「旅客来りて嘆いて曰く」だよ






ちょっといくつかのニュースを紹介します。

(ニュース1)

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【政治】

厚労相「全体で引き下げ」と明言 生活保護の支給水準
2013年1月16日 19時35分

 田村憲久厚生労働相は16日午後、生活保護の支給水準(基準額)について「全体として引き下げることになる」と明言した。減額に慎重だった公明党石井啓一政調会長も「必要があると説明がつくならば、やらざるを得ない」と容認する意向を示し、保護費削減に向けた政府、与党内の動きが加速した。具体的な引き下げ幅調整が今後の焦点。
 低所得者の一般的な生活費より高い支給ケースがあったとする社会保障審議会生活保護基準部会の報告書がまとまったのを受け、それぞれ記者団に述べた。
 報告書は現在の基準額が単身世帯より多人数世帯に有利と指摘、厚労相はこの点も「適正化を図る」と述べた。
    −−「厚労相『全体で引き下げ』と明言 生活保護の支給水準」、『中日新聞』電子版、2013年01月16日(水)。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2013011601001690.html

(魚拓) http://megalodon.jp/2013-0119-0105-35/www.chunichi.co.jp/s/article/2013011601001690.html

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「保護費削除に向けた、政府、与党内の動きが加速した」そうな。

え???



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国民とともに 公明党副大臣
公明新聞:2013年1月7日付


桝屋敬悟氏
福祉現場の人材不足解消に全力
厚生労働副大臣 桝屋敬悟氏

副大臣に就任しての抱負や決意を。

今回、図らずも2度目の厚労副大臣を拝命いたしました。大変な重責だと感じています。私は2009年の衆院選で落選を経験しました。その間、中国5県を中心に、福祉施設だけでも300〜400カ所の現場を見て回りました。貴重な3年3カ月でした。この経験を無駄にせず、公明党出身の副大臣らしく汗をかいてまいります。

―労働、福祉、年金が担当ということですが。

労働分野については、まず景気・経済の回復が前提となりますが、公明党青年局がこれまで取り組んできた若者の雇用対策についても、国として早急に進めなくてはなりません。

また、福祉の現場の人材不足が深刻です。施設職員の処遇改善だけではなく、長年勤めてもキャリアパス(能力アップの道筋)が構築されないという問題もあります。若者が福祉の仕事に対して魅力を感じられるように変えていきたい。

生活保護の見直しが指摘されています。

福祉の党・公明党として、生活保護制度のセーフティーネット(安全網)機能は絶対に後退させてはなりません。私は、これまでただの一度も現場の声を聞かずして、政策を決めたことはありません。これからも公明党のネットワーク力を十分生かし、厚労行政の充実に全力を挙げる決意です。

一方、民主党政権の3年3カ月で、年金に対する不信感が極めて大きくなりました。若者にも「年金は払ってももらえない」との意識が醸成されてしまったことは非常に残念です。これまでの税と社会保障の一体改革で、年金改革の第一歩が始まりました。信頼される年金制度の構築にも力を入れてまいります。
    −−「桝屋敬悟氏 福祉現場の人材不足解消に全力 厚生労働副大臣 桝屋敬悟氏」、『公明新聞』2013年1月7日付。

国民とともに 公明党の副大臣 | ニュース | 公明党
(魚拓) http://megalodon.jp/2013-0119-0107-10/www.komei.or.jp/news/detail/20130107_9983

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9日前の『公明新聞』では「生活保護制度のセーフティーネット(安全網)機能は絶対に後退させてはなりません」とある。

あたまがわるいので、意味がわからない。



こんなニュースも流れてきた・・・・



(ニュース2)

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公明党:原発新増設「認めぬ方針」再検討 県本部代表・桝屋衆院議員、自民と政策調整 /山口
毎日新聞 2013年01月16日 地方版

 公明党県本部代表の桝屋敬悟衆院議員(比例中国ブロック)は15日、「原発の新増設は認めない」とした同党の方針が再検討される見通しを示した。安倍晋三首相が「30年代の原発稼働ゼロを目指す」とした民主党政権のエネルギー政策を見直すとしており、連立政権を組む自民党との政策調整が必要になるとの判断。県庁での記者会見で述べた。

