覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『ノーベル経済学賞の40年 上・下』=トーマス・カリアー著」、『毎日新聞』2012年11月25日(日)付。




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今週の本棚:伊東光晴・評 『ノーベル経済学賞の40年 上・下』=トーマス・カリアー著
 (筑摩選書・各1890円)

 ◇歴代受賞者64人の業績、逸話を率直に

 受賞第一回(一九六九年)から二〇〇九年までの受賞者六四名の、受賞業績、簡単な経歴のほか率直な評価が下されている。

 序ともいうべき第1章では、三つのことが述べられている。

 第一は、業績も、知名度も充分で、当然受賞となるべき二人が選ばれていなかったこと。選考委員会は偏見が強いと。二人は、ケンブリッジジョーン・ロビンソンとハーバードのガルブレイスである。正論である。私はこの二人にケンブリッジ分配理論のカルドアと一格上のオックスフォードのハロッドを加えたい。

 第二は、自由な市場に経済を委ねればよいとする市場主義者、新古典派と、数学利用重視に偏っている、と。そのとおりである。

 第三は、この賞はスウェーデン国立銀行がつくったもので、ノーベル財団も公式には「経済学賞」とよび「ノーベル賞」を省いているという。

 本論の最初の章は「自由市場主義者の経済学」と題され、戦後のその中心、俗にシカゴ学派とよばれている三人がとりあげられる。

 まず、自由主義者の世界的集まりであるモンペルラン協会初代会長のハイエクである。政府の経済への介入は、やがて全体主義に行きつくとした『隷属への道』で有名であるが、現実はそうはならなかった、と。ハイエクには今に残る経済学の業績はないのではないか。

 ついで、フリードマン−−戦後のシカゴ学派の中心である。通説どおり『合衆国貨幣史』と変動相場制の主張を評価するが、かれの予測の誤りやチリ独裁政権とのつながりが批判される。

 三人めはシカゴ学派の財政学者ブキャナンである。かれのケインズ批判には一理あるが、受賞業績である公共選択論の本書の説明を読んで、それに感心する人はほとんどいないだろう。それよりも、アメリカの財政学界の中心であるマスグレイブに賞を与えず、ブキャナンに与えたのはミスというほかはない。

 著名なサムエルソンについては、その広範な研究を、物理学における「統一場理論」とか、アインシュタインに匹敵するとする『ニューヨーク・タイムズ』からの引用を行う一方、現実の政策提言はケインズ派、理論は市場主義の新古典派としている。この点はソローも同じだと。ジョーン・ロビンソンがかれらを偽りのケインジアンと言う所以(ゆえん)である。

 オックスフォードのヒックスについての記述は正確である。受賞理由とした業績は、ヒックス自らが否定した過去の業績であること、また、サムエルソンや自由主義者たちが、ヒックスを、自らの先達としているが、ヒックスは、かれらが反対するロビンソンやカルドアを正しいと考えていた、と。こういうことを書くアメリカの経済学者は珍しい。

 経済学賞の最大の失態は、一九九七年、金融工学のショールズとマートンを選んだことである。この二人がつくり、その理論にしたがって運営されたファンドが倒産した。その贖罪(しょくざい)のためか、発展途上国の貧困をとりあげたセンが選ばれる。

 マートンはサムエルソンに学んだ。サムエルソンの師であるシュンペーターは“玩具の鉄砲を持って実戦の塹壕(ざんごう)にとび込んではなりませんぞ”と教えたはずである。

 著者が、賞に値するものとして考えているのは、国民所得をどのようにして推計していくかに努力したクズネッツや、「産業連関分析」のレオンチェフなど、経済の現実と格闘し、その成果が広く利用されるものである。二人とも自らの成果の限界も充分知っている。

 読んで面白いのは知られざるエピソードであろう。アメリカのケインジアンの中心ともいえるトービンの妻は、受賞で集まった新聞記者に、夫が大学に通う自転車が盗まれて困っていたが、これで買えると言い、あらゆる経済政策の有効性を否定した「合理的期待」の理論のルーカスの妻は、離婚の条件に賞金の半分を求めたという。ちなみに賞金は本物のノーベル賞にくらべ、たいした額ではない。“ノーベル賞なんて忘れてくれ、大したことじゃない”と、集まる新聞記者をふりきったのは、サイモンである。

 新古典派、自由市場主義者は、人間の経済行動は合理的であるとしている。サイモンはこれを否定し、直観と経験をたよりにしているという「限定合理性」を主張した。

 それにしても、経済学を学んだことがほとんどない人や、数学や統計学を専門にする人が受賞しているのは不可思議である。つまらぬ業績も多い。今年の受賞も同様だ。

 賛否はあるにしろ、経済学者としての大物はすでに受賞者となっている。「太い樅(もみ)の木はすべて切り倒された。あとには藪(やぶ)だけが残された」、受賞者なしの年をつくれ、これが著者の結論である。私は、ノーベル家の関係者が言うように、経済学賞は廃止すべきだと思っている。(小坂恵理訳)
    −−覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『ノーベル経済学賞の40年 上・下』=トーマス・カリアー著」、『毎日新聞』2012年11月25日(日)付。

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