覚え書:「今週の本棚:白石隆・評 『世界政治と地域主義』=ピーター・J・カッツェンスタイン著」、『毎日新聞』2012年10月21日(日)付。



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今週の本棚:白石隆・評 『世界政治と地域主義』=ピーター・J・カッツェンスタイン著
 (書籍工房早山・2625円)

 ◇米国の力の下で「地域」はどう編成されるのか
 冷戦が終わって20年余、世界はどう変わりつつあるのか。新興国が台頭し、米国の力が相対的に低下しても、グローバル・ガバナンスのシステムはそれなりに頑丈だという論者もいれば、この20年余、新興国の台頭によって多極主義(マルティラテラリズム)なき多極化が進展し、いまはG0(ゼロ)の時代だという論者もいる。そういう中で、本書は、米国の力はまだまだ強い、しかし、世界は欧州、東アジア、中東等、それぞれに違うかたちで編成された地域から成っており、世界政治を理解するには、それぞれの地域を丁寧に分析しなければならない、という。本書の原題は「地域からなる世界」、まさにそういう見方を直截(ちょくせつ)に表現したものである。

 本書の主旨は、あえて単純化すれば、次のように言えるだろう。米国の力には軍事力のような領域的な力と科学力、技術力のような非領域的な力がある。世界はこういう米国の力の下にあり、それによって支えられている。その意味で、世界は、わたしであれば、米国のヘゲモニーの下にあるというだろうが、著者は、これをアメリインペリウムと呼ぶ。このアメリインペリウムの下、地域は、米国の力に浸潤されている。つまり、地域は、砦(とりで)のように高い堅牢(けんろう)な障壁で守られた地域ブロックとしてではなく、海綿のようにいっぱい孔(あな)があいた、多孔的な地域として組織されている。
 しかし、これは、すべての地域が同じように組織されているということではない。それを見るには、欧州と東アジアの地域的な通貨金融秩序を考えればよい。1990年代、欧州でも東アジアでも通貨危機があった。グローバルな金融市場が、安定的な自己調整機能をもたないまま、急速に拡大したからである。しかし、それでも、危機における各国政府の対応には、欧州と東アジアで大きな違いがあった。欧州では各国政府は通貨同盟へ向けて通貨政策の自立性を放棄するのを厭(いと)わなかった。東アジアでは、アジア通貨基金構想は米国によってつぶされ、日本はきわめて限定的な通貨金融協力をチェンマイ・イニシアティヴというかたちではじめることになった。

 なぜ、こういうことになったのか。欧州ではドイツ、東アジアでは日本が、米国のパートナーとして、アメリインペリウムを支えている。しかし、ドイツは欧州の政治・経済に埋め込まれて、「欧州の中のドイツ」となっている。それに対し、日本は、そういうかたちでは東アジアに埋め込まれていない。その意味で、日本と東アジアの関係は「アジアの中の日本」というより「アジアと日本」、あるいは訳者の工夫した表現では「アジアの横の日本」となっている。そして、これが、米国の力の浸潤の仕方の違いとともに、二つの地域の組織のされ方に決定的な違いをもたらしている。本書はこれを地域的な生産システム、安全保障政策と治安政策、文化について検討し、アメリインペリウムの下、グローバル化、国際化、地域化の相互作用の中で地域がどう編成され、また変容しつつあるかを明らかにする。
 決して読みやすい本ではない。しかし、内容はひじょうに豊かで、読むたびに新しい発見がある。翻訳は信頼できる。現代世界における米国の力をどう理解するか、日本とドイツは東アジアと欧州でどのような位置を占めるか、そういう大きな問いについて、多くの示唆を与えてくれる良書である。(光辻克馬・山影進訳)
    −−「今週の本棚:白石隆・評 『世界政治と地域主義』=ピーター・J・カッツェンスタイン著」、『毎日新聞』2012年10月21日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20121021ddm015070021000c.html