覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『イワンの戦争?赤軍兵士の記録1939−45』=キャサリン・メリデール著」、『毎日新聞』2012年07月08日(日)付。



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今週の本棚:加藤陽子・評 『イワンの戦争?赤軍兵士の記録1939−45』=キャサリン・メリデール著
 (白水社・4620円)

 ◇対独戦史料にソ連軍崩壊のさまを読む
 戦争の全体像を俯瞰(ふかん)的に述べるのは難しく、それが第二次世界大戦であれば、なおさらだろう。ただ、二つの大戦にはさまれた時期、大国の間でさかんに議論されていた問題が海軍軍縮だったことを考えれば、海洋での支配をめぐる、日独伊の同盟国側と英米など連合国側との争いこそが、世界大戦の決定的な要因だったといえるのではないだろうか。
 とはいえ、日本は1937年7月から中国との戦争を始め、ドイツもまた41年6月からソ連と戦っていた。日本とドイツが相手とした中国とソ連は、ともに退却に適した広大な大陸の後背地をもち、ともに連合国からの補給を受け、甚大な犠牲を出しつつも、陸からの抗戦を続けられる国だった。とすれば、海(空を含む)の戦いを陸の戦いが支えていたともいえるだろう。本書の描く、独ソ戦下を生きた赤軍兵士の物語が、ここに深い意味をもって迫ってくるゆえんである。軍人民間人を合わせたソ連側の犠牲者数は約2700万、対するドイツのそれは約520万だったという。普通の赤軍兵士は、蟻(あり)の視点から戦争をいかに見ていたのか、それが本書のテーマとなる。
 情報公開とは無縁にみえるロシアだが、大戦から遠く離れれば、鉄のカーテンに隙間(すきま)も生まれよう。さらにソ連は冷戦期、核戦争に備えて歴史史料をシベリアへ移動させたほどの国なので、歴史を残す執念には定評がある。よって、史料にアクセスする根気と能力と運と時が合えば、とほうもない沃野(よくや)に出合える。イギリスの歴史家メリデールがなしとげたことに他ならない。国立軍事文書館、国防省中央文書館、あるいは激戦地クルスクの公文書館で公開され始めた、政治将校や秘密警察による報告書、軍情記録、捕虜の尋問調書、反政府活動などで訴追された元兵士たちの裁判史料を丹念に読みこんだ。そのうえで、どうしても避けがたい、史料の政治性からくる歪(ひず)みを、200人あまりの退役軍人、激戦地周辺の住民への聞き取り調査で補正し、提供された日記や手紙で補いもした。
 戦争のさなか、普通の兵士は何を考え、どう行動したのか。国家が残す記録というものは、特殊と普遍には微笑(ほほえ)むものの、普通と一般には冷淡なものだ。その絶望的な溝をメリデールが埋めてゆく。例えば、「平時の赤軍兵士のほとんどの時間は、慣れないものに慣れるのに費やされた」。といっても、兵士が慣れねばならぬ対象は、予想される軍事訓練や規則ではなく、飢餓すれすれの食糧不足や度を超えた不潔さだったことが明示される。独ソ戦を予想していなかったソ連軍が、戦争勃発から半年間、大混乱に陥ったことはよく知られてきた。だが、「最初の砲爆撃で、部隊編成は崩れ、大勢が森へと走って逃げた。前線地帯の森はどこでも、逃げ込んだ者で一杯だった。武器を捨て家へ向かう兵が続出した」とまで書かれた細部の報告は、赤軍崩壊のさまを伝えて圧巻だ。
 出典なども含めれば500頁(ページ)を超える本書を通読しても、外交機密といった新史料に出合える訳ではない。むしろ本書の価値は、この本を読むことで培われる想像力と眼力によって、戦争の時代の日本を振り返る醍醐味にあるといえる。例えば、1941年下半期の赤軍の状態を以上のようなものと捉える視線から、同時期になされた4回の御前会議決定の妥当性を再考するのは意義ぶかいものとなるはずだ。書かれざる極東戦線に迫る一つの方法となろう。(松島芳彦訳)
    −−「今週の本棚:加藤陽子・評 『イワンの戦争?赤軍兵士の記録1939−45』=キャサリン・メリデール著」、『毎日新聞』2012年07月08日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120708ddm015070017000c.html




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イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45
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