覚え書:「文化の扉:はじめての丸山眞男 歴史に見る「いま」、未来を切りひらく」、『朝日新聞』2014年10月20日(月)付。
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(文化の扉)はじめての丸山眞男 歴史に見る「いま」、未来を切りひらく
2014年10月20日
「戦後日本を代表する知識人」といわれる丸山眞男。厳格な学者というイメージだが、実際は、おしゃべりでユーモアに満ちていた。生誕百年の今年、様々な先入観を抜きに読んでみよう。
29年前、学生だった筆者を含む二十数人の勉強会に出席した71歳の丸山は、よくしゃべった。
専門の政治思想史の話に加え、雑談も記憶に残る。日本の新聞は訃報(ふほう)が貧弱なこと。業績があっても“昔の人”という感じだと、記事が小さいこと。それは、現在が全ての基準になる「『いま主義』の極端(な表れ)なんです」と日本思想史の特徴にふっと話が及ぶ。哲学者ハンナ・アーレントが亡くなった時、ニューヨーク・タイムズに大きな追悼が出た。「でも、さすがのアーレントも、アガサ・クリスティーにはかなわないんだ」と、つけ加えて笑ったこと。
学問的な厳密さと、ざっくばらんな快活さが同居していた。
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丸山眞男は1914年、新聞記者・丸山幹治(かんじ)の次男として生まれた。父の親友の新聞記者・長谷川如是閑(にょぜかん)に、ものの考え方を学んだという。NHKで「のど自慢」を手がけた兄の鐡雄(てつお)は映画や軽演劇に眞男を誘った。ジャーナリスティックな感覚や、人々の喜怒哀楽に通じた人柄がつくられていく。
33年、唯物論研究会の講演会を聞きに行き、検挙・勾留された。その後、特高警察による監視が続く。東大法学部に進み、南原繁の下で政治思想史を学んだ。通信社の特派員志望だったが、「新聞記者は一代限りでたくさんだ」と父にいわれ、学者の道へ。のちに軍に召集され、広島で被爆した。
敗戦後、日本の軍国主義を分析した論文「超国家主義の論理と心理」や「軍国支配者の精神形態」は、大きな反響を呼んだ。「誰が決めているかわからず、誰も責任をとらない『無責任の体系』があったという指摘は、原子力政策にも当てはまる」と、杉田敦・法政大教授(政治学)はいう。
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大学紛争後の71年、丸山は東大教授を辞職する。日本の思想に流れる「いま主義」や大勢順応を「古層」あるいは「執拗(しつよう)低音」と名づけ、分析を続けた。福沢諭吉も生涯のテーマだった。「丸山は、自らが置かれた条件を認識することが変革の始まりと考えていた。そして、研究は未完に終わったが、福沢に『古層』を突破する一つの可能性を考えていたのではないか」と松沢弘陽・北海道大名誉教授(日本政治思想史)はいう。
丸山は晩年まで、学生や社会人の小さな集まりに参加した。冒頭に引いた会で、こう話している。
「昔のことを済んだこととするのが、日本人の盲点です。俺は現代に住んでいるんだ、江戸時代とは無関係だと。そうではありませんよ、江戸時代どころか、あなたのなかに『古事記』が住んでますよ」「皆さんが僕の文章を読んでいて、一つでも、『あ、これは、いまの問題なんだな』と思ったら、僕の意図は達せられるんです」
歴史の中に「いま」を見て、未来を切りひらく。丸山の仕事にはその豊かさがある。(石田祐樹)
<読む> まず杉田敦編『丸山眞男セレクション』(平凡社ライブラリー)を。福沢論は松沢弘陽編『福沢諭吉の哲学 他六篇』(岩波文庫)で。『丸山眞男集』全16巻+別巻(岩波書店)もある(別集全5巻が12月から刊行)。様々な勉強会などでの丸山の発言を活字化したのが、丸山眞男手帖(てちょう)の会編『丸山眞男話文集』4巻+続4巻(みすず書房。続3、4巻は11月以降刊行)。同会(川口重雄代表)は「丸山眞男手帖」を刊行してきた。今年8月に第69号で休刊。電話03・6760・9606。members3.jcom.home.ne.jp/mm−techo.no_kai/
<調べる> 東京女子大学丸山眞男文庫は、丸山の蔵書約2万冊、草稿類約3万ページなどを所蔵している。閲覧には申し込みが必要。電話03・5382・6817。www.twcu.ac.jp/facilities/maruyama/bunko/
■人生に反響する言葉 作家・佐川光晴さん
僕が北大に入ると、父が丸山の『現代政治の思想と行動』『戦中と戦後の間』『日本の思想』を送ってきた。それが始まりです。学生寮の自治を守る闘争の渦中に投げ込まれたので、丸山を読んで随分助かりました。僕のような普通の人間が運動に直面した時、何が起き、何を考えるべきかが、ちゃんと書いてある。人を集めても、一時的な盛り上がりではダメで、運動は継続しなくてはいけない、ということを一番学びました。
卒業後、牛の解体を10年半してから作家になり、2004年に出した『灰色の瞳』には、丸山を登場させました。丸山が積極的に語らなかった「被爆体験」に焦点を当てて、批判的に書いています。丸山と全く違う経路で、自立した個人を描きたかったのです。
丸山の文章でとくに好きなのは佐久間象山について書いた「幕末における視座の変革」(『忠誠と反逆』ちくま学芸文庫)。手持ちの儒教の思考方法から、最大限の可能性を引きだしていく。旧制高校のような理屈で精いっぱい主張していた寮の活動を思い、実に腑(ふ)に落ちました。自分たちがやっていることの中に「世界」はあるんだと。人生のいろいろな場面で丸山の言葉や態度は反響しますね。
◇「文化の扉」は毎週月曜日に掲載します。次回は「水上勉」の予定です。ご意見、ご要望はbunka@asahi.comへ。
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