覚え書:「悼む ベアテ・シロタ・ゴードンさん 元GHQ民政局員 憲法起草の議論知る『最後の語り部』」、『毎日新聞』2013年02月09日(土)付。
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悼む ベアテ・シロタ・ゴードンさん 元GHQ民政局員
憲法起草の議論知る「最後の語り部」
膵臓がんのため 2012年12月30日死去・89歳
「私の人生で最も悲しい日の一つになったわ」。受話器の向こうから伝わる寂しげな言葉に、ベアテさんの思いが詰まっていた。06年2月、かつて連合国軍最高司令部(GHQ)民政局の同僚として日本国憲法の第1章を起草したリチャード・プール氏(享年86)の訃報を伝えたときだった。戦後60年の特集取材でニューヨークの自宅を私が訪ねたのは、プール氏が亡くなる3日前。直前に取材したプール氏から「よろしく伝えて」と伝言を預かっていた。
1946年2月、部屋に充満したたばこの煙、鳴り響くタイプライターの音、連日の缶詰の食事……。「人権の条項を草案してくれ」とケーディス民政局次長から指示されたベアテさんは、プール氏と戦後日本の一角で時間を共有した。彼女の死は、GHQ内の憲法起草の議論を知る語り部が一人もいなくなったことを意味する。
「眠気など感じる時間もなかった」。1週間以上にわたる徹夜の作業を屈託のない笑いで表現した。任せられた女性の権利について「男女平等」の理念(24条)は認められたが、草案にあった妊婦と乳児への国の支援など社会福祉に関する条項は削除された。日本の女性のためにと戦った22歳の女性は、失望し、怒り、泣いた。「でもケーディスさんは、私が彼の肩に顔をうずめて泣いたって言うけど、それは覚えていないの」とほほ笑んだ。
08年に来日した際、各地で講演し、憲法制定過程などの話を講演した。戦争放棄を定めた憲法9条を含めて日本国内の憲法改正の動きを批判し、「こんなすばらしい憲法こそ、世界中に広めるべきだ」と説いて回った。戦後日本の礎を間違いなく築いた人だった。【及川正也】
−−「悼む ベアテ・シロタ・ゴードンさん 元GHQ民政局員 憲法起草の議論知る『最後の語り部』」、『毎日新聞』2013年02月09日(土)付。
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