 公明党は昨年12月の衆院選で「原発の新規着工を認めず、可能な限り速やかに原発ゼロを目指す」との選挙公約を掲げた。ただ、この方針は「党中央が地元での議論を行わずに決めたもの」(公明党県幹部)で、中国電力が計画する上関原発など個別の原発についての詰めた議論は行ってはいないという。

 桝屋氏は「(新増設を認めない方針は)党内で本当にがっちりした議論ができたかというと難しい。現地の声を聞き、地元の議員と相談しながら、その方針でこれからやっていけるのかどうか、安倍政権のエネルギー政策の再検討に合わせ、具体的な問題についてもう一度詰めていきたい」と話した。【尾村洋介】

〔山口版〕
    −−「公明党:原発新増設「認めぬ方針」再検討 県本部代表・桝屋衆院議員、自民と政策調整 /山口」、『毎日新聞』2013年01月16日(水)付。

http://mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20130116ddlk35010400000c.html
(魚拓) http://megalodon.jp/2013-0119-0111-44/mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20130116ddlk35010400000c.html

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マニフェストでは、「原発の新規着工を認めず、可能な限り速やかに原発ゼロを目指す」との選挙公約を掲げたのですが、この方針は「党中央が地元での議論を行わずに決めたもの」なんですか……。

あたまがわるいのでまったく理解できない。

ついでにマニフェストは、以下の通り。
http://www.komei.or.jp/policy/various_policies/pdf/manifesto2012.pdf
(魚拓) http://megalodon.jp/2013-0119-0114-39/www.komei.or.jp/policy/various_policies/pdf/manifesto2012.pdf

http://www.komei.or.jp/policy/various_policies/pdf/manifesto2012_bw.pdf
(魚拓) http://megalodon.jp/2013-0119-0115-29/www.komei.or.jp/policy/various_policies/pdf/manifesto2012_bw.pdf


ニュース1が流れてきたとき、僕は次のような雑感をした(ツイッター、若干、加筆訂正)。

昭和史において創価学会の功罪に注目した場合、功の殆どは、誰もが相手にしなかった「貧乏人と病人」に光をあてたところじゃないだろうか。組織化された労働組合に保護されず、かといって資本家・管理職として手厚い保護をうけない群衆たち。それが戦後日本の日本人の現実だった。その特徴こそ「貧乏人と病人」であり、「貧乏人と病人の集まり」と揶揄された。しかし誰もが注目しなかったところ(だけじゃありませんが)に、きちんと光を注いでいく。そして、そこに人間蘇生のドラマが誕生した。

勿論、好き嫌いはあると思うが、狭く宗教運動と捉えるのではなく、広く、戦後の民衆運動としては、時代を画するものであったと思う。ここは評価せざるを得ないし、それが創価学会の力強さだろう。

そうした団体を背景にもつ公明党が、「弱者叩き」に回ってしまうことには、頭を抱えてしまわざるを得ない。

だから僕は穿った見方をしよう。中卒の両親が、文句も言わず働きづめで、この子だけは大学へやろうと苦労した。子供はちょうじて大学へ入学し、一流の知性を身につけ、一流企業に就職した。しかし、なんだか自分が一流の人間であると錯覚して、両親たちとは「違う人種ですよ」と振る舞うようになってしまう……。

まあ、特定の団体に限定される話ではなく、どこにでも転がっている話でしょうが。

しかし、私は、巣立っていく若き知性の宝冠たちが、そうしたひとびとを、抑圧する側に回ってしまえば、おわりだと思う。

さて……、ニュース2のケース。次のような雑感を吐露。

宗教政党議員諸氏は、国家に阿ることが趣味なのか。日蓮の人生とは国家諌暁の歩みではなかったのか。「世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず…」(立正安国論)とは彼らに向けられた言葉ではないかと思ってしまう。どこが自民の暴走のストッパーですか。

公明党を支援する人々というのは、例えば「うちこそ脱原発」って頭を下げて手弁当で支援をお願いする。しかしほとんど相手は「いつも、選挙の時だけ来て、気持ちわりーだよな」って叩かるのがほとんどのケースだろう。

知ってか知らずか私には理解できないのだけど、議員諸氏は健気に応援する名もなき民衆の姿を忘れたのか。

私自身は、大衆運動の意義をスルーして「カルト乙w」っていうのも脊髄反射や批判もタイガイだとは思うが、そこに胡座をかくエリートたちはもっと最低だと思う。「旅客来りて嘆いて曰く」だよ。



