖なので…

書評:ロバート・イーグルストン(田尻芳樹、太田晋訳)『ホロコーストとポストモダン 歴史・文学・哲学はどう応答したか』みすず書房、2013年。

ロバート・イーグルストン『ホロコーストとポストモダン 歴史・文学・哲学はどう応答したか』みすず書房、読了。アドルノを引くまでもなくホロコーストは歴史・文学・哲学」を一変させた。その証言やテクストと論争、それをどのように「読む」のか。本書は、…

日記:としての意味

- 「あるものは他のもののために」という表現における「ために」〔代わりに〕は、ある語られたことと他の語られたこととの、ある主題化されたものと他の主題化されたものとの係わりに還元されるものではありません。さもなければ、としての意味の次元にとど…

日記:応答することの可能性として生みだされる私

- 語りにおいて私は〈他者〉からの問いかけにさらされ、応答することを迫られ−−現在の鋭い切り先によって−−私は、応答することの可能性〔責任〕として生みだされる。責任あるもの〔応答しうるもの〕として、私は自分の最終的な実存に連れ戻される。こうした…

覚え書:「幸福の文法―幸福論の系譜、わからないものの思想史 [著]合田正人 [評者]鷲田清一」、『朝日新聞』2013年07月28日(日)付。

- 幸福の文法―幸福論の系譜、わからないものの思想史 [著]合田正人 [評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学) [掲載]2013年07月28日 [ジャンル]人文 ■「問い」を問い直すラジカルな人間論 「幸福だった」というふうに、幸福は失ってはじめてわかる。あるとき幸福…

病院日記(4) 自分の生きている「世界」の広さ・狭さを自覚すること

- もしわれわれがあたりを自由に見まわし、生活世界において、あらゆる相対的なものの変移のうちにあっても不変なままにとどまるような形式的−普遍的なものを求めるならば、われわれは、生活しているわれわれにとってそれだけが世界についての次のような言い…

病院日記(3) 洗う−洗われる 蜘蛛の糸の如き必然の対峙

病院仕事(看護助手)の介助入浴の見学を先日しましたが、昨日、実践に投入されました。先日の雑感→ 病院日記(2) アガンベンの「剥き出しの生」とレヴィナスの「倫理」より - Essais d’herméneutique 患者さんは全てを委ねざるを得ない点に「剥き出しの生…

病院日記(2) アガンベンの「剥き出しの生」とレヴィナスの「倫理」より

twのまとめですが(汗、先日、入浴介助の「見学」をしたのですが、その印象録を少し残しておきます。介護や医療の現場の人からすれば、「おまえ、どこまでナイーブなんや」とかいわれそうですが、まさに「驚きの神経内科」つうか……なので。キーワードは、…

に惑わされたによって、哲学は解雇される

- の哲学に属する思想の運動はその起源と影響とにおいてさまざまであるけれども、哲学の終焉を告げる点で一致している。その運動は、いかなる顔も命じることのない従属を称揚するものであるからである。前ソクラテス期の哲学者たちに対して啓示されたと言わ…

真の自由、真の始まりがあるとすれば、それは、つねに運命の頂点にあって永遠に運命をやり直すような真の現在を要請するであろう

- 政治的な意味でのさまざまな自由は、自由な精神の内容を汲み尽くすものではない。ヨーロッパ文明にとっては、自由とは人間の運命に関するひとつの考え方を意味している。人間の運命とは、人間に行動を促す世界ならびにその諸可能性を前にした人間の絶対的…

「隔たり」を認めながらも「人間性の一なること」を信じる

- 私事にわたるけれど『タルムード新五講話』の訳書を送ったおりに、翻訳の作業そのものが私に自己省察の得難い機会を提供してくれたことに感謝の意を表したことがある。その手紙への返信のなかでレヴィナスはこう書いてくれた。 「あなたが克服しなければな…

「私の存在する権利に関わる問いとは、すでに他者の死に対する私の有責性のこと」。親父が死んで13年目に考えたこと

- 私の存在する権利に関わる問いとは、すでに他者の死に対する私の有責性のことであり、その問いは私の無反省的な存在固執の自然発生性を不意に断ち切るのである。存在する権利とこの権利の正当性は、最終的には、法という普遍的規範という抽象概念を権原と…

「こんにちは」、「お先にどうぞ」、「御用があればなんなりと」、こういったさりげない決まり文句に人間性は宿り、人間を元気にする!

- 善性はなんらかの観念やいくばかの小額の献金によって表わされはしない。そうではなく一つの生きる構えとして、日常生活において休みなく生きられた、他人への気遣いとして表現されるものなのだ。それはすぐれて社会的な関係、包容力において示される。そ…

私たちを救い、力づけてくれたピエール神父の思い出

- ポワリエ 大戦中はなにをなさっていたのですか? レヴィナス 私は非常に早い時期に捕虜になりました。一九三九年より何年か前に私は軍事通訳の試験に受かっていたので、ロシア語とドイツ語の通訳として動員されました。そしてレンヌで退却中の第一〇軍団と…