丸山眞男「シニシズム 政治学事典執筆項目」より、「シニシズムの両義性」について





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  シニシズム (英)cynicism,cynism (独)Zynismus (仏)cynisme
 原義は紀元前四世紀ごろのギリシアキュニコス派 Kunikoi のとなえた教説および彼らの生活態度をさす言葉。語源は、(1)その派の創始者といわれるアンティステネス Antisthenes がキュノスアルゲス Kunosarges のギムナジゥムで講義したところからでたという説と、(2)アテネの市民がその派の粗野な生活態度を侮蔑的に「犬のごとき」 kunikos ひとびととよんだのを、シノペのディオゲネス Diogenes が逆に自尊の言葉として採用したのに由来するという節がある。犬儒学派とか犬儒主義という訳語は後説によったものである。当時のポリスの崩壊とマケドニア帝国の誕生という時代的背景を反映し、しかも彼らのおおくは他民族との混血児であったところから、その政治・社会思想はポリスの精神と構造にたいする「よそ者」の立場からの否定的、嘲笑的批判に終始し、国家・政治生活からの逃避と私的生活の自己充足性 autarkeia の強調の契機がつよく前面にでている。しかもその富と所有への軽蔑はかえって他人の生活への恥知らずな寄生をともなった。それは結局当時の落伍したインテリゲンチアの傍観と白眼の哲学であった。
 シニシズムの言葉はこの原義から漸次一般化し、ひろくある種のものの見方や生活態度の総称としてもちいられる。すなわち(1)社会や国家の規範的制約をすべて否定し、自己以上の律法をみとめない考えかた、(2)なんらかの理念的な目標に対する努力を嘲笑する態度、(3)他人や他集団の理想や言説を額面どおりうけとらないでつねにその裏面にはたらく欲望や利害に注目する傾向、(4)総じて一切の感激や幻想にたいする覚めた心情についてもちいられる。したがってシニシズムは多かれ少なかれリアリズムとニヒリズムを属性としている。R・ニーバーはナチスの精神的シニシズムがそのリアリズムのゆえに、政治的闘争においてデモクラシーの感傷主義と空想性に打ち勝ったとし、デモクラシーの再建のためには「馴化されたシニシズム」をもってみずからを武装しなければらなぬと説いた。適度のシニシズムは政治の世界においてイデオロギー的宣伝と煽動にたいする免疫性をやしなうことによって、心理戦争の効果を滅殺し、味方を自己欺瞞の危険性からすくう役割をはたすが、その反面シニシズムの中毒症状は治者においては苛酷破廉恥なマキアヴェリズムの追求となり、被治者においては政治一般にたいする不感症、嫌悪、絶望としてあらわれる。
(参考文献)D.R.Dudley, A history of Cynicism, 1937. R. Niebuhr, Leaves from the Notebook of a Tamed Cynic, 1930. R.Höistad, Cynic Hero and Cynic king,1948.
    −−丸山眞男シニシズム 政治学事典執筆項目」、『丸山眞男集』第六巻、岩波書店、1995年、87−88頁。

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1954年に平凡社から刊行された『政治学事典』において、丸山眞男は幾つかの語句の執筆を担当しております。『丸山眞男集』に収録されている語句に目をやると、あいうえお順に次の通りとなります。

愛国心
イデオロギー
オポチュニズム
軍国主義
シニシズム
シュミット
政治
政治権力
政治的無関心
ナショナリズム
ファシズム
福沢諭吉
リーダーシップ

『事典』の刊行からすでに半世紀以上が過ぎましたが、この語句だけをリストアップしても、過去の問題ではなく、きわめてアクチュアルな問題であることにびっくりしますが、冒頭には、そのなかのひとつ「シニシズム」の説明を抜き書きしてみました。

冒頭で語句の由来を説明した上で、その現代的意義、そして効能がコンパクトにまとめられております。試みにデジタル版の『大辞泉』を引いてみると次の通り。

シニシズム【cynicism】
1 ギリシャ哲学で、キニク学派がとった立場。
2 社会の風潮・事象などを冷笑・無視する態度。冷笑主義。シニスム。

丸山の「まとめ」をさらに圧縮すると上記のようになるでしょう。

さて、考えておきたいことをいくつかだけ記しておこうかと思います。

まず、あらゆる側面から人間を支配の枠組みに組み込もうとするそれに対する否定的な態度をもちあわせるのは、必要だし、そこを骨抜きにされてしまうことは大変な問題であるということ。

「社会や国会の規範的制約をすべて否定し」、「額面どおりにうけとらない」にすることは大切な「醒めた心情」であるし、ニーバーが指摘するとおり「デモクラシーの再建のためには『馴化されたシニシズム』をもってみずから武装しなければならぬ」。そのことで、自己欺瞞の危険性を排除することが可能になる。

しかし、「自己以上の律法をみとめない」、「努力を嘲笑する態度」や、それへの全人的な没頭、すなわち「中毒症状」はどこまでもこれを回避する努力も必要になってくる。

なぜなら、「政治一般に対する不感症、嫌悪、絶望」ほど、治者において都合のよいことはないし、ますます「苛酷破廉恥なマキアヴェリズムの追求」となるからだ。

ここは失念してはならないだろう。

近時、「政治オワタ」という指摘と諦めだけは蔓延している。しかし指摘と諦めだけでは何も変わらない。










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