えーと、それから最後になりますが、昨年の11月に少し連twしたもののまとめを最後に掲載しておきます。こちらは手直しナシです。




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(前置き:ある牧師さんが、脱原発や信教の自由を真剣に考えるなら、共産関係で死票になるよりも、考え方は全くあわないけれども、公明党に入れるという選択もありだというお話をされておりましたので、それに関してです。本来、社会的マイノリティーの方に向き、普遍的真理のようなものに憧憬していくべき政党であるはずなのですが、現状はどうなのかという話で、私は支援者にどうのこうのなんていいたくはありません。そうした姿をいきなりの「上から目線」やdisり根性でちゃちゃ入れる奴らこそ最低だと思います。しかし、そうした批判を議員諸氏、および党職員らはきちんとむきあっていくべきだと思う)

私自身は、ちょうど学生時代に宗教法人法の改正の問題と出くわし、日本ではその意義がほとんど正しく理解されていない問題ですけれども、創価学会公明党だけでなく、キリスト教や様々な宗教の方が問題に対処していくアプローチの現場にみっちりと従事してきました。結果としては、改悪されますが。

しかしこの日本的な精神風土への「いかがなものか」という団結(とまでは言いませんが)は、君が代・国旗法制化によって見事に裏切られることになったと思う。何かの顔合わせで。01年の暮れに、公明党のさる参議院議員と懇親したことがある。

彼は「公明党がいるから小泉の暴走を押さえている」という。まあ、イエスでありノーであろう。私自身は、人間精神の内面の自由は、いかなる立場であっても制限されてはならないと考えるし、それが信教の自由の歴史だった。宗教法人法の問題が象徴だったが、その一分野である、国旗国歌では裏切られた。

この繰り返しが自公政権の10年だったのではないかと思う(それ以前に石原慎太郎とちちくりあっていたはもっと問題だが。09年の政権交代時に、恩師も言っていたが(国旗国歌でぶちきれていましたが)、与党でなくなったのは、「原点回帰」のきっかけになるいいことなのではないかと。まさにそう思う

その意味では、(これは公明党に限らない問題だけれども)「脱原発」なり、なんらかのお題目というものが、選挙のネタとしての云々ではなく、宗教的信念に起因する人間精神の「発露」としての「叫び」であるものでなければならないとは思う。ここで、ヘタを打つともう誰からも信用されなくなるだろう。

まあ、そのまえに、「反省せえや」というのはいうまでもない訳で、そこをスルーすると、JCPが敗戦直後は日本国憲法打破と叫んだり、ソ連が水爆実験成功すると「きれいな核」といっていた過去を「隠したまま」、護憲・脱原発を主張するのと同じになってしまうからね。

もっと言いうか。

公明党は、創価学会の無償の「支援」に「安住」するのではなく、組織化されない多様なマイノリティの声……元々が組織化されない底辺の民衆の「為に」が出自でしょう……の「受け皿」となる「新生」の契機として出直すべきなんじゃないのかな。

「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のなかに死んでいく」というのが公明党の結党の原点であるという。だとすれば、その大衆とは誰か。「票になる」人間だけではない。本気で、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のなかに死んでいく」って欲しいわけではあるわけです。

まあ、大学出たエリート官僚の恥辱の搾取構造とかやめろ……とかうわやめろ。ふじこ。jp


私は宗教の真性さは、どこにあるかと誰何した場合、「脱原発」を掲げることに「のみ」存在するとは思いません。推進するのは論外だが、従軍チャプレンのジレンマを引き受けなければならないからだ。しかし、己の宗教的信念の発露の行動が「普遍的」なものだと思うならば、それに誠実であってくれ。

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まだ、なんらかの結論を出すには、早計であることは承知しておりますし、「脱原発」のみが宗教の真性さを試金石になるとは私は思えません(逆に推進することは試金石になるでしょう)。

なので、動向に注目しようかとは思いますが、まあ、「どうなってんだ!!!」って雑感せざるを得ないのは事実として否定できないので、とりとめもないエントリーになりますが、残しておこうと思います。


そういえば、うちの小学三年生の息子が「うそつきは泥棒のはじまり」といっておりましたわ。







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