覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』=ガイ・ドイッチャー著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。




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今週の本棚:中村桂子・評 『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』=ガイ・ドイッチャー著
 (インターシフト・2520円)

 ◇言語と思考の関係を科学の目で解き明かす

 言語は思考に影響を与えるのだろうか。さまざまな言語に接することが多くなった昨今、このような問いを持つ方は少なくないだろう。評者も、言語に関心を持つしろうととして一時期、「サピア=ウォーフ仮説」を信じていた。北米先住民の言語調査を通し、言語によって思考・世界観が異なるという考えが出されたのだ。西欧中心の学界での相対論が魅力的だった。しかしその後、人間は生まれながらに普遍文法を持つというチョムスキー生成文法論が登場し、彼らの仮説は消えた。著者は、この仮説は実証性に欠け、言語が思考にとっての牢獄(ろうごく)であるという妄想によってある世代の人をだましたとまで言っている。

 ところで著者は、生成文法論に対しては、記憶、知覚、連想など思考の基底部分で言語は心に習慣を植えつけるという立場をとる。本書で紹介される脳神経科学や心理学の実験がそれを支持するからである。言語と思考の問題は複雑なので最初に大きな流れをまとめた。そのうえで本書に従い、さまざまな考え方を追って行こう。

 よく取り上げられるのが色である。ギリシャの詩人ホメロスは海を青でなく、ぶどう酒色やすみれ色としたという研究があり、そこからホメロスは盲目だったとか、ギリシャ以後色感が進化したなどの考え方が出された。しかし、ここから答は出ない。そこで始まったのが未開人の調査である。一八七八年、ベルリンに、スーダンから見世物として連れて来られたヌビア人には「青」を表わす言葉がなく、青い毛糸をある者は黒、ある者は緑と呼ぶことがわかった。その後いくつかの研究がなされた中で、一八九八年に人口四五〇人のマレー島を調査したリヴァースを、人類学のガリレオと呼ぶ。この島で最もはっきりしている色名は黒、白、赤であり、年寄りは青も黒と呼ぶ。しかし若者は、青を英語から借用したbulu-buluという語で表わす。リヴァースは島民の色の識別能力を検査し、全島民が原色すべてを見分けることを明らかにしたのである。若者の新しい言語への対応も含めて、色に関する語彙(ごい)は文化的なものと考えられる。一方、多くの民族で色を表わす言葉は常に、黒、白、赤の順で表われるという事実も見出(みいだ)された。生物学的要因か文化か。この間を揺れるさまざまな研究結果から「自然の制約と文化的要因のバランスに答を求めるべき」というのが著者の判断である。

 近年の研究がそれを支持する。オーストラリアの先住民のグーグ・イミディル語では方角を左右前後でなく東西南北で表わす。北を向いて読書する人に「先を読め」と言いたい時は「もっと東へ行け」というほど徹底している。ところが彼らが英語を話す時は左右の概念を理解できる。私たちが空間的思考の基本構成要素と信じてきた概念などなくとも言語は成立すること、幼少期からの発話習慣が位置確認能力や記憶パターンに影響する心的習慣を形成することがわかったのである。この語は、言語学にこの成果を残し、今消えつつあるとのことだ。

 次いで語彙の性の例がある。ドイツ語で男性の、スペイン語では女性の名詞は、ドイツでは強く、スペインでは優しいと受け止められる。母語が思考に影響する例である。色を区別する時の左右の脳の反応をMRIで調べ、その違いから言語の影響を調べる実験も行われている。

 新しい研究法で、言語と文化、思考という課題が少しずつ解けつつある。言語学者でなくともさまざまなテーマが考え出せそうで楽しい。(椋田直子訳)
    −−「今週の本棚:中村桂子・評 『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』=ガイ・ドイッチャー著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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