書評:J.S.ミル(竹内一誠訳)『大学教育について』岩波文庫、2011年。

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人間が獲得しうる最高の知性は、単に一つの事柄のみを知るということではなくて、一つの事柄あるいは数種の事柄についての詳細な知識を多種の事柄についての一般的知識と結合させるところまで至ります。(中略)広範囲にわたるさまざまな主題についてその程度まで知ることと、何か一つの主題をそのことを主として研究している人々に要求される完全さをもって知ることは、決して両立し得ないことではありません。この両立によってこそ、啓発された人々、教養有る知識人が生まれるのであります。
    −−J.S.ミル(竹内一誠訳)『大学教育について』岩波文庫、2011年、28頁。

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19世紀中葉、専門知と教養知の大論争を背景に、両者の有機的統合を示唆したミルの講演を収録したもので、小著ながら大学教育、教養教育、科学教育(専門教育)の関係と意味、真理に基づく行動の意義を説く。学生だけでなく教養教員、専門教員も読むべき一冊。

古典教育がなぜ必要なのか。ギリシアラテン語を通じて歴史を原典で学ぶことで、古代を学ぶだけでなく、今生きている社会に掛けさせられている「眼鏡」への自覚がもたらされるからだ。たえず自身を相対化させ、賢明な思想と考察を得ることが古典教育の神髄としつつも、当時の訓詁的学習スタイルには批判的でもある。

教養教育は「包括的な見方」と「結合の仕方」「(諸科学の)体型化」を促す。この原理を身につけることで、全体人間として専門知が生きてくる。加えて「美学。芸術教育」、「道徳教育」がそれを補完する。

さて、全体知としての「詩的教養」を毀損するのものは何か。「商業面での金儲け主義」とミルは言う。世界の工場・イギリスの東インド会社の審査部長をつとめたミルのこの指摘は重く受けるべきであろう。これこそ人間性を破壊するものに他ならない。
※経済学の否定ではないので念のため

訳者解説には次の指摘がある。

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いまや大学改革のキーワードが「アカウンタビリティ」(説明責任)や「ステークホルダー」(利害関係者)など市場経済用語になっているように、大学自体がビジネス文化に浸食されはじめている。覆いつくさんばかりの商業文化の「自浄作用を担うのは教養教育をおいてほかにないはずである。
    −−ミル、前掲書、173頁。

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ミルは、高等学校の『倫理』の教材で「功利主義」というレッテルで張られて「はい、おしまい」という感がありますが、『自由論』にせよ『自伝』にせよ、先の講演にせよその「枠」に収まらない脈々さがあります。読んでから判断すべき先達の一人だと思います。本書は御茶の水書房より1983年に刊行された『ミルの大学教育論』のうち、講演を文庫化した一冊。手軽な小著ですが、最初に言及した通りおすすめです。ベンサムとミルでは断絶があるし、キーワードで対象化できない「横溢」が存在します。









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