仏教哲学で初めて“ブッダ”とカタカナで書かれた中村元博士


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辺見 「萩の花」というタイトルにしてもいいですね。
 先生は仏教の心を本当にわかえりやすく書いていらっしゃいますね。私は、学生時代に『東洋人の思惟方法』を読みまして、とても勉強させていただきました。

中村 恐れ入ります。いや、あれはゲテモノでございましてね、専門家の間じゃ評判悪かったんですよ(笑)。

辺見 でも、今、たいへんな評価を受けて……。先生はまた仏教哲学で初めて“ブッダ”とカタカナで書かれたんですね。

中村 仏陀の“陀”の字を大学生が間違えるんだから、一般の若い方にはもう無理だと思いましてね。で、音写つまりカナでインドの発音を写したわけです。当時はずいぶんしかられたもんです。進歩的な仏教学者からもね。今では、築地の本願寺でもカナで“ブッダ”と書かれてることがございますから、もうしかられないと思ってるんですが(笑)。

辺見 もともとはインド哲学の教えだって難しくなかったと思うんですけれど。
中村 やさしいんですよ。お釈迦さんは、当時の民衆のことばで説いたわけですからね。ところが、中国の知識人を経て日本の知識人が受け取る間に、なんか難しいことになりましてね。
(初出)辺見じゅん『初めて語ること 賢師歴談』文藝春秋、1987年(初出誌『諸君!』1985年11月号)。
    −−中村元辺見じゅん「実社会じゃ役に立たない人間なんです」、中村元中村元対談集? 社会と学問を語る』東京書籍、1992年、252頁。

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稀代の碩学中村元先生のエピソードといえば、やはり『佛教語大辞典』のそれを思い浮かべる人が多いのではないかと思う。自分自身もその一人だ。

中村先生が『佛教語大辞典』のために用意した「二百字の紙で三万枚くらい」の原稿が、まあ、事故のような形でなくなってしまいました。しかし、怒ったら原稿が戻ってくるわけでもないとして、翌日から再び最初から書き直し、8年かけて、作り直したという話です。

このところ、中村先生の対談の方を読み直しているのですが、作家の辺見じゅんさんとのやりとりをちょうど仕事の休憩中に読んでいました。そのエピソードについても勿論、言及はありましたが、ひとつ、驚いたのは、“ブッダ”と「カナ」で表記する嚆矢が中村先生であったということ。

先生は卑下しながら対談を進めておりますが、“難しい”“高尚である”ことが学問ではないと日頃から仰っていた信念のひとつの真骨頂なのではないかと思います。

それを始めた頃は、「ずいぶんしかられた」そうですが、宗教にしても哲学や思想にしても、もともとは難しいものではなかったはず。難しいとか高尚であるということが悪いという訳ではありませんが、ワカラナイから「有り難い」とするのはひとつの錯覚であり、その錯覚というのが、日本における哲学や宗教の受容の歴史ではなかったかと思います。

今となってみれば「ブッダ」と「カナ」で表記することは殆ど当たり前で、「仏陀」と表記するひとの方がまれでしょう。

一見すると「些細」なことに見えるかも知れませんが、これは勇気ある決断だったのではないかと思います。








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