覚え書:「今週の本棚:井波律子・評 『先哲の学問』=内藤湖南・著」、『毎日新聞』2012年10月14日(日)付。




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今週の本棚:井波律子・評 『先哲の学問』=内藤湖南・著
 (ちくま学芸文庫・1470円)

 ◇傑出した事績の輪郭を鮮やかに
 本書『先哲の学問』は、中国史学者内藤湖南(一八六六−一九三四)が、先哲すなわち江戸時代のすぐれた学者九人に、スポットを当てた講演集であり、没後十二年、一九四六年に初版が刊行された。初版刊行からすでに六十六年の歳月が経過しているとはいえ、躍動的な語り口で、江戸時代における独創的な学者の学問方法について解き明かす本書は、時の流れを超えた「生きのよさ」があり、読者に驚きに満ちた発見の喜びを与えてくれる。

 対象とされる九人は、山崎闇斎(あんさい)(一六一九−一六八二)、新井白石(一六五七−一七二五)、富永仲基(なかもと)(一七一五−一七四六)、中井履軒(りけん)(一七三二−一八一七)、山片蟠桃(やまがたばんとう)(一七四八−一八二一)、慈雲(じうん)尊者(一七一八−一八〇五)、市橋下総守(しもうさのかみ)(一七七三−一八一四)、賀茂真淵(かものまぶち)(一六九七−一七六九)、山梨稲川(とうせん)(一七七一−一八二六)という顔ぶれである。このうち、幕政に関与した新井白石と江戸に移り住んだ賀茂真淵以外の七人は、京都、大坂、近江、駿府に住んだ民間学者である。著者がこれら知られざる大学者の傑出した事績を敬意と共感をこめて語り、その輪郭を鮮やかに浮かび上がらせるさまは圧巻というほかない。

 京都の山崎闇斎儒学朱子学)、神道、仏教に通暁した学者だが、著者は、「朱子の原本を読んで、その後々にいろんな人のやったことは、みなその根本の朱子より劣って居るということを考えられたのであります」と述べ、朱子学者として闇斎の傑出した点は、こうして原典を重視し、根源に回帰したことだと、ずばり指摘する。
 富永仲基、中井履軒、山片蟠桃は、江戸時代中期の享保九年(一七二四)、五人の大坂商人が設立した学問所、懐徳堂とゆかりの深い人々である。なかでも富永仲基は、著者が敬愛してやまない学者だが、仏典を研究するにあたり、「加上」の原則を発見したことで知られる。加上の原則とは、後から説を立てる者が先行する説の上をゆくべく、天についてならば二十八天、三十三天というふうに、上へ上へと付けくわえ、だんだん複雑化してゆくことをいう。

 この原則は仏典研究のみならず歴史研究にも適用されるものであり、著者は、富永仲基がこうした論理的基礎の上に研究方法を組み立てたことを高く評価する。

 また、近江の小藩の藩主だった市橋下総守は学者であると同時に、すぐれた書物コレクターだった。さらに、彼は収集した漢籍の善本のうち、とりわけ貴重なもの三十種を生前、幕府の昌平坂学問所に寄贈した。著者はこのみごとな蔵書家、市橋下総守を「本を後世に伝えるという上においても非常に思慮の深かった人である」と称(たた)える。

 このほか、駿府の山梨稲川は中国古典の研究は漢字研究を基礎とすべきだと考え、中国の古い字書『説文(せつもん)』を字形と音韻の両面から徹底的に解析した。著者は、漢籍も資料も十分見られない駿府にいながら、新しい研究方法を編み出し、本家本元の中国の学者と肩を並べる偉業をなしとげた山梨稲川に、深い敬意を捧(ささ)げるのである。

 本書において、著者内藤湖南は、根源への回帰、原則の発見、従来とは異なる角度からのアプローチ等々、自分の頭で考え抜いた手法によって、新たな学問的展開を果たした「先哲」を忘却の彼方(かなた)から掘り起し、いきいきと甦(よみがえ)らせた。ここで語られる先哲の軌跡は、真に独創的な思考方式とはいかなるものか、如実に示すものであり、示唆に富む。
    −−「今週の本棚:井波律子・評 『先哲の学問』=内藤湖南・著」、『毎日新聞』2012年10月14日(日)付。

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