書評:宋連玉『脱帝国のフェミニズムを求めて 朝鮮女性と植民地主義』有志舎、2009年。
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数少ない女子学生の前で、「女に学歴は必要ない」などと無神経に言ってのける在日朝鮮人男性群にうんざりし、当時一世を風靡したウーマン・リブの思想に心惹かれながらも、その頃の私はなぜか日本の女性たちに同一化することはできなかった。
多くの歳月が流れた後に、その理由を考えて見るのだが、それはやはり私個人の行く手を遮るのは民族差別であり、日本社会の在日朝鮮人への無知と偏見への失望からだったろう。
当時私が知り合った日本人女性の持つ枠組みは、日本という国民国家を前提とし、もっぱらその中で性差別を問うものであった。彼女たちは職場での性差別を問題にし、経済的自立を説き、セクシュアリティの平等を叫んでいたが、私たち在日朝鮮人は特別な例外を除いて、男女ともに日本の企業に就職することすら不可能に近く、経済的自立など夢のまた夢だった。
−−宋連玉『脱帝国のフェミニズムを求めて―朝鮮女性と植民地主義』有志舎、2009年、8-9頁。
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宋連玉『脱帝国のフェミニズムを求めて―朝鮮女性と植民地主義』有志舎、読了。「植民地主義を克服するために如何なるフェミニズムが有効なのか」という視座から、日本による植民地支配の時期の女性解放運動を担った女性10人余りを登場させて、その生きざまを検討する一冊。
筆者は欧米や日本など「第一世界」において展開されたフェミニズム論は、「第三世界」には当てはまらないという。第一世界フェミは、植民地主義を見落としたまま主張されている。だからこそ植民地主義と性差別という複合的抑圧下の女性に注目する。
事例をあげつつ、肝は次の点だろう。性差別の解放に重点を置くと、ナショナリズムを等閑視し、日本帝国の支配を認めてしまうことになる。そして逆に、植民地主義への抵抗としての「ナショナリズム」に重点を置くと、良妻賢母主義に回収されてしまう。
加えて独立後もその残影を背負うことになる。基本的に韓国は植民地期の良妻賢母主義を、そして朝鮮民主主義人民共和国でも同じモデルを「社会主義的良妻賢母主義」として踏襲される。韓国でフェミニズム論が本格化するのは80年代を待たねばならない。
日本統治下の朝鮮の女性の戦いの歴史は殆ど知らなかったから昂奮しながらページをめくった。著者が従軍慰安婦の女性や、済州島4・3事件を経験した女性の証言も収められている。
さて本書では、課題の「脱帝国のフェミニズム」とは何か、どこに措定するのかは明確に示されていない。この筆者の苦悩をどう受け止めるのかが読者の課題か。彼女の言葉に耳を傾けたい。
有志舎
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